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第3話 女の策謀

「――で、ダヴィッド様は何て……?」


 朝の鐘が鳴ってからずいぶんと経った頃、クレアはズキズキと痛む頭を押さえながら、昨日のことを進次郎に尋ねていた。

 つい先ほど目覚めたばかりなのもあってか、着たままの薄紫のローブがきわどくはだけていることに気づいない。脚を組んで水を飲む彼女の姿に、進次郎は合わせるように生唾を呑み込んだ。


「あ、ああ、急ぎの仕事以外はゆっくりでいいらしいんだが、急ぎらしきものがないらしい」

「……どう言うことだい?」

「赤い印が入ったのがそれかと思って、イヴに読んでもらったんだ。

 だけど、『ハート五つで王女と謁見チャンス』、『新作ソース開発会のお知らせ』とか――まったく業務に関係ありそうでないものばかりだった」

「何だってっ!? あ、いたたたっ……し、新作ソースの開発会って本当かい!」


 クレアは飲みかけたグラスを止め、進次郎の方に向き直った。

 組んでいた脚を解いた際、ライムグリーンのそれに進次郎の目が釘付けにされてしまう。


「あ、ああ……確かにそう言っていたが。そ、その前に……まず服をだな……」

「え? あっ……ご、ごめんっ……」


 クレアは脚をきゅっと閉じ、大きくはだけそうになっているローブの胸元を強引に直した。

 つかの間、気まずい空気が流れたが、事務所にさっと吹き込んだ風がそれを吹き流した。


「――だけど、たかがソースにそんな赤印をつけるほどなのか?

 それで潤っていると言うわりには、市場では見ないし」

「あれ高いから“自由市場”に出ても、誰も手が出せないんだよ。

 “レッド・ソース”は自前で作れないことはないし、日持ちもしないからね。

 もう一つの、“ロイヤル・ストリート”なら保存が利くのとかも多く売ってるけど、中瓶だけで大銀貨一枚は飛ぶ――この辺りじゃ、<バブラ>とかの安価なのが売れ筋だね」

「庶民派の王女と言えど、庶民はお呼びでない、か……。

 まぁ、保存料とかもないし、すべて手作業なら製造コストがかかるのも仕方ないな」

「だけどね、開発会は別なんだよ!

 それを試食、大量に出た失敗作は持って帰っていい上に、報奨金までくれるのさ!

 しかも、お城暮らしの好待遇つき!」

「おお、それは凄いな!」


 しかし、進次郎は同時に疑問を抱いた。

 セイズ村にてトマスから聞かされた話では、機密事項だったはずである。

 にもかかわらず、貴重な資料にもなりかねない物を持ちかえらせて良いものかと。


「でも……秘密に気づいたら、死ぬまで幽閉されるんだろ?」

「……そんなの、どこで聞いたんだい?」

「ここに来る前、トマスさんが教えてくれたんだけど」

「ああ……多分それ、人づてだから大げさな話になったんだよ。

 城に行ったら完成するまで拘束されるってだけで、幽閉まではいかないよ」


 クレアは『トマス氏は少し大げさな人だしね』と、肩をすくめ苦笑いを浮かべた。


「まぁ私も詳しくは知らないけどさ……出られないってのも、結果を残したのは高待遇で働かせてくれるって話だから、帰って来ないだけじゃないのかね?」

「なるほど……一部のワードが一人歩きしたってことか」

「でも、庶民にとってのチャンスには変わりないんだよ。

 ここで参加権得られるとは、ああっようやく私にも運が向いてきたねっ!」


 クレアは声高々にそう言うと、ぐっと握りこぶしを胸の前で掲げた。

 しかし、山盛りになっている仕事を見ていない。進次郎にはそちらの方が気がかりであった。依頼書には彼女の心が折れそうな内容まであるのだ。

 ダヴィッドに提示された“苦情”は、全て何とかなりそうな物なのであるが、それには人手が必要になる――。

 同時に『そう言えば』と、クレアが起きた時に尋ねようとしていたことを思い出し、進次郎は口を開いた。


「イヴが言ってたんだけどさ」

「ん?」

「あいつここで働くらしいけど、本当なのか?」

「な、何だってぇっ!?」


 寝耳に水だ、と言わんばかりに、クレアは目を丸くしながら進次郎を見た。

 父親を病院および牢獄送りにしたので、イヴはしばらく一人で生活しなければならない。路銀も使い果たしているため、彼女はどこかで収入を得なければならないのだ。

 クレアから承諾を得ているような話しぶりであったため、それを聞いた進次郎は『なるほど』と納得し、昨日のうちに彼の“案”を話してしまっていた。

 ガタンガタンと、馬車が走り抜けてゆく音が事務所に飛び込んでくる。


「『準備する』って言ってたが、もしかして本社に問い合わせぬまま、現場で返事したのは不味かったか……?」

「半分くらい意味が分からけど、別に問題はない……と言うか、あの子は本気なのかい?」

「さあ……」


 朝令暮改の可能性も、と言おうとした時である。

 入口の方から突然『アタシは本気じゃぞ』と、覚えのある声が起こった。


「い、イヴッ!?」

「うむ。今日から世話になるぞ。アタシがいれば百人力、よろしく頼むのじゃ!」


 二人が驚き振り返った先に立っていたのは、真っ白な歯を見せる褐色肌の女の子・イヴであった。

 彼女の愛槌であるウォーハンマーを背負い、右手には進次郎が昨日見た紙袋が一つ――パンパンに膨れたそれは、着替えなど全て詰め込んでいるのだろう。

 これも持って来ていることは、つまり居候がもう一人増えることとになる。進次郎は“終わりと始まり”のようなものを、胸のどこかに感じてしまっていた。


「――別に、二人して心配しなくてもいいのじゃ。

 いくらドワーフと言えど、お主らの愛の巣箱を破壊するほど、アタシは無粋ではないのじゃ。

 先に倉庫を見て来たが、十分な広さじゃったからの。そこで良いぞ」

「な、なな、何を言ってるんだい! それに私はアンタを雇うとは――」


 クレアが言い終わるより前に、イヴは目一杯広げた小さな手を突き出した。


「修理代」

「は……?」

「なら馬車の修理代を寄こすのじゃ。アタシはびた一文まけないからの。

 ついでに“例の物”の代金もじゃな。払ってくれれば、すぐに国に帰るぞ?」

「うっ、ぐ――」

「それに、猫の手も借りたい状況なんじゃろ?

 シンジが言う“ブツ”を用意するなら、アタシの手が絶対に必要じゃし。

 あのオッサンの様子からして城で何かあった、最悪は血生臭いことも……となれば、用心棒も兼ねられるアタシを雇わぬ手はないぞ?」


 クレアは『そうなのか?』と進次郎の方を向くと、彼は黙って頷いて見せた。

 ダヴィッドのあの様子からして、周囲で深刻な事態になっていることは間違いないだろう。そこには恐らく、クレアを筆頭とした【ラインズ・ワークス】も含まれている。イヴが察知した人の気配からして、それは確実であるはずだ。

 それでなくとも、依頼された交差路や路上駐車の問題を解消するには、“モノづくり”に長けた技術者が必要不可欠なのである。


「“ブツ”って、いったい何を作ろうってんだい?」


 と、クレアは進次郎の方に問いかける目を向けた。


「ワンコの盾のような【標識】だよ。

 イヴに聞くと、盾をその都度購入していたら材料費だけで儲けが飛んでしまうらしいからな。

 自前で作って塗装しないと、労務費でマイナスってことになりかねん」

「ふむ。つまり……違反する馬車を全部ぶち壊してしまえば、違反は無くなるって魂胆かい?」

「【標識】って、そんな目的じゃないからっ!?」

「そうなれば楽しいがのうー」


 カッカッと笑い始めるイヴに、イマイチ腑に落ちない様子のクレアであった。

 このような平和な国に、ましてや身近なダヴィッドの周辺でんなことが起っているとは、にわかに信じられない。だが、進次郎の様子からして嘘ではないだろう。

 ……となれば、技術と労働者、そして用心棒の全てを担うことができるイヴは、大きな戦力となる。

 思わぬ“就職希望者”であるが、贅沢は言っていられない。

 クレアは渋い顔のまま『仕方ない……』と、静かに頷いた。



 イヴのたっての希望通り、彼女の寝床は倉庫の中となった。

 倉庫の中に適当な木箱を並べ、そこに布団とブランケットをかけただけの簡易ベッドを設けている。とりあえず寝室も案内したものの、彼女には工具や油の臭いに囲まれていた方が落ち着くようだ。

 寝床を作ったあとは、家主であるクレアと共に工具の場所の確認と片付けを行っていた。

 しかしこれらは、クレアと二人きりになる口実に過ぎない。イヴは腰を落としているクレアの後ろにそっと忍び寄ると、ぎゅっと握りしめたこぶしで『おい――』と、彼女の後頭部を小突いた。


「――痛っ!? な、何するんだい!」

「『何する』ではないわ、このたわけ! 昨日のあの無様な姿は何じゃ!」

「な、何のこと――」

「酒に酔い、シンジに運ばせた――これはまぁいい。

 それに留まらず、タコやヘビのようにウネウネ、ぐだぐだ……あれが女子(おなご)の見せる姿か! 恥を知れ恥を!

 下着の色は合わせてないし、見せるにしてもその方法に品がないのじゃ!」

「うっ……そ、そんなことしてた……っけ?」

「し・て・た・っ・!

 ドワーフにすら『酒に走った女は婚期が遠のく。酒に飲まれれば婚期を失う』って言葉があるのじゃぞ?

 そんなダブルコンボを決めてもなお、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのは、あの阿呆ぐらいじゃ」

「だ、だから何を……」

「男は標本じゃ。ピンで留めておかねば、どっかに飛び立ってしまう――。

 そのつもりがなければ、さっさと逃がすことじゃな」


 イヴのその言葉が冷たい鋲となり、胸に突き刺されたようであった。

 クレアは下唇を噛み、視線を伏せた。皆が自分の下を去ってゆく――自身の“不安”をずばり言い当てられてしまったである。

 仕事に関しては『方法さえ知れば、誰でもできる』と進次郎は言う。しかし、彼女にとってこの仕事は『進次郎がいなければ”意味”がない』気がしているのだ。


「……って、ことでじゃ。

 お主、ウィザムの村で、一人だけこっそり“イイモノ”を調達しておったじゃろ?」

「な、何でそれを知ってるのさっ!?」

「にゅふーんっ、その服を買いに行ったついでに聞いたのじゃー。

 じゃが、シンジから聞いた話からして、お主の腕でそれを扱いきれるとは思えん。

 なので、アタシが教えてやるのじゃっ! 報酬は出来高の半分でいいぞ」

「お、多すぎるよっ! ただでさえ高かったんだからねあれっ!」

「なーら失敗作を作ればよいのじゃ。いくら素材が良くとも、失敗すれば豚の餌じゃ」

「うっぐっ……」

「男を落とすには、胃袋を掴むのが鉄板――悪いようにはせんぞ? にししっ!」


 年の功か、幼い見た目の年長者の言葉に、黙って従うしか道がなかった。 

 イヴに敵いそうにないクレアは、『やはりドワーフは嫌いだ……』と、がっくりとうなだれた。

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