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第7話 ミラーの設置

 それから五日ほどが過ぎた。

 教会に設けた【停車帯】は特に問題も起こらず、教会側からの評判も良かったものの……“中流区”一帯の御者からは『不便になった』との不満が出ているようだ。

 勝手な連中だよ、と文句言うクレアと共に、この日も進次郎は次の現場に向かっていた。

 朝から空に薄雲がかかる中、ようやく【標識】設置に必要な支柱も全て揃い、依頼のあった“自由区”の交差路での作業にあたっていたのだが――。


「うう……こ、これをあと何箇所やるんだい……?」

「あと二箇所……かな?」


 クレアはげんなりとした表情を浮かべ、大きく息を吐いた。

 防腐処理が施された柱は数日前に届いた。しかし、これを差し込むには石畳に円柱状の孔を開けねばならない。

 それ自体は問題なかった。問題があるとすれば、イヴが持って来た掘削機の“音”が厄介な問題だった。

 鈍色の六枚の分厚い刃が筒状に重ね合わされ、その真ん中には中心点からズレぬよう、釘のようなニードルが伸びる。

 それを地面に突き刺し、多角に折れ曲がったハンドルを回せば、刃が硬い石畳に食い込んでゆく――進次郎はそれに『コアドリルとアイスドリルが複合した物』と思ったのもつかの間――石と金属の刃がこすれ合う、身体中の産毛がすべて逆立ってしまうほどのノイズを立て始めたのである。


 ――ヒステリック(スクリーム・)女の(オブ・)叫び(バンシー)


 黒板を引っ掻いたようなこの石の悲鳴を、イヴはそう呼んだ。

 騒音の原因は、水を使わないことにある。“元の世界”でも支柱を立てるのに、幅十センチ、深さ三十センチほどの孔を開く。この時、コアドリルと呼ばれる掘削機で掘るのだが……タンクから吸い上げた水を、ドリルにまとわせながら掘る。イヴはそれをしなかったのである。

 既に二本立てているものの、これにはクレアや進次郎も顔をしかめ、離れて警備しているワンコに関しては、白目を剥いて痙攣まで起こしている。


「何じゃ、後二つだけか。あと四つぐらい余計に掘っておいてもいいじゃろ?」


 イヴはそう言うと、クレアに本気の目を向けた。

 ドワーフは音があれば歌う。この金切声にもリズムをつけて歌っていたのだ。


「ダメに決まってるだろう!? その耳障りな音、どうにかならないのかい!」

「えー……これがいいんじゃろ。ノコギリで引く音とか、最高じゃのに」


 くり抜いた孔に柱を差し込みながら、イヴは唇を尖らせた。

 既に立てた白い柱とは違い、黄色く塗られたその先には丸い鏡が取り付けられている。

 初めは『こんな物、いったい何のために必要なのか?』と眉根を潜めたクレアであったが、立てられたそれに納得がいった表情を浮かべていた。


「角に鏡を設置すれば、角に馬車がいるかどうか分かるってことなんだね」

「そそ。それで交差点を示す【十字】と【停止線】を引けば完成かな」

「うーむ……面倒くさいのじゃ。

 突っ込み合って、生き残った方が正しい、でいいじゃろうに……まったく……」

「そ、そうもいかんだろう……。

 住人たちの安全を守るための、“ルール”がまったくない状態なんだから」


 それにイヴは眉をひそめ、唇を尖らせた。


「そこがおかしいのじゃ。この国はどう言うわけか、交通に対する“ルール”作りを全くやっておらん。

 あっても、人を撥ねたらダメ、道じゃない道を行ってはダメ程度じゃし。車体の半分乗り上げて停車する奴もおるしの……。それが今になって、パタパタとやり始めおった」

「……それは、シンジが解決案を出したからじゃないのかい?」

「確かにその通りじゃが……。

 この国はまるで、“知識を持つ者を待っておった”かのように感じてのう……」


 イヴはそう言いながら、細かな角度を調整を終えた柱と穴の隙間に鋲を打ちこみ、ガッチリと固定したそこに、セメントのようなものを流し込んで固定し始めた。

 それを手伝っている進次郎も、彼女の言葉に同感であった。

 ここの世界の者も馬鹿ではない。爆発的に成長したのが最近であったとしても、今設置している【カーブミラー】などは、遥か昔に誰かが思いついていてもおかしくないものだ。

 馬車文化かある国は、手にしたムチがすれ違い際にあたらないようにと右側通行になっていると聞いている。この国は馬車文化であるにも関わらず、城は左側通行を指示してきた――。

 交通“ルール”が無いのは、どこかで誰かが止めていたのかもしれない、と考えていると……通りの向こうから、見慣れた男がやって来ていることに気づいた。

 いつもの覇気がなく、それがダヴィッドだと気づいたのは目と鼻の先にやって来た時である。


「――ダヴィッドさん、いったいどうしたんです?」

「ん? どこか変かね?」

「いえ、何か浮かない様子でしたので……」


 ダヴィッドは一瞬顔を曇らせたが、すぐにまたいつもの毅然とした表情に戻した。


「ああ……ここの所、城でも色々あってね。少し疲れているのかもしれないな。

 まぁ、私のことはいい。依頼していた仕事の進捗具合はどうだ?」


 それに、代表であるクレアが前に躍り出た。


「はい。ステッド教会の分と、“自由市場”近くの駐車禁止、それとここの交差路への図示と鏡の設置が終わり……残りは十ほどです」

「ふむ、考えていたより早いな――。

 例のシールであるが、先日からの一件以降渡せていないので、ここでまとめて渡しておこうと思う」

「はい、ありがとうございます! シンジ――プレートを」

「あ、ああ、えぇっと……これだな」


 進次郎はポケットから財布を取り出すと、クレアに“罰”となるカードを手渡した。

 ダヴィッドはそれを受け取ると、ペタリ……ペタリ……と、ハート模様のシールを四つ貼り付けてゆく。


「……あれ?」

「む、どうかしたのか?」

「いえ、受けた仕事の数とすれば、貼るのは三つのはずでは……?」

「ああ、一つはウィザムの村の分だよ。あれは、我々も頭を痛めていたからね。

 それによって、ルーレットが回り始めた――これは、クリアス王女からの褒美だ」

「クリアス王女……って、もしかして、シールを発行してるのも王女なんですか!?」

「おっと、口が滑ってしまったな。とは言え、来週には分かることであったが」

「来週……?」


 いったい何のことか分からず、進次郎は首を傾げた。


「『ハート五つで謁見のチャンス』とあっただろう?

 今回のシールでちょうど五つ――クリアス王女が謁見の場を設けてくれるのだ。

 来週、朝の鐘の後に迎えに参ろう」

「え、えぇぇぇっ!? い、いきなり謁見って言われても、いったいどうすれば……」

「はっはっは! 心配はいらんぞ。

 あの方は、かなり変じ――かなり常識に捉われないお方だ、いつも通りで構わん。

 だが、会う覚悟だけはしておくのだな。これは、クレアにも言えることだが――」


 ダヴィッドはそう言うと、驚いた表情のまま固まっているクレアに微笑みかけた。

 クレアは下唇を噛み、何も言わず小さく小さく頷いた。進次郎にはまだ分からなかったが、彼が王女と謁見すると言うことは、『帰る方法が見つかる』か『絶望に打ちひしがれる』かのどちらかしかない。

 いずれにせよ、これまでのような“真実”から目を背けた生活が終わりを告げるのだ。



 ◆ ◆ ◆



 その頃、リーランドの東端に位置する大公領・ラウェアの城の中は騒然としていた。

 長い楕円形の机、最奥の席に座る黒衣のローブ姿の男を中心とし、周囲には似た姿の者たちが十二の席を埋める。

 その内の二席の者は立ち上がり、顔を真っ赤にして今にも爆発しそうなほどの怒りに身体を震わせていた。


「ジョアンよ――残念だが、火がおこした“煙”は真実であったようだな」


 低く冷たい声であった。最奥の男の前には、公文書とは思えないほどの可愛らしい便箋が一通、静かに置かれている。

 それは、クリアス王女からの書状であり、ダヴィッドが“五老”に告げていた内容がそのまま綴られていたのだ。

 多くの者は『やはりか』とため息を吐いた。だが、“嘘であることを祈っていた者”たちには、“真実”を目の当たりにし、耐えがたい屈辱を味わっている。


「ずいぶんと強気な娘よ。ここで“戦争”を仕掛けても良いが、それでは奴らの思うつぼ……そちらの倅は擁護のしようもないため、これを呑むしかあるまいな」

「ぐっ……で、ですが、これは明らかな挑発行為ですぞっ!」

「そ、そうでございますっ! 息子の件は監督不行き届きではありましたが、こ、これでは……!」


 目深に被ったローブから、最奥の男の目がギラリ……と光った。

 それに、他人事のように構えていた者たちも、蛇に睨まれた蛙の如く身を縮み上がらせてしまう。


「どうして要求を呑むか? それが、煮え湯なら考えよう。

 だが――王族の小娘は、湯冷まし程度のものしか要求していないからだ。身体には良い」

「〔ラガン〕様――そ、それはつまり……」

「つまり? こうまで言わねば分からんか。

 お前たちは、必要ない、のだ。分かったらすぐに出てゆき、小娘の要求のままに動け」


 ラガンと呼ばれた最奥の男は、そこで言葉を切った。

 彼はまだ若い大公に代わり、家臣を全て束ねる者であり、この大公領の実質的支配者であった。

 “告げられた者”は。頭が破裂しそうなほど怒りと屈辱で顔を真っ赤にし、血がにじむほどの握りこぶしを作る。

 しかし、それを誰かに揮うことも出来ない。できると言えば、椅子を蹴り飛ばし、重苦しい重厚な扉を乱暴に開くことぐらいであった。


 シン……とした空気に包まれ、最奥のラガンは“残された者”たちにこう告げた。


「――次は、お前たちの番だぞ?」


 その言葉にピリッと張りつめた空気が漂い、“残された者”たちは一斉に目を伏せた。

 作戦の失敗の代償は、時間と共に重くなる――重い沈黙の中で、己の首をたださするばかりである。

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