第5話 施工計画
クレアは料理をかきこむと、すぐに事務所に戻った。
何かを思いつくと、他のことが手につかなくなる性質なのだろう――紙とペンを机の上に置くなり、何の説明もしないまま、進次郎に『道に描くために必要な材料は、ペンキ以外に何を使っていたのか』と問うた。
「描くため? うーん……他に使ってたのは、プライマーとガラスビーズかな?」
「……ぷ、ぷらい……と、ガラス?」
「プライマーは下塗り剤で、ガラスビーズは塗布した上に撒くんだ。
簡単に言えばガラスを砂状にしたものだな」
「なるほど……なら揃えられるね。あとは、実寸でどれくらいだい?」
「な、何のだ?」
「アンタが前に言ってた、道を渡る絵の!」
「あ、ああ、【横断歩道】か。
幅四十五センチ間隔で、長さは大体三メートルぐらいかな。
場所によって変わるけど、大体二・五から三メートルで考えていいか」
「四十五センチの三メートルだね。
えぇっと……こう言う計算苦手なんだよね。う、うーん……」
クレアは算盤のような物を引っ張り出し、椅子にも座らずパチパチとそれを弾き始めた。
机の上に両腕をつき、紙の上に何かを書き殴り続ける――真後ろからそれを見ている進次郎の目は、つい彼女の、突き出された大きな丸みに向いてしまう。
タイトな服を好んでいるせいか、ズボンの縫い目は歪みのない弧を描き、その肉感をパッツリと際立たせている。見てはいけないと思いつつも、安産型と言ってもいい卵状のそれが気になってしょうがなかった。
「え、えーっと……全長八メートルとして、四十五、四十五、四十五――」
「八メートルなら、七本ぐらいだよ」
「そ、そうっ! じゃあ、それの三メートルだから……」
横から覗き込むと、クレアは一つずつ紙に書き計算している。
それにしては非常に手間のかかる計算の仕方をしている、と進次郎は感じた。
「――さっきから何の計算してるんだ? 何か【横断歩道】のそれっぽいけど」
「えっと……その【横断歩道】を、ここの道に描いてやろうって考えててさ」
「な、何だって!?」
クレアは少し躊躇いがちに、“計画”を述べ始めた。
「確かに無茶だとは思うよ?
でも、シンジの国でも出来ているのなら、こっちでも出来るはずだよ。
猫のように手をこまねいてもお金は入ってこない。これは大きなチャンスでもあるんだよ!」
「でも、法整備は一体どうするんだ?」
「そこは城の許可が出ればクリアできるよ。
もちろん、“意味のないもの”と判断されればお終いだけど……。
だけど、私はそうは思わないし、そうさせるつもりはないよ!
アンタを食わせなきゃいけないからねっ!」
「むぅ……情けない話だがそうなってしまうのか。
鶏が先か、卵が先か――いずれにせよ、実用性を証明することが必要になるな」
「オバちゃんたちから、民間の依頼で証明するよ」
「城の許可はいらないのか?」
「末端の地区は、班長や区長を立ててまとめさせてるんだよ。
城も、流石にこの大きな街の全ては管理できないからね」
クレアはそう言うと、再び紙面へと目を向けた。
食堂の女将に説明するための設計書の作成と、費用の概算・見積もりを出そうとしているようだ。
その真剣な横顔は凛々しくもあり、触れれば崩れ落ちそうなほど弱々しさが窺える。
澄んだ鳶色の瞳に不安のにごりが混じっているせいだろうか……と、進次郎はじっと彼女の横顔を見つめてしまっていた。
――彼女のように、何かを賭けて取り組んだことはあっただろうか?
“前の世界”でも『せねばならない』と言う“義務”からであり、彼女のように、自分自身の意志で何かを行おうとはしていなかった。
自分がここで出来ることは、“経験と知恵”を出すことだ――進次郎は顔を引き締め、クレアの横に並ぶように、ぐっとテーブルの上に身体を乗出した。
「ど、どうしたんだい?」
文字は読めないが、数字なら読める。
進次郎はこの様な書類作成がメインであったため、粗方の数字くらいはすぐに出せた。
「使用するペンキは一缶でどれくらいだ?」
「え、あ、確か最大で二十キロだったかな」
「なら“以前”と同じと見て、二缶だな。
路面悪いとかなり食われるから、あの石畳だとロスを多めに見て〇・六――。
余裕を見て三缶半ぐらいは欲しいな……余ったら保管はできるんだろ?」
「あ、ああ……うん。あまり長くは持たないけどね」
「そうか。それなら――」
クレアはしばらく呆然としてたが、慌てて紙の上にそれを書き記し始めた。
下地に塗る塗料もアテがある。上に撒くと言うガラスも、少し面倒ではあるが調達も可能だろう。こちらが勝手にやるため、出費に関しては覚悟するしかない。
彼女の視線の先には、定規を持ちキッチリとした図面を起こし始める、真剣な面持ちの進次郎の姿があった。
その様子はクレアも見惚れるほどで、紙面には縞模様の【横断歩道】だけでなく、横棒やひし形の模様まで描き込まれてゆくのを、じいっと見つめていた――。
「んー、こんなもんかな。
【路側帯】は……引きはじめたら道全部に必要になるから、止めておこう」
「この“横棒”や“ひし形”の模様、中央の棒線まで描くってのかい?」
「ああ、ここに信号機なんてものはないからな。
横断歩道の設置には、この“ひし形”のマークは必要なんだ」
先に横断用のそれがあるから注意しろ――クレアは納得したように頷いた。
図示の意図を聞けば、ただの落書きに見えるそれも“意味”を持つ。
何も描かれていない白い紙に、新たな命が吹き込まれたようにも感じている。
「だけど、あの馬車の往来の中で施工するのは危ないし、肝心な施工体制・安全管理はどうするんだ?
もう一度ハネられて死んだりすれば、“現代”に帰られるかもしれんが……」
「あっはっは! その時は、私も連れて行ってもらうかね。
ま、それに関しても平気だよ。ただ、ワンコの協力が必要になるけどね」
「ワンコって、あの《コボルド》か?」
「そうだよ。あれは街では特別な部類だけどね。
ここの《コボルド》の殆どは、主に街の警護や警備を担っているんだ。
腕も立つから、彼らに反抗する者もいないんだよ」
「犬のお巡りさん、か……」
いつどの時代にも、仕事に縛られたくない者はいるようだ。
セイズ村から二人を運んで来た彼もまた、金が必要になった時だけ働く、フリーターのような暮らしを送っている、とクレアは話す。
「あれは顔も広いし、半日くらいなら閉鎖できるはずだよ。
犬の組織は恐ろしいほど統率取れるから、理由もなく文句言うのもいないし」
「そうか。なら問題はないな――材料が揃い次第、すぐに取りかかるのか?」
「だね。ああ、これでやぁーっと忙しくなりそうだよ。んんーっ……。
蓄えが底を尽きそうだし、そろそろここで一山当てなきゃね」
「そりゃ台所が蜘蛛さんの住処となってりゃ、金も出て行くばっかだろう」
「うっ……!? な、何のことかなぁ……?」
台所から目線を反らし、クレアは白々しくそう口にした。
進次郎は食堂を出るとき、女将から彼女の“秘密”を聞かされていたのである。
『あの子は、週に六回はウチに来るんだ……。
ありがたいんだけど、このまま家事が出来ないままの娘でいると思うと心配でね……。
アンタが最後の希望だ、この機会に変わってくれることを願うよ!』
――と。男やもめで育ったクレアであったが、その父親のマクセルがそこそこに料理ができたのもあって、彼女は料理を覚えようとはしなかった。
そのせいで、彼女が出来ることと言えば、最低限の掃除・洗濯ぐらいしかない。
「朝昼晩、あの食堂で済ませたこともあるらしいな? 二日連続で」
「あ、あれは、たまたまだよっ! わ、私だって多少は出来るんだからっ!」
「……何料理?」
「ちゃ、茶葉を入れた飲み物とか――?」
「湯沸かすだけじゃねーかっ!?」
しないのではなく、本当に出来ない――この発言で全てを悟っていた。
二週間ほど家を空けていたからだと思っていたが、それより以前から足を踏み入れていないと分かる。
洗い物を溜めていない、家庭的な面もあるとの印象はすぐに覆った。
「料理しなきゃ、洗い物しなくていいからな……」
「うぅ……そ、そう言うアンタは出来るってのかいっ!」
「多くは出来ないけど、それなりに――さっき食った料理ぐらいはできるぞ。
他の客が食ってた揚げ料理も、あれ多分ナゲットだろ? あれも出来るし」
「な、何だって!?」
クレアの目が変わった。足しげく食堂に通うのは、それが好物でもあるからだ。
いつでも好きな物が食べられる上に、自炊によって食費も抑えられる。これほど嬉しい報せはないだろう。
しかし、現実はそう甘くはなかった……。
「ここに来た俺は、硬水を飲んでも身体は何ともないようだ」
「それがどうしたのさ? 良いことじゃない――」
「俺の胃は、多少の食い物の圧に耐えられるらしい――ので、頑張れ。
キッチンの住人の退去願いは、俺がやっておいてやるから」
「や、やだよっ!? どうしてそうなるんだいっ!?」
いつかはやらねばならない、と思っていた。
もっと事前に、それこそ切っ掛けとなる“何か”があってからだと思っていた。
クレアは、先ほど教わったばかりの予告表示――【ダイヤマーク】が欲しい、と切に願った。




