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第6話 星めぐり祭(虹のきらめき)

 イヴの呪詛は、事務所の中でも響いていた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っーー!! あの阿呆二人はもぉぉぉぉっ!!」


 事務所に戻ってくると、留守番しているはずのクレアがいなかったのである。

 風呂に行ってそこで着替えたのか、彼女がその日着ていた作業服や下着などが入った紙袋だけ――まさに()()()の殻となっていた。

 予定では、クレアは夕方の鐘が鳴るまでワンコと留守番をし、進次郎の帰りを待つことであった。

 今は宵の口。その進次郎は行方不明、ここに彼女がいないということは、一人で行動をしていることになる。


(うーむ……木の葉を隠すなら森の中、あの服は目立つと言っても他の連中も着飾っておるしのう。

 わんわんの鼻を頼っても、この人ごみと美味そうな匂いの中じゃ嗅ぎ分けるのも難しい……どこかに、ピンポイントで見つけ出せるような人物がおれば――)


 イヴはふとある人物が思い当たった。

 しかし、その者がいるのは城の地下――この人ごみでは、そこに向かうことすら困難だ。それに城までたどり着いたとしても、中に入れるとも限らない。

 しかし、それはあくまで人間に限った話だ。


(事情が事情じゃ、<巨神兵>も許してくれようよ)


 イヴは人の居ない区画に向けて歩を進めた。

 ドワーフの彼女には、彼女なりの方法がある。このリーランド街はかつて、ドワーフの王国があった地――ここの地下にはまだ、彼らの地下道(ホーム)が残っているのだ。



 ◆ ◆ ◆



 その頃。赤い“衣装”を纏ったクレアは、“自由区”の路地裏でじっと息を潜めていた。

 陽が暮れ、緊張の面持ちで進次郎を待っていたのもつかの間……不逞(ふてい)の輩の存在を気取(けど)り、すぐさまここに駆け込んだのである。


『いたか!』

『いや、いない!』

『くそっ、勘のいいババアだ!』


 ババアと言った奴は絶対に殴ろう――そう心に決める。

 声の様子、足音からして結構な数が集まっているようだ。

 遠のいてゆくそれを聞きながら、ほぅ……と安堵のため息を漏らした。

 “期待”から“不安”へ――胸は早い鼓動を打ち続け、正面に浮かぶ真っ黒な壁にはチカチカと星が広がっている。


(三人……いや、四人かね……。

 まったく、こんな時に厄介なのに目をつけられたもんだ……)


 瞬きするたびに光るそれは、夜空に浮かぶ幾千もの星のようであった。


(空だけならロマンチックなんだろうけどね……。

 シンジ……早く来て、私を見つけておくれよ……)


 胸元で拳をぎゅっと握りしめ、手の震えを無理やり抑え込んだ。

 男社会の中で育ってきた彼女には、ガラの悪い者の気配や獲物を狙う目線などが分かるようになっている。それでなくとも、道の前後から肩で風を切りながら一直線に向かってくるチンピラが見えたのだ。警戒して当然である。

 二人程度なら立ち回りもできなくない。周囲に人の気配がまるでないと言えど、大きな声で言い争えば、近くにいる者や《コボルド》が聞きつけるはず。

 だけど、今日だけはそうしたくなかった――。

 この日は彼女の一世一代の大舞台。そのための“衣装”を纏っている。争いごとなどを起こすのはもちろん、それを破られでもしたら、全てが台無しになってしまう。


 ワンコは昼過ぎまでだったのもあり、帰るついでに進次郎に伝言を届けさせた。

 誰もいない事務所に戻るのは危険だと判断したクレアは、進次郎の姿が見えるまで“そこ”の近くで潜むことに決めていたのだ。

 多少のケチがついてしまったが、これぐらいならまだ許容範囲だろう。

 はぁ……と、大きく息を吐いた時、彼女の正面にぼんやりと人影が見えた。


 ――やっと来た


 そう思ったのがマズかった。

 迂闊にも良く確認しないまま顔を上げてしまう。


(しまったっ……!? わ、私としたことが……)


 暗闇を隔て、“そこにいる男”と目が合った。

 月明かりの薄ぼんやりとした群青色の闇の中、追っ手の顔や服装までは分からない。

 だが、向こうからすれば<赤い服の女>と言うのは、大きな目印なのである。

 そして、それは暗闇の中でも目立つ――クレアは迷わず路地の奥に向かって駆けた。


『いたぞっ! この道だっ!!』


 背後から大きな男の声が響いてきた。


 ――全部で五人いた


 最後の一人は遅れてやってきたのか、見失った場所に戻ってくると踏んだのか――。

 一度探した場所を再び探さないとの心理を利用したのだが、彼女の気の焦りが自らの居場所を知らせてしまった。

 右に左にと真っ暗な路地を、路端のバケツなどを蹴っ飛ばしながら走り抜ける。

 幼い頃はよく走り回っていた道だ。仲間の声を聞きつけた追っ手は右往左往しながら、迷路のような路地をさまよっている。


(――これならいけそうだね!)


 余裕を感じているクレアであったが、彼女が知っているのは昔の道――二十年強の歳月は、“自由区”の街並みを大きく変化させていた。

 道も人も記憶のままであるとは限らない。目的の大通りに出ようとすればするほどに、そこから遠のいてゆく。

 ついには方向感覚まで分からなくなり始め、いつしかその反対方向に向かってしまっていた――。



 ◆ ◆ ◆



 同時に、進次郎も追っての手から逃げている最中であった。

 元々から“かくれんぼ”などが苦手な性質である。オニがやって来て気づかないのを見ると、ついほくそ笑んでしまうのだ。

 教会の出口が見えた時、それで思わず()()()()()()しまい、気取(けど)られてしまった。

 クリスティーナは『囮になる』と、走る速度を緩めて別方向に走ったのだが……


(何で全員こっちに来るんだよォォォォォ――ッ!!)


 全員が進次郎の方に向かって来ていた――。

 別れる際、


『“雨宿り通り”を真っ直ぐに抜ければ、大通りの近くまで抜けられます!』


 と、クリスティーナは自信満々に言った。


(あいつら本当は裏で繋がっていて、脱走の安堵と絶望を交互に味あわせるのが目的なんじゃないだろうな……?)


 ――正面に広がる現実は、道がない袋小路である。

 宿の各所では、祭りが始まったばかりであるにも関わらず、“巡り合った”男女が宿の中に入ってゆくのが見える。

 ついに立ち往生してしまった進次郎の背後、広がる暗闇の向こうから、女の小さな悲鳴とそれに文句をつける男の声が聞こえてきた。

 進次郎がいる場所は、正しくは袋小路ではない。彼の目の前に、大きな酒場兼宿屋が壁となってそびえ立っているのである。


(もしかしたら、このレインボーロードの先に道がある……とかか?)


 進次郎は入るのを躊躇った。店の入り口に掲げられている旗は、万()共通であれば、間違いなくアレだろう。人によっては巨大化もし、最終ステージである。

 その扉を“開く”のではなく、新たな道を“拓く”方にもなりかねない。

 しかし、迷っている時間はないようだ。追っ手と男女がぶつかりまくっているのだろう、幾多もの怒声が暗闇の中で起り、それがだんだんと近づいて来ている。

 飛び込んでも殺されはしない――進次郎は腹をくくり、その店に飛び込んだ。


「いらっしぁゃーいっ!

 あらんっ、そんな汗だくで来てくれるなんて、嬉しいわぁー!」


 半音高い男の声が店の入り口に響いた。声はそれであるが、見た目は筋肉質のイカついバニー()()()――入口にかかっていたのは<虹の旗>、つまりはその手の店なのだ。

 ガランとした店内は甘ったるいような匂いで満たされ、奥にいたコンパニオンらしきモノも色めき立つ。

 詰め寄ってきたそれのあまりの威圧感に、進次郎は仰け反ってしまった。


「い、いや、ちょっと客じゃないんです――」

「何ィ……?」


 興味本位で来た者と勘違いされたのだろう。突然、バニー()()()の声が野太い声へと変貌する。

 もしかしたら殺されるかもしれない……背中と尻に恐怖を感じた進次郎は、慌てて周囲を見渡しながら事情を説明し始めた。


「この向こう側に道があれば……そこの扉の奥に案内して欲しいんです!」

「あぁ、そういうことぉ。ダイジョウブ、()()()()タチが優しく、扉の向こう側に広がるセカイに導いてア・ゲ・ル♪」

「違うっ!? 意味が違うっ!?

 道路的な意味で、道徳的や特殊な趣向の方じゃないから!?」

「えぇ~……でも、何かワケありっぽいわね。

 ここの皆そうだから、説明してゴランなさいなっ!」


 うふんっと唇を出すそれに、身の毛がよだつのを感じながら、進次郎は理由だけを端的に話した。

 最初は何事かと聞き耳を立てていた奥のモノたちも、次第にそれに聞き入っている。


「――なるほど、つまりはこの向こうにいる恋人……いや、想い人が狙われていて、助けに行かなきゃならないのね」

「え、あ、その……」

「こんな状況で必死になるのは、想っているってシ・ョ・ウ・コ!

 どうでもよかったら、そんなオトコがいきり立ったりはしないわよ~」


 奥のモノたちも立ち上がり、腕を組みながら大きく頷いてみせた。

 これまでそれがハッキリしておらず、曖昧だったのだろう。彼女|(?)の言葉に、進次郎は心のどこかにすっとするような、ハマるところにハマったような感覚を覚えている。


 ――クレアのことが好きだ


 進次郎は、ようやくそれが分かった。

 それは情欲が始まり、不純な物である可能性もある。

 しかし、きっかけは何であっても、彼女に惹かれているのは事実だ。

 そうだと分かると、自然と顔が引き締まった。


「うんっ、イイ顔! 悪者たちは()()()()タチが()っつけておくわよ~。

 よし、〔ジャック〕――ッ! この人を裏口に案内してやれ!」

「ウス――!」


 野太い体育会系のようなやり取りに、進次郎は『コンセプトを統一しろ』と思いながら、ジャックと呼ばれた男の跡についてゆく。



 ◆ ◆ ◆



 進次郎が裏口に消えた直後、店に四人組のチンピラが乗り込んできた。

 彼らもこの店が何であるか知らなかったのだろう――入るやいなや、その店の雰囲気・物々しさにたじろぎ、後ずさりを始めている。

 しかし、すぐに後ろに回り込んだモノが後ろ手で扉に鍵をかけ、その屈強な身体で退路を塞いだ。

 言葉を失っているチンピラの中、一人が必死で口を開いた。


「あ、あの……」


 彼らの正面に立つバニー()()ル《・》は腕を組み、ジロりとそのチンピラを睨みつけながら、重く低い野太い声で叫び始めた。


「人の恋路を邪魔する奴はァーッ!」


 それに続いて、周囲のモノたちが続く。


()()()られてェーッ!」

()っちまえーッ!」


 飢えたケダモノたちからすれば、チンピラも可愛い野兎にすぎないだろう。

 この日は男も女が出会う夜――“星めぐり祭”はまだ始まったばかりである。

 宿屋の中では、男たちの嬌声(だんまつま)が響き渡っている。

※次の7話は、23時ごろに投稿します

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