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第4話 向こうに渡る横断歩道

 山の中と言えど、昼間にもなると屋内はむっとした熱気に満たされる。

 二週間が過ぎる間に、春の陽気は夏の日差しへと変わり、森には夏の虫が多く飛び交うようになっていた。

 そんな季節の移ろいに併せるかのように、着物の色も濃くする時間も増えている。

 進次郎とトマスはこの日、自宅部分のダイニングにて、他愛もない話をしていた。

 冷たいお茶を傍らにした話題は、もっぱら“花摘み祭り”に関することである。

 その準備についての話に差し掛かった時――突然、自宅部分の扉がドンドンと叩かれ、進次郎は思わず飛び上がってしまう。


「な、何だっ!?」

「ふふ、噂をしていると、その者がやって来るとは言ったものだな」


 それは、人の都合など考えないような荒々しいノックだった。

 急患かと驚く進次郎に対し、トマスは落ち着き払った様子で口元を緩めてい

る。

 出迎えなくていいのかと思った直後……家主の返事も待たずして、扉が勢いよく開け放たれた。


「――トマス氏っ、ご無沙汰してるね!」


 外の熱気と負けず劣らずな声と同時に、さぁっと明るい空気が流れ込んだ。


「やぁやぁっ! 今年はずいぶんと早いな!」

「今年はリュンカの晴れの舞台だからね、そりゃ気合が入るってものさ!

 おや――そこにいるのが、手紙にあった“異国の男”かい?」


 高い位置で長い赤髪を束ねた女――矢継ぎ早に喋ったかと思うと、トマスの後ろで控えている進次郎に好奇の目を向けた。

 背がすらり高い。彫りが深い切れ長の目に、引き締まった顔つきもあってか、痩せ型と言うよりかは、しっかりとした筋肉質な印象をまず与える。

 それが進次郎の胸に強く残った。

 そろそろ返事が届けられる頃だろう、と思っていたが、それは大きな思い違いだったようだ。

 この村ではまず見かけない、白くタイトな作業服姿……一目で“同業者”だと分かる。


「ああ、彼がシンジだ。

 シンジ、彼女は〔クレア・ラインズ〕――リーランド王都に事業所を構える、新進気鋭の職人だよ」

「い、言い過ぎだよっ、トマス氏っ!?

 それに今は……まぁ、確かにうちは王都で【ラインズ・ワークス】って店を構えているよ。

 よろしくね、えーっと……シン、何だっけ?」

「初めまして、神室 進次郎と言います。

 まだこちらに来て間もなく、分からないことばかりですが、よろしくお願いします」


 握手を交わし合って終わりかと思いきや、進次郎は急にぐっと引き寄せられ、あっという間にクレアに抱きしめられてしまった。

 この世界は、町や村によって挨拶の方法が違う――背中をポンと叩かれ、初めて王都はハグの文化なのかと初めて理解した。

 それは一瞬のことであったが、温かいものが離れてもなお驚いた表情を浮かべたままの進次郎に、クレアは眉を中央に寄せた。


「……何だい、変な顔して。私の挨拶は嫌だってのかい」

「い、いえ、突然のハグに驚いてしまって……俺の所では、頭を下げる“おじぎ”だったので」

「頭を下げる? ああ、南の方でされている挨拶だね。

 ……なるほど、確かに異国からやって来たってのは嘘じゃなさそうだ」


 クレアにまじまじと見つめられ、進次郎は思わずたじろいでしまう。

 本当はクレアは思っていたより華奢で、柔らかな双丘の感触に、戸惑いを隠せなかったのだ。


「――見た目はちょっと頼りないけど、使い物にはなりそうだね」

「シンジは二十八歳だったか。年が近いから、話も合うんじゃないか?

 クレアも確か、今年で二十九とかだろう?」

「……私はもうすぐ三十二だよ……。

 ま、異国から来たと言うし、この国にない文化とやらに期待しているよ」


 ニマリと笑みを浮かべた彼女に、進次郎は憂かない顔を向けた。


「それは良いのですが、この国にも築き上げてきた(いしずえ)もあるでしょう。

 正直な所、俺の技術がクレアさんの期待に添えるかどうか……」

「あっはっは! その心配はいらないよ。

 うちの女王、王女様は<新しい風>を掲げ、あちこちの文化吸収を推奨されているからね。

 ああそれと、私に敬語はいらないよ。

 他人行儀だとむず痒いし、作業にも影響が出るからさ」


 そう言うと、クレアは再びニッカリとした笑みを向けた。

 第一印象のまま『気持ちのいい人だ』と思った。内面が顔に出ると言うが、性格はまさに“快活”そのものだろう。落ち着いた雰囲気もあるが、それとは別に、どこか似たものも感じている。

 ドキリとするような彼女の笑顔を見ると、進次郎の心にある“つまらない不安”が消えてゆくのも感じていた。


「――で、祭りの主役になるリュンカはどこだい?」

「ああ、買い物に行くと言っていたが……恐らくウィルの所だろう」

「……となると、“花が咲く場所”を教えに行ったんだね」

「かもしれないが、昨晩のあの様子では、まだハッキリと決まっていないだろう……」

「おや、何やら複雑な面持ちだね」

「親と言う物は、常に子の幸せを願うものだ、と言い聞かせてるのだがね……」


 娘がこの村を離れることはないが、やはり親元を離れてゆく寂しさがあるようだ。

 母親を失ってから、ずっとトマスが一人で育ててきたのだから無理もないだろう。

 その温和な表情には、うっすらと空白感を窺わせていた。


 ・

 ・

 ・


 ほどなくして、進次郎はクレアに連れられ、森の中の“花摘み祭り”の会場へ足を向けていた。

 進次郎は、クレアが持ってきた工具やロープ、木板や杭などを積んだ荷車を引いており、車輪が小石を踏むたび大合唱を起こす。

 お世辞にも軽いと言えない積み荷であるが、すっきりとした山の匂いが疲れを忘れさせてくれた。


「――さて、今年もここでいいかな。

 シンジ、その看板と木槌を取ってくれるかい?」


 会場と言えど、そこは雑木林を拓いただけの場所――前後に延びるあぜ道の脇には青々と雑草が、更にシダなどが生い茂っているだけの山道であった。


「看板って、この無地の看板でいいのです……じゃない、無地のでいいのか?」

「……無地? あ、ああっしまった!?

 今年は新調したから、書かなきゃならないんだったよ……。

 仕方ない……ついでにペンキもよろしくね。白と赤のだよ」

「よし分かった」


 進次郎は言われた通りのそれを運ぶと、クレアは早々と白い塗料をハケにつけ、すっと木板の上を滑らせ始めた。

 彼女の表情は真剣そのものだった。ハケは、縦に横に……ムラが出ないよう、手早く丁寧に色が乗せられてゆく。ペンキに使われている材料は違うようだが、ねっとりとした臭いはどこも共通なのだろう。

 進次郎は興味津々な様子で、クレアの作業を見守っている。


「ふぅ……こんな感じかな。

 もう一本ハケがあるから、シンジも同じように塗り始めてくれるかい?」

「よし、すべて白色でいいのか?」

「ああ、構わないよ」

「分かった……ってか、いったい何をしようとしているんだ?」

「ん? ああ、説明がまだだったね。

 女たちが森の中に迷わないよう、柵と看板を設けるんだよ。

 まず、ここが終着だって看板を立ててね」

「ああ、それで暗闇でも見えやすい白地なんだな」

「そういうこと!」


 進次郎はそう言うと、荷車から白いペンキの缶を取り出した。

 蓋を開くと、塗料独特のむせるような臭いが立ち込める。見ただけでは分からなかったが、ハケでかき混ぜてみると粘度が低く、さらさらと()()が良さそうな塗料であった。

 カタカタと溶剤と混ぜ合わせ、毛先にたっぷり含ませた塗料を、缶の縁で軽く調整する――。

 そして、真正面からクレアに見守られながら、そのまますっと木板の上にハケを滑らせ始めた。

 使い込まれた古めかしい工具箱やハケは、彼女の経験を証明している。

 そのおかげか、ハケはずいぶんと手になじんだ。


「――お、上手い上手い! 塗装関係だって言ってただけあるね」

「とは言っても、塗る対象が違うけどね。

 ハケ塗りすることはあっても、あまり頻繁ではないし」

「どう言うこと? 塗装とか以外で、そんな作業あるっていうのかい?」

「俺がやってたのは、例えば道にこんなのを描いて――」


 進次郎はそう言いながら、無垢の木板の上に等間隔で横の線を描き始めた。

 それを見たクレアは絶句し、『正気か』と言わんばかりの表情を浮かべた。


「み、道にこんなのを描くってのかいっ!? ただの落書きじゃないか!」

「こ、これはあくまで簡単なゼブラ……【横断歩道】だからっ!?

 それに大体四十五センチ幅で引いていく、もっと大きいもんだよ」

「ぜ、ゼブ……おうだ……?」

「【横断歩道】――これみたいに、縞模様で引いていくのをゼブラって言うんだ。

 他に色んな種類があるけど、これは歩行者が道路を渡る、横断するためのものだな。

 これが無かったら歩行者が向こう側に渡れないし、事故る可能性だってあるからさ」

「……とすると、馬車はどうやって進むのさ?」

「進む・止まれの指示を出す信号がない所だと、人が横断中は停車、途絶えたら進行――かな」

「へぇ……なるほど。妙ちくりんだけど、なかなかいい案だね。

 “はしご”の絵と直行しているのが道だとすれば、こうして私がアンタのいるところへ――」


 クレアは言うなり、皮のブーツのまま板面を踏みつけた。


「ちょっ、ちょっと!?」

「な、何でっ!? どうして足が勝手に――っ!?」


 クレアは驚愕の表情を浮かべながら、唖然と固まってしまっている進次郎の下にやって来た。

 進次郎の眼前には彼女の股ぐらが、ゆっくりと視線を上げると、口を開いたままの彼女と目が合った。


「な、何でわざわざ踏んで行くの……?」

「違うっ!? あ、ありえないっ、ありえないからっ!

 わ、私が、私が……商売道具を踏みつけるわけないじゃないかっ!?

 シンジのところに行こうとしたら、あ、足が、足が勝手に動いたんだよっ!?」


 しっかりと白い靴跡を残す看板に、クレアはおろおろろとうろたえ続けている。


「な、何で……何で……」

「まぁ、一度くらい、そうしたい気持ちになるのは分かるが……」

「ち、違うっ! ありえないっ、ありえないのっ!

 私がこうして商売道具を――」


 ひょいと足をあげた直後……鬱蒼とした山道に、彼女の悲鳴のような叫びが木霊した。

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