第2話 類は友を呼ぶ
光を取り込めるように設けられた幾多のガラス窓から、明るい光が差し込んでいる。
「こ、こほん――改めて、よく参られました」
時代錯誤の女は居住まいを正しながら、そう口にした。
見た目は進次郎よりも遥かに若く、やっと二十歳を迎えたかのような若さである。
一言で表せば、美しい少女であった。檀上の椅子に腰を下ろし、堂々と正面の男を見据える彼女の姿に、進次郎は美しさを感じるよりも僅かに早く、どこかで見たことがあるようなデジャヴを感じていた。
まるで獲物を見つけた鷹のように鋭い眼、それに負けぬ目鼻立ちがハッキリとした端整な顔立ちは、まさに“若き女王”と呼ぶにふさわしく、一度見れば忘れ得ぬ印象を与える。
気だるげに、手櫛で金色の細い髪をかき上げる姿は、見る者全てを魅了しそうなほどの印象を残す。顔が上気しているのは、先ほどまで踊っていたからか、“黒歴史”を見られたからか分からない。
もしそれが無ければ、完全に心奪われていたかもしれない――中身は“女王”にはほど遠い、と進次郎は感じていた。
「シンジロウ・カムロ……でしたわね。合っていまして?」
「はっ! お初にお目にかかります。私は……あれ、どうして――?」
「<巨神兵>を動かせる者なのですよ? 名や素性を調べぬわけがないでしょう」
その言葉に、進次郎は『やはり城は全て掌握していたのだ』と思った。
特別おかしくは感じなかった。国の守り神でもある<巨神兵>が、城の意思ではない所で動くのだ。国を動かす立場の者であれば、誰でも調べるはずだ。
だが、これでハッキリしたこともあった。
――<巨神兵>を動かせる者・<イントルーダー>は、城の中にいる
となれば……いでたちからして『王女がそうである可能性が高い』と考えられた。
「さて……わたくしが貴方を呼んだのは、ただ話し相手を求めたわけではありません。
折り入って、お願いしたいことがあるのです」
その言葉に、進次郎は顔を引き締めた。
いくら進次郎が特別な存在であっても、国の頂点に立つ者がこうして簡単に謁見を許すはずがないのである。
物事には裏がある――改めてそれを思い知らされていた。
「単刀直入に申し上げます。
シンジ殿は、この王都近郊に《ケンタウロス》が移住しきているのはご存知ですね?」
「は、はい――以前見かけ、一悶着ありました」
「なるほど、既に“被害”に逢われていれば話が早いです。
彼らの行いは目に余るものがあり、機が熟した今のうちに捕らえたいのです。
しかし、問題はあの者たちは腐っても武の者……練度の低い、平和ぼけした我が国の兵士を動かせば、間違いなく甚大な被害が出ることでしょう。それを聞きつけ、大公側が決起でもすればそれこそ本末転倒です。
母・アリスの退任の時期に、そのような無駄な犠牲は避けたい――」
時期が時期である。
城に対する不満を抱かれないようにしたいのだろう、と進次郎はゆっくりと頷いた。
「《ケンタウロス》族は全く別の文化を持っているため、肝心の<巨神兵>が動かせません。
ですが、貴方は違います――限定的ではありますが、<巨神兵>を動かすための力を持っています」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ……!
王女の言いたいことは理解できましたが、いくら<巨神兵>を動かせる言っても、相手は文化が違うから罰せられぬ者……私が決めた“ルール”で拘束できるとは限らないのではありませんか……?」
「仰ることは尤もです。恐らく普通にやれば、彼らをシバきあげることはできないでしょう。
しかし、貴方の能力と私の権力――この二つを以ってすれば、完璧に彼らに“ルール”を適用させることが可能になります」
「王女の権力……?」
「《ケンタウロス》の族長と直接対談を行い、彼らに北の土地を与える偽りの約束を取り付けております。
私らが彼らに乗り、彼らを《ケンタウロス》の一団としてではなく、リーランドの者として移動することで、連中をこの国の“法”に従わせるのです」
「待ってっ!? 『私“ら”』って何っ!? “ら”って!?」
とんでもない計画であった。国のためであれば、我が身すらも犠牲にするのかと関心したのもつかの間、そこにどうしてか進次郎まで計画に含まれているのである。
冷や汗を感じると共に、目の前の少女はやはり“王族”なのだと思い知らされる。
このような計画は、一日や二日でできるようなものではない。
進次郎の存在や、その持ちうる能力などを知っていなければできないことなのだ。
「そ、その目的とはいったい……?」
「あまり多くは語れませんが、嫌われ者にも利用価値がある、と言うことです。
敵対する者も多いですし、そろそろ私も姿勢をハッキリと示しておかねばなりません」
平然と述べられた言葉であるが、進次郎はどこか冷たい物を感じ取っていた。
この王女は、必要とあれば切り捨てられる非情さを、利用できると分かればピエロにもなる強かさを持ち合わせているのだ。
そう思うと、時代錯誤な格好がとてつもなく奇妙に映る。
本当の姿・腹の底が分からない彼女に、進次郎は『これが国を動かす者か』と恐ろしく感じていた。
「あの《ケンタウロス》は、アッシー君には最適なんですがね……」
「利用価値ってそれ……?」
ほう、と息を吐く王女に、進次郎は即座に前言撤回した。
「それで、その日なのですが。
花金と<星めぐり祭>をゆっくり過ごしたいので、明後日でどうでしょうか?」
「その日は絶対にダメです。と言うか、受けるとも言ってません」
「あら? ならば、報酬の諸々や寝屋を共にする方の保護は必要ない、と?」
「寝屋をって……く、クレアのことか!?」
「他にいれば、ですがね。この国、この城にも信用ならぬ者がおりますから。
ただでさえ、この城の重臣と直接接触を重ねているのに加え、王女と会う……これでマークされぬわけがないでしょう。現に利潤を求める者が、彼女に目をつけていますからね。
それに、敵も決定打となる物を得られていません。次第に手段を選ばなくなってくるであろう連中から、誰が彼女を守りきれますか?」
「ぐっ……」
王女は肘掛けを支えに頬杖をつき、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
最初から断れぬ状況を作り出されていた――自分自身のことは構わないが、クレアを巻き込ませるわけにはいかない。
「だから明後日――」
「その日は駄目です」
「むぅ……強情ですね……」
そこに関しては絶対に譲れぬ進次郎であった。
「なら、五日後の<星めぐり祭>の翌日にします。
その代わりに、報酬に関しては作戦の成功をもって――でいいですわね?」
「はぁ……分かりました。それまでに必要なことは?」
「相応の覚悟、だけですね。落馬はぶつけられるよりも強烈ですよ」
「風邪引きたい……」
進次郎のボヤきは聞き入れてもらえず、目を瞑った王女は背もたれに体重を預け、大きく息を吐いた。
それは謁見の終わりを意味するものであり、進次郎は静かに頭を下げると踵を返した。
しかし、黒檀の扉に数歩進めた所でぴたりと足を止め、王女の方へと向き直った。
「――最後に、一つだけ教えてもらってもいいですか?」
王女は眉一つ動かさず、ただじっとそこに鎮座していた。
答える気はない、と言った様子だ。それでもなお、進次郎はダメ元で言葉を続けた。
「貴女は、<イントルーダー>なのですか?」
王女は微動だにせず、ぷっくりとした唇を閉じ合わせている。
最初から期待していなかった。進次郎は再び扉に向いた、その時――
「私は、<イントルーダー>などではありませんよ」
背後から小さく、幻聴にも思えるような声がした。
進次郎はそれに振り返ったが、そこに居たのは物言わぬ少女が鎮座するだけである。
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その日の夕方――城内の様子などは決して口外せぬよう念を押され、進次郎はやっとの思いで事務所に戻って来られた。
長い緊張の連続で疲労困憊であったものの、飛び出してきたクレアの表情を見た途端に、その日の疲れは全て吹き飛んでしまったようだ。
しかし、その後すぐにクレアからの質問攻めにあってしまい、結局疲れたことには変わりなかった。
「――王女のお付きとは、大役を任されたものじゃな。
しかも、《ケンタウロス》共をしょっぴく……アタシも行きたいのう」
「ど、どうして断らなかったんだい! 死んじまったら元も子もないんだよ!」
クレアを盾に取られているとは言えず、交換条件にそれを提示されたとだけ進次郎は話した。
その時に、帰る方法らしきものを得られる――と付け加えて。
「そう……やっぱり、クリアス王女は知っているんだね……」
「知っていそうで、知らないようで……なかなかのタヌキだな。
要求だけ出されて、こっちが求める物は何も教えちゃくれなかった」
進次郎の言葉に、イヴは当然だと顔を向けた。
「それくらいしたたかでなきゃ、一国の長は務まらんのじゃ。
一度だけ見たことあるが、あの女の腹は地下坑道よりも暗く、深い――見た目に騙されたら駄目なタイプじゃの。
奴の目は人ではなく、遠く広い世界を見ておる。
その気になれば、自らの手でドレスを赤色に染め上げることもできよう」
イヴの言葉に、進次郎は大きく頷いた。
王女を演じているのは分かるも、あのバブリーな格好は、恐らく彼女自身の趣向なのだろう――そう思いながら、何気なくポケットの中に手を突っ込んだ進次郎は、指先にカサリ……と何かが触れたのを感じた。
「ん? 何か……って、これ捨てるの忘れてたな」
「それ、王女様と話した時のメモかい?」
「いや、帰りがけに案内してくれた侍女長の落とし物なんだけど――」
それは謁見室から退出した時、扉の前で控えていた侍女長が落としたメモ書きであった。
落としたと言っても『差し上げます。不要であれば適当に処分しておいて下さい』と言われただけで、彼女は受け取ろうとはしなかった。
ゴミ箱もなく、取り敢えずポケットに突っ込んでいたのをすっかり忘れていたのである。
手を伸ばすクレアに、字が読めない進次郎は反射的にそれを渡した。
「可愛らしい文字だね。なになに――」
クレアはそれを読むなり、顔に火がついたかのように真っ赤になってしまった。
怒りとも取れる震えを見せ、進次郎は思わずたじろいでしまう。
その脇から、イヴは手紙を覗き込んだ。
【私のご主人様――貴方の優しい言葉と、それに反した視線と仕打ち……私の身体はもっとそれを求めてしまっています……。どうか、このいけない豚をもっと躾けて下さいまし。連絡先は――】
イヴがそれを読みあげると、女たちの冷たい視線が進次郎に突き刺さった。
「お主はいったい、城でなーにをして来たんじゃ……?」
「シンジ――どう言うことか、説明してもらえるかい?」
「し、知らんぞっ!? 会話っても二、三しか交わしてないし、仕打ちって何もしてないぞ!?
ま、まさか、あれか!? 扉の前でずっと頭下げさせてしまったあれか!?」
「なるほど……そんなことして愉しんでたんだね?」
「違うっ!?」
類は友を呼ぶ――王女の真の姿は、あの踊っている時の変人であり、彼女の取りまきもまた変人なのだと進次郎は直感したが、それを知らない女たちに理解させるのは至難の業であった。




