第3話 花を摘むのは
――いつか来ると思っていたが
思っていたよりも早く、その時がきた。
トマスはすぐに手紙を書き始め、十日の内に返事が来るだろうと告げた。
それからと言うもの、進次郎は焦燥に追い立てられるようになっていた。
「十日内、往復で二十日と考えて……約一ヶ月か」
自身に残された、この村の滞在期間である。
この世界の郵便事情は不明であるが、普遍的な交通手段である馬車で十日とすれば、容易く行き来できるような状況ではないはずだ。
「住めば都、とはよく言ったものだな」
この日も診療所の外に出ては、目的もなくぶらぶらと村を散策していた。
セイズ村は開拓村であるらしく、木を格子状に組んだ柵の向こうには鬱蒼とした木々が立ち並んでいる。もう見慣れたはずの光景であるのに、その心には、さむざむとした孤独感があった。
ほぼ間違いなく、ここを去ることになるだろう。
決めた覚悟が揺らぐことはないが、現実味を帯びてきた離郷の念に、心中は複雑であった。
トマスやリュンカは、まるで家族の一員であるかのように接してくれた。
トマスは『礼は不要だ』と言うが、それでは自分自身に納得がゆかぬ。
いつまでもただ飯食らいに甘んじているわけにはいかず、ゆくゆくはここで農家の手伝いをしながら……との考えはあったし、実際そのつもりでいた。
跡を濁さぬためにも、この村に滞在している内に何らかの形で“恩返し”をしなければならない、と考えている。
「うーむ……しかし、何をするべきか……」
顎に手をやりながら、低い三角屋根の建物が並ぶ通りを歩く。
太陽はすっかりと高くまで登り、各々の仕事に村の者たちが忙しく動いている。
黙考していたせいだろうか、進次郎は井戸に繋がる飛び石に気づかず、足を引っ掛け、つんのめってしまった。それを見ていた赤い着物の女が、くすくすと笑った。
進次郎は熱を持った顔を伏せ、逃げ去るように早足気味に歩いた。
いつの間にか店が立ち並ぶ通りに出ていた。
農業で生計を立てているだけあって、店先には鎌や鍬、鋤の他には、ざるや木おけ、ブラシ……など、農業に携わるものが多く並んでいる。
記憶にある形状のままのそれに、進次郎は『世界が違っても、物の基本構造はどこも同じになるなのか』と何度も頷いた。
そのすぐ近くにある八百屋の軒先にも、見慣れた野菜や食材が並ぶ。違うのは呼び名だけだが、“トマト”などの聞き慣れた食材名も中にはあった。
(やはり鳥獣肉が多め、魚に関しては並んでいる方が珍しいくらいか……。
野菜も米などはなくて、小麦文化みたい――ん?)
魚は淡水魚か、川魚か――海が近くにあるかどうかと魚屋を探そうとした時、進次郎の視線の先に、見慣れた黒いワンピース姿の女が立っていることに気づいた。
「リュンカちゃん」
「はい? あ、シンジさん! お散歩中ですか?」
茶色の長い髪を揺らしながら、ふわりと優しげな笑みを浮かべた。
医療などに従事する者は、リュンカが着ているような洋服タイプを着る。色は特に決められておらず、黒色なのは彼女の好みであるようだ。
買い物をしていたのだろう、彼女が手にしているカゴの中には、トマトやナス、キュウリなどの大量の夏野菜が入っていた。
「うん、ちょっと考え事しててね……良かったら持つよ、重いだろ?」
「え、あ、お、お願いしますっ。少し買いすぎちゃって……」
どこか妙な顔をしているリュンカに、進次郎は不思議に思った。
彼の疑問を感じとったのか、店先の女将がニヤニヤと笑みを浮かべている。
「リュンカは、ウィルの店だとつい買いすぎちゃうからねぇ。うふふっ」
「えっ、おお、お、おばさんっ!?」
「ウィル?」
「おや、知らないのかい? ウィルはリュンカの幼馴染で、想い――」
「わーっ!? わーっ!? だめっ、だめぇーっ!?」
顔を真っ赤にし、大きな声でそれを遮るリュンカに、進次郎は察しがついた。
ここセイズ村の女たちは、だいたい十八歳前後で結婚するとトマスから聞いている。
しかし、リュンカは二十一歳。……にも関わらず、未だ未婚なのだ。
気立ても器量もよい彼女は、決してモテないことがないはずなのである。
それにしては男っ気が感じられないと思っていたが、どうやら心惹かれている存在がいるから、らしい。
進次郎は納得したように何度も頷いた。
「なるほどなるほど……」
「な、何を納得しているんですか――っ!?」
慌てる彼女を微笑まし気に見ている女将であったが、ふいに顔を曇らせた。
「でも、二人は今年で二十一歳。
このままだと、“花摘み祭り”に参加しなきゃならないんだろう……?」
「ええ……ですが、この村の“きまり”ですし」
リュンカも重々しげに目を伏せた。
「“花摘み祭り”……?」
「おや、この村にいて知らないのかい?
この村では年に一度、二十歳を越えた男女を引き合わせる催しが開かれるんだよ」
「ああ、婚活パーティーみたいなものか」
「こ、こん……?」
「いや、こっちの話――でも、やはりそう言うのがあるんだな」
「アテのない男や女には、ありがたいものだけどね……」
女将の言葉に、進次郎は何かを悟った。
恐らくはカップルであれば免除されるが、二人はまだ――つまり、その催しに参加しなければならない。恐らくは強制的に伴侶を選ばされるような何かが、待ち受けているのだろう。
女の口から言うのは憚られるのか、女将はそれ以上は話そうとはしなかった。
・
・
・
その日の夕方――。
昼間のことが気になった進次郎は、トマスの部屋を訪ねていた。
部屋には大きな本棚があり、上から下まで重厚な書籍がずらりと並んでいる。ほとんどが医学書の類なのだろう
進次郎から話を聞いたトマスは、それらの背表紙を眺めながら、少し重たげに口を開いた。
「――リュンカとウィルが想いを寄せ合っている、とは知っていたが……。
そうか、“花摘み祭り”があったな……」
「その、“花摘み祭り”ってのは何なのです?
未婚の男と女を引き合わせる催しらしい、とは分かるのですが……」
「うむ。その通り――ようは、規模の大きなお見合いだ。
昔は親同士が決めた婚姻が多かったのだが、時代遅れだとそれを廃したのだが……若者たちはこれまで受け身だったせいか、互いに踏み込めぬ若者が多数いたのだ。
そこで、“祭り”と称して、きっかけを与えてやろうとしたのが始まりだった」
「それだけ聞けば、良い祭りに聞こえますね」
「うむ。概念は問題なかった」
トマスはゆっくりとした口調で、祭りの内容について話し始めた。
祭りは、<スワ>と呼ばれる赤い着物を纏った女を“花”に見立て、男がそれを探し“摘み取る”――いわゆる、“大人のかくれんぼ”に近い。
この村の未婚の女は、茶色に近い赤い着物を着る。
それは“種子”を模しており、花が咲くとの意味合いを込め、婚礼の日や祭りの日を境に鮮明な“赤色”に変わる――いわゆる元服などの、成人の儀に近いようだ。
進次郎は納得したように、何度も頷いた。
「――だが、そこからが問題でな。昔ながらの慣習と言うべきか……。
“花”に選ぶ権利はなく、“見つけた者”に権利が与えられるのだ」
「てことは……早い者勝ち、と?」
「簡単に言うと、その通りだ。
しかし、早くに見つけたからと言って、その者の物となるとは限らない」
「と、言うと?」
トマスは分厚い本が並ぶ本棚の横、チェストボードに視線をずらした。
天板の上には、仲のよい三人の……温かい家族のポートレートが飾られている。
「自宅に持ち帰るまでは、誰の物ではない――。
つまりは、男をぶん殴って“花”を横取りしてもいいんだ……」
「何でいきなり、バイオレンスな内容になるんですかっ!?」
そこでようやく、女たちが顔を曇らせた原因が分かった。
好きな者と結ばれるための祭りではあるが、『好きな』との言葉の解釈が人によって変わる、とんでもない内容なのだ、と。
「その何だ……元々は無かったのだよ。
ある事件を発端に、長老が『男はもっと荒々しくなくてはならん。これをルールに取り入れる!』と発案してな……」
「は、反発する者は居なかったんですか……?」
「もちろんあった。
しかし、“花”を愛でるのは男の自由だが、添い遂げるかどうかを決めるのは女にある――。
女も大っぴらに“愉しめる”夜になるため、反対派も強く主張する事ができなかったのだ」
「なるほど……確かに許されているのなら、淫悦に興じたいものですしね……。
それで、そのきっかけとなった事件と言うのは?」
そう言うと、トマスは座りを直すと、何かを思い出しながら話し始めた。
「ある年の祭りの夜の話だ――。
ある男は、幼い頃からずっと傍にいた“花”を探していた。
しかし、それは別の男も狙っていた“花”でもあったんだ。
その男は卑劣にも、暗闇に乗じて幼なじみの男を襲った――」
トマスは重々しく息を吐くと、再び言葉を紡いだ。
「ようやく起き上がり、“花”が待つ場所に駆けつけた時……それは、ちょうど襲ってきた暴漢に連れられようとしていた時だったんだ。
他の者はいない。“花”は『許して、離して』と懇願するが、その“花”を狙っていた暴漢は聞く耳を持たなかった。
幼なじみの男の足は、完全に竦んでしまった。
喧嘩もしたこともない者に、挑む勇気は湧かなかったが……“花”と目が合った瞬間、男を突き動かしたんだ」
進次郎は、彼の言葉をじっと聞いていた。
重い声はいつしか、美しい思い出を懐かしむような穏やかな物に変わっている。
「ボロボロになりながらも、彼は“花”を掴み取った――。
それを聞いた者が感動してな……その、なんだ、ルールに取り入れようとな……」
「その男って、もしかして――」
「……私だ」
「アンタが原因じゃないかっ!?」
進次郎は思わず突っ込み、トマスは遠い目をしながら『これが因果か』と呟いた。