表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

52/91

第1話 ナイト・イン・ナイト

 王都近郊を荒らしまわっていた《ケンタウロス》は、王女自らが手を下した。

 この報せはリーランドの東端・大公領にまで轟き、二週間もすれば、どんよりとした暗雲が領内を完全に覆いつくしていた。

 そして、思いもよらぬこの王都の功績は、嘆き悲しむ者に一筋の光明をも見せる。


(あぁっ、クーリ……! やはり貴女はなんて素晴らしい人っ……!)


 窓から覗く外の世界は、心持ち明るく見えた。

 ラガンの色女とされたシルヴィアは、牢屋のような暗く汚い部屋の中で、弱々しい微笑みを浮かべた。

 股が汚れておらぬ日はない。もはや、『恥辱とは何なのか』と人に問いたくなるほど汚れきってしまっている。

 しかし、この日……いや、一週間前よりラガンは彼女を抱いていない。

 クリアスの“《ケンタウロス》討伐”の報せの影響もあるが、いくら傍に寄せても一向に心を開かず、享楽の声どころか苦悶の声すらあげぬ彼女に、ラガンもいささか“つまらなさ”を感じているのだ。

 では、今は誰が彼女を使()()()()()のか?

 それは、いつも決まった時刻にやって来る――。


『あ、あの……』


 扉の向こうで声が聞こえ、その後すぐに思い出したようにノックをする。


「……どうぞ」


 シルヴィアの表情は仏頂面のままであるが、ラガンに見せるそれと比べれば、わずかに柔らかい。

 初めは嫌悪感や怒りを覚えたが、次第に彼に対してそれを向けるのは、どこか可哀想に思い始めているのだ。


「し、失礼します……あの、よろしいですか……?」


 さらさらとした緑髪の青年が、鉄扉から顔を覗かせながら伺いを立てる。

 青年というよりかは、まだ幼さの残る少年だ。歳を聞けば目を剥くほど、おどおどと頼りのない男だった。

 庶民よりわずかに高級な召し物の彼に、当初はどこかの貴族の子供で『“男”にさせるため、情婦を抱かせに来た』とシルヴィアは思っていた。

 貴族階級の嫡男にはよくある話で、特におかしなことではない。

 だがしかし、多少身なりを偽っても、持って生まれた“匂い”はそう偽れるものではない。話をしてすぐ、彼の正体に気づいた。


 ――大公家嫡男・エミリオ


 初めて会うが、そうだと確信していた。

 そもそも、好色で有名なラガンが、並の貴族に女を貸し与えるはずがない。

 彼の嫁となる名目でここに来た。エミリオは事前に聞かされていたのだろう。

 初めて顔を合わせた時、彼は非常に申し訳なさそうな、複雑な表情をしていたのだ。


 その姿に、シルヴィアは心を荒立てた。

 大公家を引っ張ってゆかねばならぬのに、嫁に来た女の純潔を散らされ穢された。

 それだけでも男には耐えがたい屈辱であるはず。……にも関わらず、彼はラガンの目を盗むようにやって来ては、びくびくしながら、自身の妻となる女を抱くのである。

 これでは、どちらが間男か分からない。


 ――抵抗すらもできぬ、なんと情けない男か


 武人の家に生まれたゆえか、穢したラガンよりも、侮蔑の念すら抱きたくなる。

 しかし、彼女に押し入る“男”から強い葛藤があることを感じとっていた。


(女王陛下は、このタイミングを計っていたのでしょうが……なんと酷な思いをさせるのでしょうか)


 女王の退任は、大公家が王権を得るためのまたとないチャンスだろう。

 にも関わらず、立てられるのは風が吹けばポッキリと折れてしまいそうなほど、候補となるのは、考えることだけの脆弱な(アシ)しかいなかったのだ。

 片や王都は、奇人・変人と噂されど、己の意思で地の上に立つ親友――これでは勝ち目なぞまったくない。

 なれば、周囲の人間が心を鬼にして気張らねばならぬ。


「今日は、何をしたいのです?」

「え? あ、あの……」


 ここに来て、初めて人に質問を投げかけた。

 彼女は腹を決めた。目的は違えど、シルヴィアも同じ気持ちである。


 ――彼が“男”になれば、ラガンは頭を抑えられ、国は二分するだろう


 だから……情婦のように振る舞いながら、毅然として彼を奮い立たせようとした。

 この屋敷に来ることが目的であったが、“監禁”されていては思うように動けない。

 彼が立ち上がれば、彼女の“探し物”が見つけやすくなる――そう、心に信じて。



 ◆ ◆ ◆


 一方、リーランドの空は晴れ渡っていた。

 この日、進次郎はダヴィッドの要請を受け、クレアと共に教会の駐車場の線引いていた。

 太陽が真上に差し掛かり、暑さがピークまで達そうかとしているころ――進次郎とクレアは額に浮かぶ汗を拭いながら、灰色の石畳の上に引かれた、大量の白い線を眺める。


「こうして見ると、凄い量だね」

「七十台分に番号、進行表示に停止線、ほか諸々……中型店舗の並だからな」

「シンジの国で見た、あの店もこれぐらいかい?」

「んー……これよりもまだ二十台くらい多いかな」


 莫大な量であったが、ほとんどの作業は城の者がやったため、二人はさほど疲れていない。

 クレアは、外観がほぼ完成した聖堂を見上げながら、ぼうっと物思いに耽っていた。


 ――もし、このような場所で“女の幸せ”を挙げられたら


 自然と顔に熱がこもる。この暑さのせいではない、内から湧き上がる想いによる熱である。

 これまでは縁が無かったものの、“権利”を持っていると分かるや、ふとしたことでそれを妄想してしまう。

 それは、昨日今日のことではない。牢屋に入れられた進次郎が帰って来てから――壊れたクレアのベッドの修復にあたっていた、イヴの言葉がきっかけであった。


『やっぱり将来的なことを考えれば、ダブルベッドのがいいじゃろ?』


 何か思いついたらしいが、クレアにとっては寝耳に水の言葉だった。

 そこで初めて、将来的――自分に結婚の可能性がある、と気づいたのだ。

 期待に胸を膨らませた反面、この教会を眺めていると不安も湧き起こる。


「表向きには、王女が《ケンタウロス》の排除に乗り出したのは、この作業を捗らせるためとなっているが……」

「ふぅん……」


 その不安が、クレアを鼻で返事させた。


「な、何だよ……ま、まだ疑っているのか?」

「べーつにー、何も疑ってないよ」

「あ、あれは王女が仕込んだことなんだって!?」


 それは、進次郎が帰ってきてから発覚した。

 投獄は一日で済んだ。今思えば、<巨神兵>の話や進次郎の帰る方法など、秘密裏に伝えるため進次郎を連れて行ったのだろう。

 策を張り巡らせる女だ、と思ったのもつかの間……彼女は更なる罠を進次郎に仕掛けていたのだ。


「あ、あれは、王女が勝手に仕込んだんだってっ!?」

「女が、自分の下着をポケットに入れさせるってのかい?

 そんな女、頭どうかしてるよ。嘘をつくなら、もっとマシなのを考えるんだね」

「あれは、『頭どうかしてる女』なんだよっ!?」


 それは、クリアスから拝領した外套にあった。

 進次郎と共に朝を迎えたクレアは、井戸端で彼の衣類などを洗濯していると……その外套の中に、真っ白なショーツが入っていたことに気づいたのだ。

 その時だけは、さすがに進次郎に対し、表現しがたい気持ちになった。

 何の義理があって、他人の汚れた下着を自分が洗わねばならないのか。それが王女の物だと知れば、殊更(ことさら)である。


(にわかに信じがたいけど、王女も何の目的があってそんなことを……。

 シンジは私の物――じゃなくて、他にもたくさん男が選べるだろうに……)


 “夢の中”で助けを求めるほどだ、進次郎が嘘を言っているとは思えない。

 それに正直なところ、本気で心をやきもきさせたのは発覚した瞬間だけだ。


「――ホントにかい?」

「ほ、本当だ……っ!」

「じゃあ、証明してごらんよ。んっ――」

「うっ……や、やっぱりそれが目当てか……」


 顎を少し上げ、目を閉じる――瞼の裏で、周囲を気にしている彼の姿が浮かぶ。少し恥ずかしい。

 進次郎を少し突っぱねると、こうして“ご機嫌取り”をしてくれるのだ。

 そっと唇に触れるだけであるが、それだけで十分であった。


「じゃ、じゃあ、時間もあるし買い物に行くかねっ!」

「あ、ちょっ、ちょっと……」


 キスの回数はもう数えられないが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。

 赤い顔になっているのを隠すように、右足を軸にしてくるりと身体を向け歩き出した。


(でも、あれから“ニホン”って世界を()()()頻度が上がってるんだよね……。

 何だろう……どんどんそっちに引っ張られてるような気がするよ)


 “自由市場”に差し掛かった時、ふと正面にほっかむりをした奇妙な《コボルド》がいることに気づいた。

 手には紙袋が握られ、顔を包む布から気の抜けるような顔を覗かせながら、誰かを探すようにキョロキョロとしている。


「――迷子の子猫でも探しているのかい? ワンコ」

「ウォ? ウォウォンッ!」

「俺たちを、探してた?」


 ワンコは『ウォン』と、()()を上げながら大きく頷いた。

 元から彼にそれがあったわけではない。先日の当たり屋の“罰”として、進次郎が無理やり筆とペンキで書き加えたのだ。

 太い繋がり眉毛のワンコは、懐から一通の手紙を取り出すと、それをクレアに差し出した。


「――この可愛らしい文字はイヴだね。

 なになに、『シンジのベッドも修理するから、二、三日宿屋に泊まれ』……な、何だって!?」


 恐らく厄介な職人魂に火がついたのだろう。

 歩いても十五分程度の場所にも関わらず、家に帰らず宿に泊まる……何とも奇妙な話である。

 ワンコはあまり人前に出たくないのか、すっと紙袋を渡すなり、身を縮めながらそそくさとその場を立ち去った。

 着替えにしては軽い。それに首を傾げ、中身を覗き込むと――。


「んな゛っ――!?」

「ど、どうかしたのかっ!?」

「い、いい、いやっ、何でもないよっ!」


 冷や汗を浮かべながら、それを後ろ手に隠した。

 進次郎には話していなかったが、王女から彼宛に先日の《ケンタウロス》逮捕の“褒賞”を届けられていたのである。

 包みはイヴが勝手に開いた。期待の表情から一変、その中を見るなり呆れた表情で『これはお主への贈り物じゃの。シンジがつけたら――病院行きじゃし』と、クレアに渡した物――。


(こ、こんなもの、何を隠すんだい……っ!?)


 騎士(ナイト)を“蜜夜に(いざな)う”時に使用されるものなのだろうか。

 紙袋の中には、ベビードールから始まる、ナイトランジェリーが入っているのだ――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ