第3話 泥棒猫は
コーニーと呼ばれる王女の侍女長からの返事は、三日ほどで届いたのだが……
「――アレは出会い系の業者か何かか?」
机の上にある手紙の山を見ながら、進次郎はそう呟いた。
クレアも考えたくない現実に言葉を失い、呆然と立ち尽くしてしまっている。
机の下にも大きめの荷箱に入ったそれが二つ。ほぼ全てがコーニーからの礼と、次は直接会って話ししたいなどが書かれた手紙のようだ。
「もしかして、城って常人では勤められない場所なのかい……?」
「あの王女は変人だ、って意味がよくわかったろ……?」
クレアは、進次郎の『類は友を呼ぶ』との言葉の意味を理解しかけていた。
『コーニーは最初、幼いクリアス王女の遊び相手であった。
王女は生来の凝り性でな……。“お馬さんごっこ”でも、彼女にくつわを噛ませ、多くの用人たちの前を這わされ、尻を叩かれる――思えばその頃から、“ある片鱗”を見え隠れさせていた……』
と、ダヴィッドは遠くを見ながら話していた。
クリアスに慧眼があるのか。初めは羞恥で顔を真っ赤にしていたコーニーも、次第にその顔は恍惚なものになっていたらしい。
その“調教”の甲斐あってか、今やコーニーは決して裏切ることのない王女の忠臣――支配者は産まれた時から支配者か、と進次郎は口にせずにはいられなかった。
「木の葉を隠すには山の中、とは言うが」
「この中に、王女様からの返信が一通あるんだよね……招待状も、仕事の依頼も……」
二人は重いため息を吐いた。
全てがコーニーからの手紙であれば、そのまま処分するだけで良いだろう。
だが、クリアスが直々に手紙を出せるはずがなく、多数ある手紙の中に一通だけ……もしくは、手紙の文面に潜ませるなどの手段を取るしかないのである。
それだけではない、この山の中には仕事の依頼書が混じっている可能性があるのだ。
「まぁ、私が探しといてあげるから、シンジは仕事行ってきな」
「え、でも……」
「彼女の熱いお手紙に、その気になられたら困るからね。
また、尻を叩かれたいのなら別――」
「今日もお仕事頑張ってきます」
大慌てで事務所を飛び出した進次郎を見送ると、クレアは荒々しく椅子に腰かけた。
まだ感触が残る手の平を見ると、不思議と悪戯な笑みがこみ上げる。
コーニーの連絡先を隠し持っていたことへの罰として、尻を思いきりひっぱ叩いてやったのだ。
女がその気になれば、男はそれに応じる――何と不便な事情だとボヤくクレアであったが、そのおかげで二人の関係はより良いモノとなっている。
「しっかし、この女も大概スキモノだねぇ……縄やムチ、蝋燭――三角の馬って何だいこりゃ?
しかも、『賞金で金貨百枚受け取ったから、貰って』とか誰が応じるんだい、まったく……。
苺とか足ありとか、神待ちってワケの分からない文章ばかりだしさ……うぅむぅ……」
一人でやると言った手前、放っぽり出すわけにはいかない。
だが、王女からの返信がどんな物であるか分からない以上、いくら馬鹿馬鹿しい内容でも目を通さなければならないのだ。
――進次郎は『帰る方法』を既に知っている
それは、王女に送った手紙の質問文で気づいた。
【選択肢は他にないのか?】
進次郎はここに残ろうとしているが、そうはできないと知っている――。
あの王女は立場上すべてを話せないだけだ、と信じているものの、クレアも不安で堪らなかった。
「はぁ……最悪の場合は――ん?」
重いため息を吐いた時、クレアはふと〔女へ〕と書かれた封筒が目に入った。
まさかと思いそれを手に取ると、他よりも厚い何かが入っていることが分かる。
それは、“答え”であった。しん……と事務所内が一段と静まり返った気がしていた。
クレアはゆっくりと、震える手でその封蝋を剥がしてゆく。
開いた途端、ふわりと花の香りがした。
【これを先に読むのは、恐らく想い人の方でしょう。
貴女が求める答えを語ることは容易いですが、わたくしにも成さねばならぬ“役目”があるため、それを明らかにすることは控えさせて頂きます。こればかりは、ご了承のほどを――。
しかしそれは、質問にあった“感情の暴走”について関わっています。これもあまり言えませんが、同じ女として、答えられる範囲で応じましょう。
答えは『その通り』です。貴女は『夢の中に引っ張られている気がする』とも仰いましたね? それも『その通り』です。
では、どうしてなのか? それは『意味があるから』なのです。
女は男の帰る場所。貴女が、彼を強く引き寄せれば良いのですよ。わたくしは貴女がたを引き裂くつもりは毛頭ございません。――多分。
(※この手紙を読み終えたら、即座に焼却処分をお願い致します)】
クレアはそれに固まってしまった。
クリアスは『答えられない』と言いながらも、美しく綴られた文字には――クレアが求める答えを、すべて書き連ねていたのだ。
恐らく同性に対しては、そこまで隠しだてする気はないのだろうと思っていると、裏面にも字が書かれていることに気づいた。
【進次郎さんへ――いつか、本気で後悔する目に逢わせますよ?】
前面の字とは思えないほど荒く、字の持つ“言霊”から相当な怒りが込められていることが分かる。
「シンジも何か書いてたけど……あれは、いったい何を聞いたんだい……?
っと……あ、“新商品開発会”の招待状も入っているじゃないか!
後は、ああ、仕事の依頼書だね――ふむ、あの教会に【駐車区画】六か所追加か。
それと、これはシンジのシールかい。二、四……はえー、八枚も!」
クレアは驚きを隠せなかった。
進次郎の留守中、ダヴィッドから受け取った二枚も合わせ、残すは四枚となっている。
実質あってないような“罰”だが、“罪”を背負ったままでいるのも気分が悪いため、クレアはさっさと片付けておきたかった。
残る手紙はざっと見るだけでいいだろう、と簡単にまとめていると――
「何だい、この〔通りすがりの探偵〕って……?」
クレアは怪訝な表情のまま、その封を切った。
厚みのない封筒には四つ折りの紙が入っており、小さなメモの切れ端がハラリと床に舞い落ちた。
【おたくの彼氏、浮気していますよ――】
クレアが指先が冷たくなるのを感じながら、その紙を恐る恐る開いた。
「……これが、かのクリスティーナって女かい……」
メモ書きをぐしゃりと握り潰し、『これはただのイタズラだ』と言い聞かせる。
手の中に広がっているのは、一枚の美しい女の存在――クレアは一度心を落ち着かせるべく、深く息を吐いた。
炊事場のかまどに火をつけ、見落としが無いよう王女の手紙に再び目を通す。
重要なのはこちらの方なのだ。文面に裏の意味がなさそうなのを確認すると、王女から指示された通り、そっと赤く揺らめく炎に食させた。
(ずいぶんと身軽な猫のようだけど、ようやく尻尾を掴んだよ)
握りつぶしたメモも投げ込んだが、“似顔絵”はそのまま乱暴にポケットに突っ込んだ。
妬ましくなるほど美しい女であり、『シンジが惑わされるても仕方ない』とも言える。
(……これを火にくべれば、炎の神が側女にするかもしれないけど、さ。
大事な手がかりを、いっときの感情で手放すほど私は愚かではないよ)
彼女は“反女王派”のメンバーの可能性が高く、これはその重要な手がかりなのだ。
そして、これまで何一つ存在を掴めなかった“泥棒猫”の手がかりでもある。
そんな重要な品を、むざむざ嫉妬の炎に食させるほど、冷静さを欠いていない。
さてどうしてやろうか――赤い炎を見つめながら、クレアは蒼ざめた心に判断を委ねた。




