第7話 おちた原因は――
寂とした事務所でも、ズドン――と大きな音がした。
「ど、どうしたのじゃっ……って、なーにをやっておるんじゃお主は?」
イヴが血相を変えて二階に駆け上がってくると、そこには――大きく傾いたベッドと、情けない恰好のまま転がっているクレアの姿があった。
ホックの外れたズボンはズリさがり、尾てい骨近くまで見えている。
「あ痛たたたっ……」
くすんだ床板の上に這いつくばるような格好で、クレアは大きな尻を撫でている。
しばらく呆然としていたものの、イヴはすぐに何かを察したような目を向けた。
「……あ奴に会えぬストレスは、ベッドを壊すほどじゃったのか?」
「ちっ、違うよ! とっ、突然、バキッて音がして壊れたんだよっ!」
この日は仕事がないため、クレアはベッドの上に座って本を広げていた。
しかし、ある拍子に世界が大きく傾いたと彼女は話した。
薄暗い部屋の床には、三冊の本と竹筒からこぼれ出した飲み水の水たまりがそれを証明しているようだ。
それを一瞥するや、イヴは呆れたように息を吐いた。
「まーったく……寝床にガタがきておるのに、気がつかなかったのかの?」
「た、確かに、前から揺れるなって思ってたけど……まだ大丈夫かと思ったんだよ」
「生ある者は、身体に異変があると気づかせるために、痛みを生じさせる。
物も同じじゃ。異変があるから揺れ、異音を発する……それは、同じ職人としてよく分かっておるじゃろ」
「うう……そうだけどさ。買い換えるのもお金がかかるし……」
クレアは大きなため息を吐いた。
収入が安定してきているものの、ベッドなどの大きな家具を買い直すほどの余裕はまだないのだ。
「まったく、何のためにドワーフがいると思っておるのじゃ。
直してやるから、お主はシンジの所で寝ておけ――ってか、もうお主らには二つもいらんじゃろ?」
「え、いやっ……い、一応はさ……」
「ま、確かに、たまに一人になる場所が欲しいのは分かるがの。
寂しくなっておる場所を慰めるためにも、のうー? ほっほ!」
「な、ななっ、何のことだいっ!?」
気づかれていたのか、とクレア大きく同様を隠せなかった。
「にひひっ、さぁのうー?
っていうか、それらが原因で壊れたんじゃろ……ガタは昔から来てたけど、激しい揺れを与えないから持っておっただけで」
「うう……で、でも、きっとそれだけじゃないよ!
今頃は進次郎は《ケンタウロス》と捕まった頃……妙にぞわぞわって来たし、き、きっと何かあったんだよ!」
「逝く時まで一緒よ、ってか? やかましいわ!
まぁ、バカップルもそこまでいけば立派じゃが……」
お主らを見ていると『ない』と言えないのが悲しい……と、ため息を吐くイヴに、クレアは目を逸らし空笑いするしかなかった。
◆ ◆ ◆
クレアとイヴの言葉は、ある意味では正しかった。
クレアが転げ落ちたちょうどその時、進次郎は宙を舞っていたのである。
『クレア――』
岩塩が詰まった殺傷能力の低い散弾でも、馬の脚を止めるには十分な威力である。
背後からドンッドンッと音が鳴るたびに、正面の馬たちが駆逐されてゆく。
そして、それはついに進次郎の背中にも強烈な衝撃が走った。
マファルに呼ばれた気がしたが、キーン……と耳鳴りがしているせいか、よく分からなかった。
二度目の走馬灯は見なかった。ゆっくりと流れてゆく世界の中で、まず見えたのは、クリアスが蒼い微笑を浮かべながら『――心配ない』と口を動かしたことである。
恐怖や怒りよりも、進次郎はデジャヴを感じた。
次に見えたのは、クレアのさまざまの表情――これが彼に“判断力”を与えたのだが、ここで問題が生じた。
(肩が干渉して腕が回せないって、これ欠陥品だろ……)
腕が回らない。身を丸め、背中から落ちて衝撃を逃そうとしても、胸部がガチガチに固められてしまっているのだ。
今更どうすることもできない。そう思ったのと同時に、強い衝撃が彼を襲った。
「ぐっ――ぁ……!」
かつて、死んだ時を思い出す。世界が何周も回り、天と地が入れ替わり続ける。耳の中には世界が終わる音が聞こえ続ける。
ドンッと全身に衝撃が走ったが、不思議とのた打ち回るような痛みはない。
大地の上で四肢を投げ出し、ひゅーっと、口から弱々しい空気が漏れた。
生きている、と理解することが怖い。虚ろな目で青空を見上げながら、身体はちゃんと動くか、と末端まで指示を飛ばす。次に視界、聴覚は大丈夫かと確認する。
システムチェックが済んでゆくにつれ、虚ろだった進次郎の目に力が戻り始めた。
「……い、生きて……るのか?」
首から落ちたにもかかわらず、全てが正常であった。
むくりと上半身を起こし周囲を見渡すが、そこにいるのは勝者のみ――マファルは呻きながらも何とか立ち上がろうとするが、限界を迎えたその脚に力が入らず、土の表面を掻くことしかできていない。
そして、ブライアンもまた地面に臥せっていた。王女を途中で降ろしたのか、その背の黒い鎧には幾多もの凹みが窺える。
一方で、勝利者・<巨神兵>たちは“事後処理”を行い始めていた。
クアドラングは主に輸送役を担っているのだろう。いつの間にかパトカーらしきものはなくなっており、代わりに馬運車のような荷車を引っ張っている。
そこに収容しているのは、空中戦仕様かと思われるトリアングである。鳥のような三角のフォルムの特徴のままに、鉤爪状のその手でしっかりと馬体を掴んでは放り投げてゆく。
水中戦仕様のグットは手持ち無沙汰かと思いきや、座り込んだまま呆然としている進次郎に手を伸ばした――。
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それからどれだけの時間が経ったのだろうか。
進次郎とクリアスの二人は、仲よく檻の中に収容されていた。
「ここに来て、カツ丼が食えるとは思わなかったよ……」
「私は米と汁物など……期待していたニホン料理は味気なく、正直ガッカリですわ……」
「まぁ、“ムショメシ”だからな」
「なるほど、それなら多少は納得できますね。栄養は取れそうでしたし。
しかし、兵隊に使うわけでもないのに、囚人を壮健にしてどうするのか……うぅむ、謎です」
他の住人はいない。二人を連行してきた<巨神兵>でも収容できそうな巨大な建造物であるのに、ネズミ一匹の侵入すらも許さぬような堅牢な雰囲気のある、冷たい場所だった。
二人は重罪には問われておらず、ただ形式上捕えられただけ。されど、ここでは“看守と囚人”のみの世界――いくらこの国の王女と言えど、その権力を揮うことはできない。
青っぽい平石積みの壁にもたれ掛り、王女はリラックスしたような息を吐いた。
捕えられてからどれくらいの時間が過ぎたのか、檻の中はシン……と静まり返っているままだ。
「……ここ、いったいどこの収容所なんだ?」
「“扉の神殿”――の地下ですわ」
「扉の、ってことは、<イントルーダー>がここで“現代”の品を持ち込む場所か!?」
「ええ、そうです」
「なら、目と鼻の先にそれを拝める場所が……」
「そうなりますわね。
人心地もつきましたし、それも踏まえて、そろそろ今回の報酬といきましょうか」
「報酬……?」
「“私の身体”と“帰る方法”、どちらが欲し――」
「帰る方法」
即答だった。冗談であっても、クリアスはそれに不満げに唇を尖らせる。
「むぅ……そこの扉を押せば開きますから、勝手に帰ってくださいまし」
「そっちじゃない!? ってか、まぁ正直なところ帰りたいってあまり……」
「なら、私の身体を――」
「現金くれ」
「一度死んでください」
「既に一度死んでるがな……」
据え膳すら手をつけようとしない男に、クリアスはツンと拗ねたような表情を浮かべた。
これまでの彼女の言動からして『今回も絶対に何か裏がある』と踏み、彼女の思い通りにならないようにしている。
「……ま、いいですわ。そろそろ頃合いでもありますしね」
「こ、頃合い……?」
「ええ、帰りたくないと思っていても『帰らねばならない』と思う時が、必ずやって来ます。
その時に必要な物――サー・ダヴィッドから受け取った“罰”をお持ちですね?」
「こ、これか?」
進次郎は胸ポケットから“ハートのシール”が六枚貼られているカードを取り出した。
クリアスをそれに小さく頷き、言葉を続けた。
「それは、<巨神兵>から与えられたものなのです」
「なるほど、<巨神兵>から……なっ、なな、な、何だとっ!?」
「詳しい説明は彼からしてもらいましょう――セルクルッ、いますわね!」
クリアスは檻の外に向くと、よく通る大きな声でセルクルを呼んだ。
するとそれに応じたかのように、大きな足音・地響きと共に、丸みを帯びた巨大な金属体が顔を覗かせた。
「“通路”への門について、この者に説明してあげてください」
クリアスの言葉にセルクルは頷くと、ゆっくりと何かの動作をし始める。
ワンコが彼に言葉を伝える時にするジェスチャーそっくりで、それはすぐに解読できた。
「『扉』、『開かない』、『鍵』、『欲しい』……必要ってことか。
『鍵』、『ハート』、『2』、『10』、『必要』、『We』、『帰れ』、『バツ』
『You、やっちゃいなよ』? なるほど……って、アホかっ!?
お前らが帰るのに、どうして俺が鍵集めしないといけないんだよっ!」
進次郎の言葉に、クリアスは<巨神兵>の説明を補足しようと口を開いた。
「彼らは元々“神や天使の遣い”と仰いましたよね?
事実、彼らは天上の者なのですが少々ワケありで、地上に堕ちてしまったのです。
彼らが許されるための条件、それが『いくつかの国を生まれ変わらせる』こと――だから、私は協力しているのです」
「そう言えば、このリーランドが発展したのは最近のことって言ってたな……」
「国自体は古くからありますがね。ドワーフと人の調査隊が地下街跡を探索している時、崩れたがれきに埋まっている<巨神兵>を見つけたのです」
「ドワーフの地下街……ってことは、ここって元々ドワーフの国とかなのか?」
「遠い――それこそ神話や伝説と言っても過言ではない時代ですがね。
“星めぐり祭り”の云われでもある、五つの星はそれを指し、一つがこの地の母となった……と」
進次郎はその言葉で、やっと納得がいくことがあった。
それは、ここの国のトイレのことである。クレアに聞けば『住宅の下には川が流れている』らしく、用を足せばそこに落ちて流れてゆく仕組みになっている、と言う。
住宅街ができてからでは不可能な構造であり、『この世界の者は、先にそれを計算して下水を設けた』との事実が信じられなかったのだ。
「彼らが眠っていた場所が、この“扉の神殿”です。
互いの利害が一致し、協力関係になった直後……<イントルーダー>の力を持つ巫女が現れるようになりました。
その巫女が見た夢、でこの国は大きく発展してゆくのです」
「ま、まさかその夢って……」
「進次郎さんが考えている通りです、<イントルーダー>は貴方の“元の世界”を見た――。
時代が進むにつれ、ついに物を手に入れられるようになったのですが……」
「その巫女が消えた……って言ってたな」
「消えた、のではありません。
正しくは殺害されたのです。彼女を妬み、またそれを己の利にしようとした者に」
クリアスの声は重く、どこか嫌悪するものが含まれていた。
そして『彼女は生まれ変わることができなくなった』と続ける。
「今、“向こう”から調達してきているのは、暇に飽かした彼ら<巨神兵>です」
「『持って来る』って言うけど、“商品”まんまで来るの?」
「いえ、どこかの家庭にある『あれ? 買いだめしてたはずなのに、使っちゃったのかしら?』って、廃棄直前の物を持って来ます。それと、悪戯でもたまに」
「……それ、誰が言ってたの?」
「彼が」
すっと細く長い指をセルクルに向けた。
セルクルは『どうだ!』と言わんばかりに、腕を組んでふんぞり返っている。
「……そもそも、こいつらは何をやってここに墜ちたんだ?」
「何やら、母がたいそう気まぐれだったそうで、天上で仕事しないで一緒に遊び呆けていると、ついに上の者からアホほど怒られ、納得いかないので反抗的な態度とったら――らしいですよ」
「あの《ケンタウロス》捕まえられた義理ねーだろっ!?」
進次郎の言葉に、セルクルは『それな!』と言いたげに指差した。
※【7章 暴走、ケンタウロス】はここで終わりとなります。
8章は3話だけと短い内容ですが、そこが中盤の終わりです。




