第1話 暴走、王女クリアス
運命の日、当日。
リーランドの街に、教会の朝の鐘が鳴り響いた頃――迎えのワンコの馬車は予定よりも早くにやって来たため、進次郎の出立はバタバタとしたものになってしまっていた。
「だ、大丈夫かい? その、絶対無事に帰って来るんだよ?」
「ああ、大丈夫――だと思うが、クレアのためにも絶対に帰ってくるよ」
「ば、ばか!」
クレアは赤くした顔をそむけたが、進次郎が顔を近づけると『うー』っと唸りながら、それを受け入れてくれる。
恋人同士となってからと言うもの、二人はずっとこんな感じであった。
“星めぐり祭”の時も、初めはギクシャクしていたものの、進次郎が思い切ってクレアの手を握ったのを皮切りに、二人はしっかりと恋人をやっていた。そして、帰ってからは朝寝するまで求め合う――この日も、空が白み始めた頃にようやく眠りに入ったのだ。
ワンコはそんな微笑ましい光景に『ウォンッ』とひと吠えすると、隣の倉庫からイヴが瞼をこすり、大あくびを浮かべながら進次郎の見送りに出てきていた。
「仲がよろしいことじゃ、ふぁっ……ああ……」
「い、イヴっ!? ずいぶんと早いな」
「当たり前じゃろ。
お主が留守の間は、アタシが子守りしてやらにゃならんからのう。
ま、五体満足で帰ることじゃ。最悪でも生きて、早く帰ることじゃな。
長く家を空けたせいで浮気に走っても、アタシは止めないのじゃ――」
「うっ……は、早く帰るからな、クレア」
進次郎は心配そうな目をクレアに向けた。
「な、なんだいその目はっ!?
私がそんなことを……その、アンタ以外の、男に靡くはずないじゃないか!」
「そ、そうだよなっ! なら――」
「うー……仕方ないね――」
二人が再び唇を合わせようとすると、突然馬車からドンッと床を強く踏みつける音が起った。
――中の要人をすっかり忘れていた
進次郎とクレアは背中に冷や汗を浮かべながら、ぎこちない挨拶を交わし離れた。
馬車の扉が開かれ、その中には面覆いをしたシスターが乗っている。その正体は、この“計画”に必要不可欠な存在――王女・クリアスなのだ。
いそいそと体裁と取り繕いながら馬車に乗り込んだ進次郎であったが、覆いから覗く冷たいじと目に、ただただ素直に謝罪するしかなかった。
馬車の窓には黒いカーテンが掛かっていて暗い。しかし、彼女の白い目はハッキリと分かる。彼女自身も独身……浮いた話やどこかの国との縁談も受けていない。本人にそのつもりがないのだが、他人のイチャつきは見るに堪えないものなのだ。
「――もう少し自重してくださいまし」
「す、すみません……クリアス王女」
「しっ! どこに聞き耳を立てているか分かりませんので、決してその名前を呼ばぬよう……。ここでは、クーリとお呼びを」
「え、ええ……分かりました、クーリ様」
「“様”は不要です」
「なら、そうですね……“依頼主との現地調査”のていなので、クーリさんでどうでしょうか」
「それで結構です――」
これは女王にも伏せられている、“極秘計画”なのである。
クリアスはどうしてここまで秘密裏に動くのか、と進次郎は気になっていた。
祭り初日の“襲撃”の件もそうであったが、その翌日の“五老”の一件で女王周囲の者ですら信用ならないことが分かった。
役所や企業の名を騙る者は『から来た』ではなく、『の方から来た』と言う――それを思い出した進次郎は、ヴァンの『城の方から来た』との言葉に、胡散臭さを感じ、一挙一動をじっと観察していたのである。
これは偽物だ、と分かったのは彼が『主君の発議だ』と言ったことだ。
クレアの保護は聞いていたが、その言葉を発したのは横にいるクリアス王女であり、彼女自身の使い――ダヴィッドあたりが来るはずだ、と進次郎は考えたのである。
「――貴方の考えは正しいですわ。シンジ殿」
それをクリアスに話すと、彼女は大きく頷いてみせた。
「母の取り巻きは全員、嘘で塗り固めた存在と見て良いでしょう。
“女王の盾”・ダヴィッドもそうです――貴方もあまり信用しすぎぬように」
「そ、そうなんですかっ……!?」
「これは母の指示でもありますが――彼は元々大公領の者、パイプ作り・維持のために、この国の情報を流しているのですから。
そんな母のため、ルビー――いえ、自らの娘を好色漢の愚か者に売り渡す……そのような無意味なことのために、あのシルヴィアを使うとは……愚の骨頂ですわ」
「せ、政略結婚かと思ってましたが……まさか、それ以上のことが?」
「それ以下、ですわ」
ふん、と面白く無さ気に鼻を鳴らした。
ダヴィッドの娘とは仲が良かったのか、預かり知らぬところでそんなことをされたのが許せないようである。
のっぴきならぬ不機嫌さを醸し出す王女に、進次郎は思わず馬車の窓にかかるカーテンの隙間から、街の様子を窺った。
街は“星めぐり祭”の後片付けに大忙しであり、商人たちの馬車が所せましと路肩に停められていた。
「――貴方のおかげですわね」
「え?」
「祭りの日はいつも、三日ぐらいせねば元の道には戻らなかった――それが、ごらんなさい。馬車はきちんと停めるべき場所に、進むべき方向に、貴方が設けた“ルール”に従っているでしょう。
これなら、恐らく二日もかからず全員撤収できるでしょうね」
「で、ですが、私が設けたのは……」
「わずか、でも構わないのです。それを見て『この世界には、そのようなルールが存在する』と思わせることが必要なのですよ」
クリアスは、面覆いの下でふっと唇に笑みを浮かべたようであった。
思わず見とれてしまうほどであったが、そこに感じたのは鋭敏さではない。
スッと細められた、煙水晶のようなの彗眼に、背筋が凍てつくかと思えるほどの冷たさを目に湛えていたのである。
進次郎はそこで気づいた。
――目的地への道中に、“国政”があるだけだ
彼女は民のためのにしているのではない。
国政を担う者の意図など、一般人には知り得ないことだ。
彼女は住んでいる世界、見ている世界は違う。それを第三者が口に出したところで、釈迦に説法をするようなものである。
結果的に上手く回っているのだけで、目的のためならば手段を択ばない冷徹さがとてつもなく恐ろしく見えた。
だが、その冷たい瞳を見せたのは一瞬だった。
リーランドの城門をくぐった時には、もう温かい人間味が感じられる物に変わっていた。
「そう言えば、貴方もこの“星めぐり祭”で“一番星”を見つけたようですね」
「え、あ……ご、ご存じでしたか……」
「あんな暑っ苦しいものを見せられれば誰でも、ですよ」
「あ、あはは……お恥ずかしいところを……」
「まぁ、当日から知っておりましたが……サー・ダヴィッドの慌て方、その後の安堵の表情と“怪我人と死亡者”の報告も受けておりましたしね」
「し、死亡者っ!?」
進次郎は思わず肝を冷やした。
イヴやワンコたちがクレアの追っ手を痛めつけたと言っていたが、まさかそれが原因だと思うと気が気でなかったのだ。
死者は一人だけ。八人は病院送り、その内の四人は“肛門裂傷”だった――と言う。
「教会の地下で発見された時はまだ、死んでおりませんでしたがね。
頭の中がやられたようなような症状で、もはや喰うことも飲むこともかなわぬので、“お星さま”になっていただきましたの」
「そ、そうでしたか……」
「それに、“目の者”からの報告では、ずいぶんと熱っぽい男女のやりとりだった――とうかがい、翌日らもさぞ幸せそうであったと聞いておりますわ」
王女の言葉に、“空は見ている”と胸に手をやっていた。
周りも幸せになるようなものであった、との言葉に多少は救われたものの、どこかで少し自重しなければならないと己を戒める。
そんな様子に、クリアスは『ふふん』と得意げに鼻を鳴らし、悪女のような目で進次郎に流し目を送った。
「ま、そのような幸せ絶頂な二人であれば、問題ないですわね」
「問題……ですか?」
クリアスはそう言うと、ごそごそと鞄の中から大きな布を取り出した。
仮眠でもするのかと思っていた矢先――おもむろに修道服の後ろのボタンをプチりと外し、男の目の前であられもない姿を晒し始めたではないか。
「――ちょ、ちょっと!?」
「あら、別に構わなくて? まさか、付き合い始めの恋人がいるのに、わたくしの裸に見とれたり欲情はせぬでしょうし」
「ぐっ……」
面覆いを外した彼女は、悪魔の笑みを浮かべていた。
その見た目、年齢に相応しい白いシンプルな下着を堂々と見せつけてくる。
進次郎は見てはならぬと言い聞かせるが、彼女の魅惑的な身体つき、男を狂わせるような薔薇の香りに、頭が眩みかかってしまっていた。
香水は恐らく修道服の裏か、身体のどこかにつけていたのだろう。それが体温で熱され、ふわりと香り立たせる。
「いくら下着好きな貴方でも、私のような小娘のを見ても悦ばないでしょう」
「そ、そりゃあな――」
「あ、そう言えば、さっきお手洗いに行ったからシミが――」
「き、汚いぞお前っ!?」
出発前の仕返しなのか、これが彼女の本来の姿なのか……。
はた迷惑な彼女のいたずらに、進次郎はただクレアに謝罪の言葉を述べ、耐え続けるしかできなかった。




