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第9話 帰路

 “世直し”を名乗る連中を追い払ってから二日――。

 この日は朝からしとしと雨が降っていた。灰色の雲より潤いを与えられた土は、萌える草木を香り立たせ、不快な湿気の中にも爽やかさを感じさせる。ウィザムの温泉を堪能したクレアと進次郎は、もう少し居たくなるような思いをぐっと堪えながら、シュトと村に別れを告げた。

 村を出てからしばらくすると、遠くに山々が望むだけの広大な平野が広がりを見せた。道は相変わらず悪いものの、案じていたほどの悪路でもないことに進次郎は不思議に思った。


「何か、行きよりも揺れが少ないな」

「そりゃ、修理……と言うより、改良が施されたからだよ。

 いくつかある道の中で、最も平坦な道ってのもあるけどさ」


 修理を終えたばかりの馬車は、揺れが少なく往路よりも快適であった。

 馬車の損傷はクレアの手に負えないほど酷く、その道のプロであるイヴに頼むしか方法はなかったようだ。

 応急処置ではなく修繕だった。王都まで持てばいい――と、廃材などのあり合わせの急ごしらえの品にも関わらず、馬車の出来は資産価値を上げ耐用年数を更に延ばすほどで、その場にいた全員が舌を巻いたほどだった。


「それはいいが……」


 進次郎は、目の前で遠慮なく寝転がっている子供に訝しむ目を向けた。


「――どうして、イヴまでここにいるのか」

「路銀が尽きたからじゃが?

 このアタシがタダで仕事してやったのじゃから、ありがたいと思うのじゃ。

 クレアと乳繰り合いたいから出て行け、って言うなら修理代払うのじゃ」

「そ、そんなことするかっ!」


 修理を終えるなり、何と彼女は金貨四枚を要求してきたのである。

 これがドワーフのやり口だった。要求以上の品を作っては、相応の額を求めてくるのだ。

 無論、二人はそのような金は持っていない。

 彼女はそれを見越していたのだろう。無いと言うや、すぐさま『修理代がないなら、王都まで乗せていけ』と申し出たのだった。


「直したのは破損した箇所だけ、他にもダメージがいっておるからの。

 ならば、このアタシが居れば心配はいらぬじゃろう」

「ま……確かにそうだね。この先は荒れた道が続くし」

「引き受けたからには投げ出さない。

 この馬車の面倒は、アタシが最後まで見てやるのじゃ。

 ふぁ、ああ……ってことで、眠いから寝るのじゃ。途中、どこか村に立ち寄ったら、エール酒買っておいてくれ。ワインはいらない、旅路にはエール酒じゃ……」


 イヴは大あくびを浮かべ、ごろんと二人に背を向けた。

 褐色の肌で分かりづらいが、琥珀色の眼の下には黒いクマができている。そのせいか、見た目相応の寝息をたてるまで、あまり時間を必要としなかった。

 仕事で疲れた顔を見せたくない。そんな彼女に、二人は苦笑を浮かべ合った。


「明け方までやってたようだからな……」

「彼女らは根っからの職人だからね、手の抜き方を知らないんだよ。

 作品には“低”と“並”って言葉がなく、“高”か“最高”かしかない。

 過去を上回るモノを求め続けた結果として、“並”が存在するって考えなのさ」

「真似できないことだが、その意識は見習わなきゃいけないな……」

「ふふっ、確かにそうだね。私でもたまに『この程度でいいか』って思っちゃうし」


 ドワーフは金に汚いが、良くも悪くも仕事には真剣だった。

 高額の料金を請求するのも『要求以上の品を作る』のではなく、()()()()()()のだ。予定額を受け取れば損をした気分になるので、相応の金を要求しているだけにすぎない。

 二人もそれを把握しており、イヴの我儘も『仕方ない』と受け入れていた。


「しかし、ワンコの《コボルド》やドワーフ、牛の《タウロス》か……。

 そこに持って来て、“日本”を匂わす光景……この世界はワケが分からん……」

「私からすれば、シンジはその“ニホン”って国で死んで、このリーランドにやって来たってことの方がおかしく見えるよ。

 それだけでなく、<巨神兵>を動かせる妙な力を持っているとか、更にワケが分からないよ……」

「後半については、俺もまだ混乱中だ……。

 それなのに、目の前のロリドワーフは、“その力”を使って絶賛敵対中である《ケンタウロス》をぶちのめせと仰る……」

「あ、あはは……《ケンタウロス》の連中は全方面を敵に回してるからね」


 ドワーフと《ケンタウロス》――かつて彼らは友好関係にあったとクレアは言う。

 武功を挙げるには、より良い武具を。名声を得るには、より良い猛者を。

 《ケンタウロス》は特に武人として生きている者が多く、専属のドワーフが付き、共に戦う戦友でもあった。


 ――友を馬車馬のように使えるか!


 当時のドワーフの王はこう叫び、ドワーフ領が牛車を使うようになったのは昔の話……である。


「今は最悪の関係……信用を得るのは難しく、失うことは容易いってとこか」

「あいつら、《ケンタウロス》も一枚岩でないからね。

 プライドがバカみたいに高いから、仲間内でも騎士と傭兵、定住型と移動型……それぞれ見下し合うんだよ。

 ドワーフとの友好関係も、ほとんどが利害の一致だったしね」


 戦争時代が終われば、必然的に関係は薄くなる。

 ドワーフに残ったのは牛車を使用する牛文化、《タウロス》との交友だけとなった。

 《ケンタウロス》も元々から独自の文化を持つため、独立した種族として行動するようになった、とクレアは説明する。


「――途中までなら、俺とクレアみたいだと思ったけどな」

「ん、どうしてだい?」

「だって、俺は基本的に頭しかないだろ?

 それを実行するのは、クレアのが得意だしさ。

 戦争とかではないけど、剣と使い手のような相性のいいものだなって」

「え、あ、ば、馬鹿なこと言うんじゃないよ――っ!」


 クレアは頬を染めながら、窓の外に視線を向けた。

 しかし、同時に胸の片隅に黒い霞が漂う。


 ――いつか、帰るのだ


 胸に漂う黒い霞は、一抹の不安であった。

 ドワーフと《ケンタウロス》は、利害関係で成り立っていた。

 その時はいいが、それが終わった時はどうなるのか……。


「…………」

「…………」


 自然と会話が止まり、静かな時間が流れてゆく。

 父の時代の従業員は全員戻らない。進次郎が去った時、クレアは再び一人で店を切り盛りしてゆくこととなる。

 ダヴィッドを頼れば、仕事も斡旋してくれるだろう。安定して城からの依頼を受けるようになれば、賃金の捻出もしやすくなり、人もどんどんと増やしてゆけるだろう。

 ……だが、今はそんな気になれそうにない。

 どうしてだろう、とクレアは小さく息を吐き正面に視線を戻すと、視界の端に入った進次郎がさっと顔を背けたのに気づいた。


「……?」


 何をじっと見ていたのか、と視線を下に落とす。

 薄くゆったりとした白と薄紫の着物。その襟から覗く胸元――ハッと気づいたクレアは、唇をむにむにと動かしながら、さり気なく襟を締めた。

 彼女にしてはずいぶんと珍しい恰好である。この服は馬車の修理作業のせいで作業服が汚れてしまったため、イヴが『これを着ろ』と彼女が調達してきた物だ。

 他に着る物がなかったため、そのまま従ったのだが――。


(……ホント、らしくない格好だね)


 クレアは困惑しっぱなしだった。

 元から胸元にゆとりがあり、少し屈むだけであられもなく胸元が開いてしまう。

 ぐっと襟を寄せれば首が締まり、緩めれば丸く日に焼けた肌と、V字の真っ白な肌の境目が覗く――。

 これが湯女の“仕事着”だと彼女は気づいていない。

 自分では絶対に着ないような、子綺麗な着物……その程度にしか考えていなかった。


「うー……私には泥だらけ、濡れた作業服のがマシだよ」

「そうか? かなり似合ってると思うぞ」

「そ、そうかい?

 ま、まぁ確かに、だ、誰かが、()()()をじっと見るほどだからね!」

「うっ……!? い、いや、一瞬そう見えただけの、事故じゃないかな、うんっ」

「……そうかい? でも、私の黒いブラなんて見て嬉しいものかねえ?」

「え? ベージュでは――ハッ!?」

「一瞬、ねぇ……」


 横になっているイヴの、脇腹をボリボリと掻きむしる音だけが響く――。

 誘導尋問に引っかけられた進次郎は、クレアの冷ややかな視線を見ないようにしている。見てはならないと思いながらも、ついそれを覆う物が気になってしまったのだ。

 しかし、突き刺さるような視線に耐えきれず、進次郎は力なく頭を垂らした。


「すみませんでした……」

「――ったく、どうして男ってのは、コソコソとそう言うのを見たがるかね!」

「堂々と言ったら、それはそれでダメだろ?」

「あ、当たり前じゃないか! そんなの言い出したら、ぶん殴って追い出すよ!

 どうせ、リュンカとかにも『見えないかなー』って、目で見ていたんだろうっ?」

「いや、さすがにそんな目では見ないぞっ!?」

「どーだか。私のすら見るぐらいだからね」

「そ、それは、クレアのだから気になっただけで……」

「え……?」

「い、いや、その何と言うか――」


 レア度が違う、と言いかけた時であった。

 クレアが顔を赤くし始めたことに気づくより前に、突如として遠くから、張り裂けんばかりのラッパ音が鳴り響いた。


「な、何だっ!?」

「も、もしかしてあれって――」


 進次郎たちがいる道の反対側の筋から、ドンドンズンズン、ガンガンカンカン、とけたたましい音が起こり、イヴは青筋を浮かばせながら飛び起きた。


「うがああああッ――!!

 忌々しい《ケンタウロス》のクソッタレどもッ!

 小石で躓いて頭打って死ねッ! 今すぐ死ねッ!」


 窓の向こうに覗く、半獣半人の生き物を睨みつけながらそう叫んだ。

 整髪料で角のように固めた髪や、原色のまま派手にペイントされた鎧――これまで本や映画などで見てきた、《ケンタウロス》像とはまるで“駆け”離れた姿は、進次郎にとって衝撃との言葉以外、何者でもなかった。

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