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第8話 星めぐり祭(男と女)

 瞳を閉じ、惚れた男の唇をそっと受け入れる――。

 “女の本能”によるものなのか、この手のやり取りにまるで縁の無かったクレアであっても、その流れはごく自然と行えた。しかし、その後は“彼女次第”だ。

 唇が離れると、あまりの恥ずかしさからか、クレアは進次郎の胸の中に顔を埋めた。

 後ろで結ばれた赤い髪を揺らしながら、唸りか何か分からない声をあげている。

 小刻みに震えているが、涙を流しているわけではないようだ。


 そんな彼女の華奢な身体を、進次郎は優しく強く抱きしめた。

 相当動き回ったのだろう。暗闇の中でも分かる“赤い衣装”がじっとりと汗で濡れており、ほのかに香る石鹸の匂いの中には、むわりと女の匂いも入り混じっていた。

 それに不快感はまったく感じない。むしろ、もっと欲してしまうほど“雄性”を刺激するフェロモンに満ちている。

 普段は作業服姿かシャツばかりなので、セイズ村を思い出すような服装をしている新鮮さもあった。

 その時、進次郎の頭の中でふっと何かが思い浮かんだ。しかし、喉まで出てきたその名前が出て来ず『うーん……』と唸り続ける。


「ど、どうしたんだい……?」

「えぇっと何だっけ……その赤い着物、えぇっと……」

「……」


 クレアは顔を埋めたまま、思い出すのをじっと待っていた。

 答えようかと思ったものの、これを自分で言い出すことは(はばか)られるからだ。

 もし思い出せなかったら、今日はふて寝してやろうかとも考えている。


「喉まで来てるのに、えぇっと……駄目だ、胃まで戻るんじゃない……っ!」


 進次郎がうんうんと低く唸るたび、クレアの身体に低い振動が伝わってゆく。

 それがとても心地よかったため、できるならもう少し思案していて欲しいと思ってしまっていた。……が、現実は思うようにゆかない。


「そうだ! <スワ>だ、それに似てるんだ!」

「あ、あまり大きな声で言うんじゃないよ……っ!」

「あ、す、すまん……でも何でまた、そんな“花摘み祭り”のような――」

「……」


 進次郎は言いかけて止まってしまう。

 セイズ村の“花摘み祭り”は、“花”に見立てた女を連れ帰り、愛でる祭り――クレアは、数日前の“約束”に合わせようとしていたのである。

 それと同時に、最後まで解けなかったワンコの暗号【花と手と糸】、イヴの『衣装は“未完成”』との言葉の意味も、ようやくそこで分かった。


「もしかして、その着物って……リュンカちゃんから貰った、“留め紐”が使われてる?」

「…………」


 クレアは押し黙り、目を伏せたまま小さく頷いた。


「もしかして、その貰った紐って……“二つで一組”の意味もある?」

「…………」


 クレアは再び小さく頷いた。


「…………」

「…………」


 つかの間の、静寂――。


「か、帰るか……」

「…………」


 顔を真っ赤にしたクレアは、ほんの数ミリ……誰も分からないぐらい小さく頷き、手をすっと差し出した。緊張のせいか身体が強張ってしまい、進次郎に引っ張られるようにして家路につく。

 セイズ村の“花摘み祭り”は、自宅に持ち帰るまでは誰の物ではなく、横から力づくで奪ってもよいルールだ。

 もう“花”を横取りに来る者はいないだろう。だが、そうと思うと気が急いてしまい、“自宅”まであと数十メートルであっても、果てしなく長く感じてしまう。

 自分の足で歩いていないような感覚だった。会話は何一つないが、されても困る。


 やっとのことで辿りついた“自宅”は、懐かしくもあり寂しくもあった。

 騒々しい“子供”がいないのもあるが、昔からずっとあった“何か”が無くなっていたのだ。


(ごめんね、父さん――)


 それは、ずっと“心の拠り所”となっていた父親の面影であった。

 いつも座っていた場所、いつも決まって大あくびをしながら降りてくる階段……帰るたびに頭のどこかに浮かんでいた父親の姿が、今はまったく浮かび上がらない。

 代わりに浮かぶのは、彼女の手をとる男――クレアはそこでやっと分かった。


 ――ああ、こう言うことか


 いつだったか、クレアは父親に『親離れして、憧れの独り暮らしをしてみたい』と言ったことがある。

 父親はそれに大笑いし、『親離れとは、親元を離れて暮らすことだけが全てではないぞ? 親の存在が不要になった時がそうなのだ』と話してくれた。

 当時は何と親不孝なことだと思ったものの、今ではそう言うことではなかったのと分かる。それは、親から愛した者へ……心を委ねる存在が変わることなのだ。


「――クレア、大丈夫か?」

「え……? あ、ご、ごめん……大丈夫だよ」

「そうか。その、とりあえず……何か飲むか?」


 気がつけば、頬に一本の水筋を作ってしまっていたようだ。

 ぐっと赤い袖でそれを拭うと、進次郎の視線の先・テーブルの方に目を向けた。

 テーブルの上には、水から幾多ものエール酒、栄養ドリンクのような物、それだけでなく、携行食の<バブラ>までも並べられている。


「……余計なおせっかいだね、あのお子ちゃまも」

「ははは……」


 クレアは迷いなく水が入った竹筒を手に取ると、それを一気にあおり喉を潤した。

 走りっぱなしで喉がカラカラになっていたのもあるが、その後の緊張が最大の原因だろう。ほぅ……と息を吐いた時、こっそりと口臭のチェックを行う。

 あのドワーフの幼女は、どこまで気が回るのか――竹筒の中には、ミントとレモンが入っていたらしい。口の匂いもそのスッキリとした物となっている。

 蜂蜜も入っているのか、ほのかな甘みが疲れた身体を癒してゆくようであった。


 ――このあとは


 クレアは横目で進次郎を見た。

 向こうも同じことを考えていたのか、横目同士で目が合う。

 互いに気まずい間であった。

 進次郎は覚悟を決めたかのように、水をぐっとあおり『よし』と小さく口にした。


「――そ、その……疲れたから、そろそろ上にあがる……か?」

「そっ、そうだね!」


 その誘い文句もどうなのかと思ったが、彼自身も何を喋っていいのか分かっていない

 。

 だが、二人には飾り立てた言葉などは不要だろう。進次郎を先頭にして、狭い木板の階段を踏み鳴らしながら二人は階段をあがってゆく。


 ・

 ・

 ・


 クレアのベッドが、ギッ……と軋みをあげた。

 部屋は外よりも暗く。二人が踏み入れた時は、窓を覆っている桟板の隙間から、僅かな月明かりが差し込んでいるだけであった。

 ベッドに居るのはそこの主・クレアのみ。進次郎はランプに火を灯すと、その足で自分が使っているベッドのマットの下をまさぐった。


「――あったあった」


 腕を抜いたその手には、赤い紐が握られている。

 二人分の重みに、ベッドがギィィ……と大きく軋みをあげた。


「これ、いったい何の意味があるんだ……?」

「そ、その……<スワ>の“留め紐”は、渡す相手によって色んな意味が変わるんだよ……。

 親にあげたら『これを着て嫁に行くことができました』ってお礼に、女にあげたら『次に選ばれるのは貴女ですよ』っておまじないで――」


 クレアは言いにくそうに言葉を詰まらせた。

 息を整えながら、ゆっくりとその意味を口にする。


「対になってるそれを、男と女に渡したら……その『二人の仲が進展します』って、その意味で……。

 互いに結んだらその……ふ、二人は……」


 顔を真っ赤に、しどろもどろになっているクレアの様子から『その人と結ばれますよ』との意味だ、と進次郎は予想していた。


「――どこにあるんだ?」

「あ、うん……内側の、ここに……」


 クレアは脇で結んでいる紐を解き、震える手で着物の表側をわずかにまくった。

 すると、ちょうどその表布に隠れる場所に、下側の一本の紐がだらりと垂れているのが分かった。

 進次郎はそれを確かめるように手に取ると、


「ちょ、ちょっと……」

「だ、だめなのか……?」

「いや、その……ダメじゃないけどさ……

 それを“結ぶ”って意味は、その……意味がもっと深――」


 クレアが言い切る前に、進次郎は迷いなく自分のを堅く結わえた。


「う、うぅ……ほ、本当にいいのかい……?」

「構わないよ――」


 ランプはジッ……と音を立て、橙火が周囲の闇を押しのける。

 光と闇がせめぎ合い、二つの合わさった影をユラユラと揺らし続けた。


「もっと若い子は一杯いるけど……私で……後悔、しないね?」

「ああ。俺はクレアしか見えない――」


 クレアの瞳が橙火の中でキラキラと輝いて見えた。

 肩に手を添え合い、再び唇を求め合う。離れては合わさり、合わさっては離れて……今度は長く、じっくりと互いを確認するかのような口づけを交わし合った。


 肩に添えられていた女の手は、さながら相手との距離を取る最後の砦ようであった。

 口づけを交わす度に、それは徐々に下ってゆき――ついに砦が陥落してしまう。

 屈すれば、後は侵略者にされるがままだ。水音を何度も響かせながら、蛇の如く男の手がするりと女の背に絡みついてゆく。

 女は完全に男に身を委ねている。着物の内側……脇腹のところで結ばれている紐を片手で解き、ゆっくりと女の右側の衣をはだけさせた。


「~~――ッ!」


 夢にまで見た行為でもあるが、大事故を起こすかもしれないと思うほど、血が高速で巡っている。

 手で思わず隠してしまう。目の前の男に覗かれたことはあっても、こうして堂々と見せるのは恥ずかしくてたまらなかった。

 この日のためにと、イヴに選ばされた下着・レースの飾りがふんだんにあしらわれた純白のブラ――ランプの灯りを反射し、それが橙色に光っている。


 それを見た進次郎は、もう抑えが効かなかくなった。

 荒々しく反対側の衣をまくりあげると、彼女の形のよい胸が露わになった。

 彼女の小さな制止も聞こえない。ランプによる陰影がそれをより立体的に見せ、これでもかと言うほど雄の本能を掻き立ててくるのだ。最後の理性は、優しく彼女をベッドの上に横たえた所で尽きた。

 そこからはもう獣となり、女の首筋から鎖骨、豊かな丘陵のふもと……味わえる場所を全て唇で味わい始める――。

※次話は、本日(4/1)19~20時頃に更新します

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