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第6話 ガーディアン

 翌日。進次郎とクレアは、ろくに眠れぬまま朝を迎えていた。

 事務所中央に置かれた机の上、寝ぼけ瞼の二人の前には少し濃い目のコーヒーと、軽く炙った携行食の<バブラ>が置かれている。

 特に夜更かしなどしていたわけではない。ただ狭い部屋の中、互いの息遣いを意識し合った男と女――わずかなベッドの軋みですら、それを意識させるには十分であった。

 眠気と残る疲労。その上、朝食の後のことを考えると、クレアの気分は一向に上がらないままだ。


「――本当に、市場に行くのかい……?」

「食材買わなきゃ飯が作れないだろ?

 それに、“計画”が軌道に乗るまではタダ働きを覚悟しなきゃならないんだ。

 タダ飯喰らいしてる俺が言うのもだが、節約できるところはしなきゃならないだろ」

「そ、それはそうだけどさ……」


 クレアは温かい<バブラ>を口にしながら、力なくうなだれた。

 この<バブラ>は小麦ふすまを使用した安価な携行食であり、この国の売れ筋商品の一つだった。保存も腹持ちもよく、最近ではドライフルーツなどを混ぜ込んだものなど多くの種類が出ている。

 あとふた回りすれば昼食の時間、肉や野菜などが並ぶ市場が最も活気付く頃だ。そこを歩くのが大好きだが、これほどまで行きたくないのは初めてである。

 しかし、進次郎の言うことも尤もだ。このままではジリ貧になるだけ――そう腹をくくったクレアは、最後の一口を放り込むと、パサついた口の中を苦いコーヒーで潤し、重い頭や身体に油を差した。


「じゃあ、行くかね……人通りが多くなるから、はぐれないようにしなよ」

「ああ、分かった」


 この国には二つの大きな市場があった。

 一つは城の認可を受け、しっかりとした店舗を構える“ロイヤル・ストリート”。

 もう一つは、営業許可を受けただけの行商や露店が並ぶ“自由市場”である。

 クレアたちは事務所を出ると、真っ直ぐにその“自由市場”の方を目指した。“自由”と名がつくだけあって、許可証と場所さえあれば誰でも商いができる、街で最も賑わう通りとなっている通りだ。

 そこに近づくにつれて、人の往来がだんだんと多くなってゆく。


「はー……国もデカければ、人の流れもすごいな……」


 進次郎は唖然とした様子で、メインストリートに流れる“人の川”に息を漏らした。

 このリーランド王都には水路が多い。地下に設けた水路・“暗きょ”も見かけたところから、地下には大きな水路もあるようだ。

 更に市場にかかるアーチ状の石橋から、これまでとは考えられないほどの人でごった返し始め、物珍しげに周囲を見ていた進次郎も、次第にクレアを追いかけるので精一杯になっていた。

 それは、時々足を運んでいた繁華街を思い出すほどの賑わいに近く、わずかに足を止めれば、彼女の背中がどんどんと遠くに流れてゆく。


「お、おいクレアっ、ちょっと待って――」


 制止を求める声も空しく、うねる雑踏に掻き消されてしまう。

 クレアの赤髪と白い作業服姿は珍しく、何度か見失ってもそれが目印となっている。

 ……が、この時は、それがアダとなってしまった。


(し、しまった……!?)


 彼女だと思っていたのは、赤い帽子と白っぽいジャケットを着た男であり、よく見れば似ても似つかない者だったのである。


 周囲を見渡しても彼女らしき者はいない。

 黒・黄・茶……赤い髪もいるが、それは求めている女性ではない。真後ろを歩く者は、急に足を止めたのを邪魔くさそうに睨みつけながら、視線の向こうに流れてゆく。

 僅かな間を置いて、進次郎は血の気が引いてゆくのが分かった。


 ――迷子になった


 考えたくないことであるが、現実を見なければならない。

 当然、携帯電話なんてものも無い世界だ。『駅の伝言板』のようなものでもないかと探してみたが、そもそも字が読めない。はぐれた場合に備え、待ち合わせ場所を決めておくべきであった。

 この国には水路が多い。この人ごみを掻き分け、むやみやたらに探し回るより、水路側に出、遠くから見渡した方がいいと判断した進次郎は、そちらに向けて逸れた。


(クレアは、何かをし始めたら周りが見えなくなると思っていたが……)


 困ったもんだ、と小さな息を吐きながら、水路脇に置かれていた木箱の上に足をかけた。

 幸いにも彼の着ている服は、昨日と同じく土色のカーキ色だ。この人混みの中では目立つ色であるため、クレアも探しやすいだろう。

 尤も、彼女が後ろを振り返れば――の話であるが。


(こうして見ると、ホントに広いな。人間も髪色や服装も多種多様だし)


 それは人間だけでない。

 牛や猫、豹頭などの多種多様な獣人の姿まで見受けられた。


 ――多様な種族がいるのだから、美人と名高い《エルフ》もいるのではないか?


 迷子の身にもかかわらず、進次郎は呑気にも(ひたい)に手をかざし、小鼻を膨らませながら人間観察を続けてゆく。目的を忘れぐるりと見渡していると、ふと黒いベールとローブを纏った女の一行が目にとまった。


(見た感じからしてシスターか。

 ロザリオを持っているとなると……この国の宗教は、キリスト教のようなものか?)


 銀色のロザリオを首にかけた十人ほどの一行――買い出しにやって来たのか、何人かの手には、食材で一杯になった網かごが握られている。

 その清楚な姿に目を奪われる者も多く、進次郎もまたその一人となっていた。


(ピッチリとした修道服もあって、魅力・可愛らしさアップだな。

 あの子なんて、身体のラインがくっきり浮き出て大きな胸が――ん?)


 その時ふと、一行の最後尾にいたシスターと目が合った。

 《エルフ》を探していただろうか――それと見紛うほど美しい女に、進次郎は思わず息を呑んだ。

 ふわりと舞ったベールから覗かせる、雪のように真っ白な肌の女から目が離せない。

 こちらが気付けば向こうも当然気づく。視線の先のシスターも、ハッと驚いたような表情を浮かべた。


(……っと、いけないいけない)


 ガン見していた進次郎は、咄嗟に目を逸らした。

 目的を見失ってしまっていた――どこか申し訳なさを感じながら、再びクレア探しをするため今一度、辺りを見回した。

 僅かに目を離しただけなのに、シスターの一行はどんどんと遠ざかってゆく。

 先ほどの女性はどこか……と、また気になって探してしまうが、それらしい者は見当たらない。つい首を伸ばして探そうとした時――


「ウォンッ!!」


 と、進次郎の足元で犬の吠え声が起こった。


「ん? おお、あの時のっ……ワンコでいいのか?」

「ウォン」


 名前と呼べる名前がないのか、〔ワンコ〕でも構わないようだ。

 そこに居たのは、セイズ村から馬を繰ってくれた《コボルド》であり、『なにしてるんだ?』と言いたげな目で、進次郎を見ていた。


「ああ、ちょっとクレアとはぐれてしまったんだ……」

「ウォウォウォン?」

「それで、探してるんだけどこの人ごみだとな…」


 困った様子で口元に手をやる進次郎に、《コボルド》は一つ吠えた。


「ウォッウォッ、ウォッウォッ!」

「『あっち、あっち』?」


 毛むくじゃらの人差し指を通りの向こうにやると、『ついて来い』と目を向けた。

 人ごみを掻き分け、時々ちゃんとついて来てるかと振り返る――犬の嗅覚のお陰か、クレアの居場所はすぐに分かるのか、迷いなく真っ直ぐに歩いてゆく。

 これなら迷子の子猫に、泣かなくて済むだろう。そんなことを考えながら、ワンコの後を追い続けた。

 ほどなくして、正面に騒々しい人だかりが出来ている場所に差し掛かっていた。

 喧嘩でもしているのか、『警備隊を呼んだ方がいいんじゃないか?』など、物騒な声までも聞こえ、進次郎は思わず足を止めた。


『何故じゃ! 我が同胞っ!』

『うるさいねっ! いい加減しつこいよこの酔っ払い!』


 人ごみの真ん中で、年配の男と若い女の声が言い争っている。

 進次郎は背筋に冷たいものを感じた。その渦中にいる者――女の声と口調に覚えがあるのだ。


『儂は酔ってないぞぉ!

 儂は同胞・クレアを第二の嫁にするんじゃーっ!』

『ええいっ鬱陶しいっ!

 私の注文が請けられないんなら帰るよっ!』


 やはりか――と、進次郎は思った。

 押すな押すな、と一か所に向かってひしめき合う人の壁を掻き分ける。

 周りは抗議するような声をあげるが、今はそんなものに気をかける余裕などなかった。


「――って、な、何やってんだあのジジイ!?」


 そこに居たのは、すらりと背の高い赤毛の女……やはり進次郎が探していたクレアであった。

 しかし、騒動の中心人物であることよりも、彼女の腰ほどしかない小柄な中年オヤジが、がっしりと腰にしがみついている光景に驚きを隠せなかった。

 禿げあがった頭、その毛を上に持って来いと言わんばかりのヒゲに、でっぷりとした腹――その姿に、進次郎はある存在が頭に浮かびあがった。


『邪魔だよっ! この糞ドワーフっ!』


 やはり、と進次郎は思った。

 ドワーフは酒に酔い、かなり出来上がっているようだ。

 本気で不快な声をあげるクレアは、中年ドワーフのハゲ頭を、ガツガツと殴る。なかなか痛そうな拳であるものの、その大きな石頭には効いていないのだろう……まったく動じもせず、クレアの腰に回した手を動かし続ける。

 その時、ほんの一瞬クレアと目が合った気がした。


 ――助けを求めている


 彼女の性格上、周囲に助けを求めることは“恥”のように思えるのだろう。

 キツく鋭い目の中に、それが感じられていたと分かった瞬間、どうしてかムカっ腹が立ち、進次郎は考えるよりも先に、目の前の壁を開いていた。

 なりふり構わず身体を前に進ませてゆく。

 その時、誰かの踏んづけたようだ。そのせいで、怒った奴がいるのか――何者かの手が、彼の左肩をぐっと掴んだ。


「ウォウッ!」

「な、何だ、ワンコか――なに? これ使えって?」


 ワンコは太いこん棒を進次郎に手渡すと、大きく頷いて見せた。


『ドワーフはタフだから、思いっきりぶん殴っても死なない』


 そう言っているか定かではないが、勝手にそう解釈した。

 ワンコはそれを手渡すや、急に周囲に対し、低く威嚇するような声をあげ始めた。

 それに周囲の者は驚き、海を割ったかのように一本の道を作った。


「うぉんっ」


 ワンコは楽し気な声で、進次郎に向かって吠えた。


「すまんな、ワンコ」


 進次郎は小さく礼を述べると、ワンコはわふわふと口を鳴らしながら親指を立てた。

 こん棒を握る手にぐっと力が込もる。ドワーフは目の前のクレアにしか注意がいっておらず、後ろに歩み寄って来る曲者の存在に気づいていない。


「……シンジッ!」


 クレアだけがそれに気づき、目の前のドワーフの肩を掴むや、ぐっと前に突き出した。


「その得物で、こいつをガツンとやっちゃいなッ!」

「おうよっ!」


 ドワーフは何が起こったのか分からず、頭を上げようとした時――。


「へ……うご――ッ!?」


 奇妙な感触と共に、ゴッ――と鈍い音が起った。

 進次郎は人を殴ったことがなければ、こんなモノで殴ったことなぞ当然ない。

 ……にも関わらず、クレアを困らせている目の前のそれだけは、躊躇せず振り下ろすことができた。


「クレアに何してんだオッサンッ!」

「ぐぉぉぉぉぉ――ッ!? あ、頭に、頭にクラックがぁぁぁッ!!」

「そのままバッカリ割れちまいなッ、このスケベジジイッ!」

「クレアッ、大丈夫か!」

「シンジっ……うん、大丈夫だったよ……」

「って、ちょ――っ!?」


 クレアは嬉しさのあまり、進次郎に抱きついていた。

 急な出来事に進次郎は慌てふためき、どうしてよいか分からなくなってしまう。

 映画などではここで、ぐっと抱きしめるシーンだけど……と思っていた時であった。


「うぉうぉうぉんっ」

「おやっ、ワンコ! アンタが力貸してくれたんだね!」


 クレアは進次郎から離れ、ぴょんぴょんと小躍りしながらやって来たワンコの方を向いた。

 動かそうとした彼の手は空しく、宙に浮いたままの情けない恰好のまま固まってしまう。進次郎は『これでいいのだ』と、己に言い聞かせ続けた。

 空しい同情の目が辛かった。


「ウォンッ!」


 ワンコはひと吠えすると、雲一つない青空を顎で指した。


「空? ああ……どっかの《コボルド》が()んじゃったんだね」

「喚んだって何を――って、な、何だっ!?」


 それに遅れて、天を仰いでいた野次馬たちもどよめいた。

 太陽に厚い雲がかかったかと思いきや、空を覆う黒く巨大な影がずんずんと大きくなってゆき、ついには、ずうん……と土埃をまきあげながら地に降り立ったのだ。

 まるで隕石が降ってきたかのようであった。

 土埃の中に立つ“それ”は、ゆうに五、六メートルはあり――人の形をしているが、人ではない。言うなれば、丸みを帯びた巨大な鎧、人型の金属の塊、であった。

 進次郎はそれに絶句し、口を開いたまま立ちつくしていた。


「い、いったい何だあれ……ロボット、なのか……?」

「――ああ、シンジは知らなかったね」


 クレアは呆然と見上げている進次郎に語りかけた。


「この王都が平和なのはね、あの<巨神兵>が守っているからなんだよ」

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