第5話 星めぐり祭(介入者)
イヴが建造中の教会にやって来た時には、もう手遅れだった――。
そこには作業途中の、蓋が空いたままのペンキ缶と、白いペンキがついたハケが転がっているだけ。作業は半分ほど終わっており、最後の塗りかけのペンキは既に乾き始めていることから、“事件”が起ってから結構な時間が過ぎていることが分かる。
イヴは呪詛を口にするや、大声で進次郎の名を呼び周囲をくまなく捜し始めたが、返事は期待できるものではなかった。
日が傾き始めてもなお、進次郎を見つけることはできなかった。
すぐに駆け付けたダヴィッドも捜索しているものの、“祭り”にやって来た人でごった返し始めた王都でそれを探すのは、砂漠の中で一粒の砂金を見つけるようなものである。
彼らにできることは、門に検閲所を設け、出てゆく馬車を一つずつ探してゆくしか有用な手がない。
いらぬ心配をかけさせぬように、と双方ともクレアには報せていない。……そのため、彼女も予定外の行動を取っていることを知るのは、途中まで一緒に居たワンコだけであった。
◆ ◆ ◆
そして、その進次郎はと言うと――。
「……ぐっ、な、なんだ……ッ!?」
真っ暗闇の中で目を覚ますと同時に、身体の自由が効かないことに気づいた。
起き抜けの頭では何が起こったのか理解できていない。身体が縛られていると分かったのは、身をよじった際、後頭部にずきりと痛みが走った時であった。
「ぐっ……な、なんでこんな――」
「よう、目覚めたか」
飄々とした男の声が響き、進次郎はビクりと身体を震わせてしまった。
誰もいないと思っていた暗闇の中に、薄ぼんやりと影が浮かんでいた。声で男と分かるだけで、ハッキリと分かるのは、“灰色の輪郭”が椅子に腰掛け、縛られている男を見下ろしていることだ。
「おい、この手紙の意味は何の指示書だ?」
「指示書……?」
暗闇の中で、カサリ……と音が起った。
起き抜けの頭ではあるが、“指示書”なんてものなどまるで覚えがない。
“設計書”はもらえどと、首を傾げた姿に男はイラ立ったように大きな舌打ちをした。夜目が効くのだろう。薄暗い中でも、その眼に鋭く睨みつけているのが分かった。
「しらばっくれるんじゃねぇぞ! お前が持ってたメモだろうが!」
「持ってたメモ……? ああ――」
それは、作業を始めてからすぐ、ワンコが持って来た“伝言”である。
クレアかららしいのだが、《コボルド》は人間の言葉を発することができない。そして進次郎は“この世界”の字が読めない。
なので、彼なりに伝えようとした結果の――【菊の花・戸・鉈・馬車・部屋から出る人・松】、一番下には【赤い花・手・紐】の絵が描かれた紙切れであった。
祭りに行きたいからヒントはない、と言った様子で去ったワンコの背を見送り、しばらく何のことかと首を捻っていたその時――突然、後頭部に衝撃が走ったのだ。
(その直後に何か被せられて、引きずられて行ったんだっけ……)
力の入らぬ身体で最後に感じたのは、二人に抱えられながら冷蔵庫のようなヒヤリとした空気に包まれた場所に入って行く感覚だった。
作業現場付近でそのような場所は、一か所しかない。
(ってことは、ここは建造中の教会の中か……?)
周囲を見渡すも、音も光明もない絶望的な暗闇である。
正面の男は、進次郎が冷たい石の床から頭を持ち上げたのを見るや、椅子をわずかに前に寄せた。
「お前、王女様と会ったそうじゃねぇか、ええ?
これは、そのイイ女からの“作戦指示書”――大公への攻撃命令の物なんだろ?
何て書いてあるんだ? 言えば命だけは助けてやっからよ」
「――内容は知らん。それを解読する前に、お前らに殴りつけられたんだし」
男は再び忌々し気に舌を鳴らすと、奥からガチャガチャと音を立て始めた。
拷問でもする気か、と進次郎は背筋に氷が張るような冷たさを必死で堪えていると――。
「これで、読めるだろ」
橙色の灯りが闇を押しのけ、そこに潜む者の姿を浮かびあがらせた。
正面にいた男は、言うなればチンピラであった。派手な服を着ており、抵抗できない小動物を痛めつけるような目つきをしている。懐からは短刀の柄が覗き、胸ポケットには別のメモらしき紙があった。
男は、手にしているランプを進次郎の眼前に近づける。闇に慣れた目には、ぼうっとした弱い橙火でも焼き付くような眩さをしていた。
「くっ……」
「おら、さっさと読め」
ガラスの筒の中で揺れる光が、ちりちりと肌を炙る。
読めと言われても、進次郎にはまったく意味が分からないのだ。
いつもはワンコの吠え声やジェスチャーなどがあり、絵で伝えるにしてももう少し分かりやすい物である。なのに、今回のに限ってはまさに“暗号”だった。
(わざわざ菊と花で描き分けているんだから、“はな”って読むわけじゃないな。
ってことは、最初のは『きっか』か?
で、その読み方からして――『と』『なた』『ばしゃ』『でる』『まつ』か?
きっか、と、なた、ばしゃ、でる、まつ――)
最後の二つは分からないものの、続けて読んでいく内に、進次郎の中で何かが浮かび上がった。
【きっかけ と なった ばしょ で まつ】
これはきっと、“星めぐり祭”の待ち合わせ場所なのだろう。
しかし、その“きっかけ”が何のことなのか、全く思い当たらない。
「どうやら分かったようだな。いったい――」
「意味が分かって、その意味が分からなくなった。どういうことなんだ……」
思案に耽る進次郎に、男は蔑ろにされたと思い込み、苛立った様子で横たわる進次郎の顔を蹴り上げた。
「ぐっ……!」
「ふざけんじゃねぇぞっ!」
男の怒声と共に、口の中に金属のような味が広がった。
理不尽なそれに、ふつふつと怒りが湧き上がって来るが、手が縛られていては反撃どころか抵抗すら不可能である。
「――てめえのツレの女が来たら話すか? ええっ!」
「な、何だと!」
その言葉に、進次郎は手首に縄が食い込むのを感じていた。
何度も手首をねじったせいで、薄っすらと血が滲み始める。それでも縄を解こうともがく。
擦れるたびに焼けるほどの熱さと、手首がもげそうなほどの痛みを伴っているが、クレアを助けにゆけるのならそれも厭わない覚悟だった。
誰でもいいから早く助けに来い――進次郎はそう思っている。
「ははっ! まぁそんな慌てなくても、仲間が捕えに行ってるからよ。
それまでにそのメモの内容を教え――……」
「な、なんだっ……お、おいっ……!?」
男は糸が切れたマリオネットのように、突如として膝から崩れ落ちた。
ランプの橙火を見つめているが、その眼は焦点があっていない。
受け身も取らず頭から倒れたせいで、男の頭部から血が流れ出していた。その顔の近くの埃が小さくチラチラと揺れ動いているので、生きていることだけは分かる。
何が起こったのかまるで分からない進次郎であったが、これは絶好のチャンスであろう。
芋虫のようにモゾモゾと這い、縛られた手を男の胸元に浮かぶ黒い影に伸ばした。
それでも起き上がる気配がまるでない。このままこと切れるのかと思えるほど、男は静かに横たわっている。
「い、いったい何なんだ……?」
切れ味の悪い刃で縄のロープを擦り切ると、進次郎は手首を撫でながら、その持ち主である男を静かに見下ろした。
先ほどの“礼”をしてやりたいところであるが、この状態では憚られる。
どうやって脱出しようか、と思った時――
『進次郎さん』
重厚そうな鉄の扉の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「その声……まさか、クリスティーナかっ!?」
『……はい。非常事態だと分かり、急いで馳せ参じました。
扉には鍵がかかっていませんので、すぐに脱出しましょう』
逃げられることを想定しないなかったのか――彼女の言った通り、鉄の扉は小さな軋みと共に、あっさりと通路への道を開いた。
「ご無事で何よりです」
その部屋の正面には、修道服を着た金髪の女・クリスティーナが立っていた。
ランプの灯りが壁を照らす中、彼女はふわりと優し気な笑みを浮かべている。
「いったいどうしてここが――」
「それよりも、まずここから脱出することにしましょう。
他の仲間も戻って来ていますので、ランプを消して私の指示に従ってください」
「他ってことは……クレアは!」
「しっ……! 動いているのは二班――ここにいるのは、貴方を捕える方だけです」
クリスティーナの言葉に、進次郎は安堵の息を吐いた。
(“反女王派”と“大公派”――敵の敵は必ずしも味方とは限らないが、敵からしてもそれは同じなのか……?)
一枚岩ではなさそうだ、と進次郎は思いながら、足音を立てずに歩み始めた彼女のあとを追ってゆく。
『息をできるだけ小さく、細くして、授業中の先生に当てられないような感じで気配を殺してください』
クリスティーナは壁に背をつけながら、虫よりも小さいような声で告げた。
これが彼女の真の姿なのだろうか。“幽霊”のように音を立てず、陰から陰に移りゆく彼女の姿は、まるで“暗殺者”であった。
※祭りの話が長いので、明日(3/31)・明後日(4/1)は二話ずつ更新します




