第6話 住む世界の違い
影が短くなる頃。クレアと進次郎は、中流層が住まう区域にやってきていた。
喧騒に包まれた“自由区”とは違い、落ち着きを感じさせる閑静な佇まいの住居が均等に立ち並ぶ、整然とした区域であった。
青を基調とした屋根の色も関係しているのだろうか。配列のみならず、高さまで統一されている石造りの並びは、ジリジリと照り付ける陽の光を感じさせない、冷たい印象を与えてくる。
「“自由区”と違って、ここは随分と静かな街だな」
「私はあまり好きじゃないよ……なんと言うか、全員が“他人”って感じがしてさ」
半目でそう話すクレアに、進次郎は『確かに……』と頷いた。
服装も“自由区”とは違い、男女共に落ち着いたローブ姿の者が多く見受けられる。
特に、道を歩く女は“淑女”と呼んでもさしつかえのない者が多く、クレアのように大きな口を開けて喋るような女はまず見かけない。
街並みがそうさせるのか、人間が街並みを作るのか――二人を一瞥する者の目にも、“場違さ”を感じさせる、冷ややかなものが混じっていると進次郎は感じていた。
「なんか、歓迎されてない感じがするな……」
「ここの連中からしたら、私らは奴隷のようなもんだよ」
“中流”と言っても、“自由区”の住民と比べると倍近い収入格差があるのだ。
それに、“自由市場”で店を構える者の多くは、この“中流区”の住民から権利を借りており『“自由区”の者たちは、“カモ”と見られていても仕方ない』と、クレアは話す。
「中流が末端から金を吸い上げる、か……正しい構図っちゃ、構図だな」
「アリス女王が“自由区”の税金を軽減してくれたおかげで、何とかなってるね。
大公側がやってた時なんて“自由区”の住民全員が暴動を計画したほど、酷い課税を掛けてたらしいよ」
女王はその尻拭いに尽力してきたと言っても過言ではない、と続けた。
「そういう時は、裏があったりするもんだが……。
一番わりを喰う中間層、ここの住民らから不満は出ないのか?
実際、末端よりそこが一番大事だろ?」
「ここの住民にもそれなりに恩恵与えてるみたいだから、そこは平気じゃないかな?
最近では“自由市場”の向こうに教会を建てるのに、大量の寄付金を募ってたけどさ。
裏で何らかの便宜を図って貰えてると思うよ」
「教会を建てる……? ああ、そう言えば“自由市場”にも大量の作業員がいたな」
「うん……」
ふいにクレアの顔が曇ったことに、進次郎は気づいた。
「何か、いわくでもあるのか?」
「父さんから聞いた話なんだけどね……。二十年ほど前、大火事で教会が焼け落ちてシスターが焼け死んだ事件があったんだけど、それに『アリス女王が関与している』って噂が流れたらしいんだよ。
私は当時まだ世情・世論なんかより、今日はどこに遊びに行こうか、勉強をどうサボるかと考えてばかりだったから、『何か大人たちが騒いでるな』って程度だったけどさ。
今回の教会の建設は、それらの“懺悔”ではないか、噂は本当だったのではないかって話がね……」
「王家の裏庭には、赤紫の花が咲く――ってことか」
やはりどの世界にも後ろ暗いものはある、と進次郎はしみじみと感じていた。
今回の依頼があったのは、その火事の後に建造された【ステッド教会】からである。
内容は【駐車区画】の設置――馬車の路上駐車は構わないものの、教会側が運営する、乗り合わせの馬車が停車できないため、『入口前の道に専用の場所を設けて欲しい』と言った内容だった。
主に身体が不自由であったり、遠くから来ている者が利用するため、そこに横付けされると非常に困る、とのことのようだ。
図面を見ると、建物正面部分の道が二メートルほど下げられていたため、“くぼみ”に蓋をするような形で十五センチ幅の【破線】を引き、そこを停車帯(ベイ)にしようと計画している。
依頼のあった教会に差し掛かってくると、進次郎の胸がそわそわと踊り上がり始めた。
外見ではまったく分からないが、クレアの“女の勘”はそれを見逃さなかった。
「やけに嬉しそうだけど、アンタまさか――シスターに会えるのを楽しみにしてるんじゃないだろうね?」
「んなっ? い、嫌だなぁ……そんなこと、あ、あるわけないじゃないですかー」
「私の目を見て言いなっ! まったく、男って奴はどうしてそうなんだい!」
クレアはそう言うと、ふんとそっぽを向いた。
別に付き合っているわけでもないのだから……と思うもののどうしてか、他の男たちのように、シスターに鼻を伸ばす進次郎が腹立たしくなったのだ。
それに、昨晩から彼女の胸に引っかかっていることが、気持ちを大きくかき乱していた。
――帰り道を探し求めているのは、『帰りたい』からではない
昨晩の夢で、それが思っていたよりも深刻な“動機”であると分かった。
今の進次郎は、迷子になった子供のようなもの。『家に帰れるかもしれない』との想いが、ここで生きるための命綱なのだ。
クレアは物憂げに青々と澄み渡った空を見上げた。
このどこまでも繋がっている空も、進次郎の世界には繋がっていないだろう。もしその“綱”が繋がっていなければ、途中で途切れていれば……一体何を頼りにするのだろうか、と。
(面倒見るって決めたんだから、私がしっかりしなきゃいけないのに……)
重い大きなため息を吐くクレアの姿に、盛大に勘違いした進次郎は『何か話題を……』とキョロキョロと周囲を見渡し……一件のお菓子屋が目に入った。
「そ、そう言えば、そこの教会って孤児を保護してるんだってな!」
「……孤児?」
クレアは怪訝な目を進次郎に向けた。
確かにいないことはないが、保護しているのは隣の町の教会である。
会いたくてたまらないシスターから聞いたのだろう――と思うと、彼女の心が再び荒げかけたが、教会を間違えていることが気にかかった。
「アンタ、それ誰から聞いたんだい?」
「い、いや、その……そこのシスターさんから、ちょっと……」
「そう……」
酷く冷たい声音であったが、心の中では安堵の息を吐いている。
それと同時に、ニマリと勝ち誇ったような笑みを進次郎に向けた。
「な、何だ?」
「いや、べーつにー?
ただ『相手にされてないのに舞い上がってる男だ』って思うと、微笑ましくてねー」
「何だとっ!? そ、そんなはずは――」
「だって、ここの教会は孤児なんて保護なんてしてないんだよ?
いやー、残念だったねー!」
「ま、まさか……ならば、あの雪解けの何たらってお菓子に誘われたのも、社交辞令だったのか――」
進次郎のその言葉に、クレアは驚愕の表情と共に足を止めてしまった。
「あ、ああ、アンタッ! それ、いったい誰に聞いたのさ!」
「いや、さっき言ったシスターだけど……な、何だ……?」
クレアは周囲に誰も居ないことを確認すると、進次郎の前で身を屈ませヒソヒソと低い声で話し始めた。
『アンタがさっき言ったの、<雪解け屋根の教会>じゃないよね……?』
『あ、そうそう、それそれ!』
『あぁ、何てことだい……。
いいかいっ! 絶対にその言葉を、外で口にしてはいけないからね!
もし、それを出されても、絶・対・に・っ・口にしちゃいけないよ!』
『な、何かマズいものなのか……?』
『マズいなんて物じゃないよ――この国では禁忌のお菓子なんだよ!』
『何だとっ!?』
『あれは、<ビスコッテ>って焼き菓子で家のような物を作るお菓子。
それを食べる時、一枚ずつ崩していく様子が――さっき話した教会の消失を連想させるから、禁止になったんだよ。
だけどそれと同時に、おかしな噂が出てね……』
『お菓子だけにか?』
クレアのじと目に、進次郎はすかさず謝った。
『シスターを殺めることは重罪――教会側は、何の咎も受けない女王に、恨みを抱いている。
反女王派に身を転じた彼らは、その恨みを忘れないため、火事が起った日を<燃えた黒いバラの日>として、教会の地下でそれを作って食べる……って噂されてるんだよ』
食せば仲間だと疑われて御用……死罪にもなり得る、とクレアは続けた。
進次郎は、背筋に氷を押し付けられたような寒気を感じている。
まさか、クリスティーナがそんな組織の一員だったとは思いもせず、下手をすれば仲間入りさせられるところであった。クレアがいなければ、彼女に引き寄せられてしまっていたところであった――と。
◆ ◆ ◆
その一方、リーランド城・最奥の女王の居室では――。
疲れ切ったような様子の女王アリスと、苦い顔を浮かべるダヴィッドが立っていた。
燦々と降り注ぐ光を避けた部屋は薄暗く、ひやりとした空気に包まれている。
「私には、娘……クーリの考えが分かりません」
「娘を持つ親は、誰もそうですよ女王陛下――」
「ただの娘であれば……。
あの子は軽々しく、国の行く末を左右する領域に首を突っ込んでおります。
まるで遊戯のカードを切るかのごとく……いえ、あの子の主義主観が分かれば、それも構いません……。
《コボルド》族の時と同様、《ケンタウロス》族も仲間に引き込むのかと思いきや、今度はそれを捕えると言い始める……一貫性が無さすぎます」
「それは、私にも理解しがたいことですが――クリアス王女にしか出来ないこと、何らかの策があってのことなのでしょう」
アリスは力なく椅子の上に腰を落とし、額に手をやりながら大きく息を吐いた。
女王の退任を待っていた大公側の策謀を躱し、娘にその座を……と考えていた彼女であったが、その娘が思った通りに動かないのだ。
それは、正面にいるダヴィッドに対しても同じであった。
“女王の盾”と言えど、その忠誠心は娘の方に傾いているため、唯一信頼できる臣下であっても、発する言葉がどこまで本心であるか分からない。
内外から迫る問題に、アリスはもう疲れ切ってしまっていた。彼女は小さく頭を振ると、ゆっくりとダヴィッドに顔を向けた。
「……それと、“例の物”はまだ見つかりませんか?」
「申し訳ありません……思うような成果があがっておりません。
機が熟したため、“もう一つの場所”に探りを入れてみたいと思います」
「そう……。親としてさぞ辛い決断でしょう――」
「この国のためでございます……娘一人でこの国が救えるのならば、安いものです」
ダヴィッドは冷たく言い切ると、すっと頭を下げた。




