第4話 混雑の原因は
進次郎とクレアは、騒々しい街道を歩いていた。
クレアの事務所は、幹線となる道から少し離れているためか、走る馬車は少ない。しかし、五分ほど歩いた先……進次郎がいた世界で言うのところの“バイパス”となる通りまで出るや、そこはひっきりなしに馬車が駆ける通りとなっていた。
「――クレアっ、いったいどこに向かってるんだ!」
「この“自由区”おすすめの食堂だよっ!」
傍から見れば、それは喧嘩中の男女にも見えるだろう。
ガラガラ、ガラガラ――と、石畳の上を走る、馬車のかしましい車輪の音のせいで、脇を歩く者たちは常に大きな声で話さねばならなかった。
《コボルド》の操縦はどれだけ丁寧なのか、人間の御者の運転がひどく荒いのが原因である。
街の人間は慣れた様子で歩いているのだが、道の脇で子供が歩いていても、馬車は減速する素振りすら見せない。
早足のクレアを追う進次郎は、我が事のようにヒヤヒヤしっぱなしであった。
「――さ、ここだよ!」
ようやく足を止め、クレアはある白塗りの建物を指差した。
“食堂”と言うだけあり、近辺に食欲をそそる香りが漂っている。
進次郎はここで初めて空腹感を覚えた。思えば最後に食べ物を口にしたのは、渋滞の馬車の中で、携行食・<バブラ>と呼ばれる棒状のクッキーを食べただけなのだ。
まだ昼には幾分か早いが、それから五時間が過ぎていれば、腹も減って当然だろう。
それはクレアも同じらしく、進次郎にろくな説明もせぬまま、いそいそと店の扉をくぐった。
「いらっしゃ――おや、クレアじゃないか! 帰って来てたんだね!」
「オバちゃんただいま! いつものね!」
「あいよ!」
テーブル席が二つ、カウンター席が五つと、小さいながらもまさに食堂と言った場所であった。
クレアは恰幅のいい女将に挨拶をしながら、真っ直ぐに奥の方のカウンター席に歩いてゆく。そこは彼女の指定席なのか、テーブル席が空いていても、カウンター席の左右に人が座る場所であってもお構いなしのようだ。
しかし、置いてけぼり喰らった進次郎は、ただ入り口で立ち尽くすしかできないでいる。
「……アンタは何なんだい? 物乞いならやる物はないよ!」
「この扱いよ……」
クレアは素知らぬ顔で水を口に運んでいる。
ついて来いと連れられ、放置食らわされた挙句、物乞いと間違えられる――その張本人は今、『飯を食う』との頭しかないようだ。
進次郎は、恨みがましい目を彼女に向けた。
「んん? クレア! これ、アンタのツレじゃないのかい!」
「ふぇ? 私にそんなの……って、あ゛あっそうだっ!?」
「……鍵くれたら、俺、まっすぐ帰るよ?」
「ご、ごご、ゴメンッ! オバちゃん、あっちの席に移るよっ!
シンジ、こっちの席だからね! ほらほら、急いだ急いだ……っ!」
クレアはばつが悪い顔をしながら、不貞腐れる進次郎の背を押して奥のテーブル席に連れて行ゆく。
そんな二人のやりとりを見た女将は、途端に顔をぱっと明るくした。
「アンタもしかして……ついにコレが出来たのかい!
なんだいなんだい! 黙ってるなんて水臭いじゃないかっ!」
「い、いやっ、違うよっ!」
「隠さなくたっていいさね。よく見れば、その服も〔マクセル〕のじゃないか!
いやー、これでアタシの肩の荷がやっと降りたってもんだ。
今日はお祝いだ! タダにしておいてやるから、たんと食べな!」
「ちょ、ちょっと声大きい……!?
み、皆も誤解だからねっ、変な噂流すんじゃないよっ!」
この店ではクレアは有名なのか、大きな声で会話していても誰も咎める者はいないようだ。それどころか、逆に好奇の目を向けられ、クレアの顔は真っ赤にしてしまっている。
それは進次郎も同じであり、むず痒さを感じながらクレアの正面の席についた。
「う、うぅ……シンジ、アンタは何にするんだい?」
「『何に』と言われても、何があるか全く分からん……久々に米が食いたいが」
「米か……うーん、ここでは無理だね……。
ここは豆スープや、卵料理とか――他はセイズ村で食べたようなモノが多いね。
特に無いなら、私と同じのにするかい?」
「そうだな……よし、それで頼む」
「よし。オバちゃんっ、同じのもう一つお願い!
ああ、タダならどっちも<サルッシア>つけて、辛めのっ」
クレアのそれに、女将の威勢のいい返事が返ってきた。
厨房の方から卵が割られる音がしたため、卵料理の類いだろう。
耳ざわりのよい音と共に、香ばしい匂いが店内を漂う――更なる空腹感を覚えると同時に、進次郎の胸に『米が食いたい』との欲求が燻り始めた。
無い物ねだりをしても仕方がないので、どうしても食いたくなれば、小麦粉を練って“米もどき”でも作ってやろうかと考えていた時……クレアは両手で頬杖をつきながら、口元を緩ませていることに気づいた。
「ふふっ――」
「な、何だ?」
「い、いやっ、何でもない――っ」
クレアは頬を赤く染めながら、ぷいと顔を背けた。
いったい何だ、と思った直後――二人の下に、注文した料理を手にした女将がやって来た。
「お待たせしたね! さ、たんと食べて精をつけな!」
女将の言葉に、クレアはどぎまぎとしたが、進次郎は料理の方に気を取られていた。
それらの料理に見覚えがあるのだ。
ふわりと香る焦げたバター香る黄色の卵料理、その脇に添えられたチリチリと音立てているのは、<サルッシア>と呼ばれるものだろう。
「オムレツか! それにこれは……チョリソーか?」
進次郎のその言葉に、女将は眉を寄せた。
「おむれつ……? これは<リタータ>だよ」
「あ、そうか……<リタータ>って言うんだな」
「おかしなことを言うもんだね」
すると、女将は怪訝な表情を残したまま、じろじろと進次郎を観察し始めた。
その目はまるで、『クレアに見合う男か』と品定めするかのようだ。
「――マクセルの作業服を着てるってことは、クレアの所で働くってことだろ?」
「え? ああ……そうなりますね」
「他にどこかで務めてるのかい?」
「いや、来たばかりなので、ここ一本になりますが……」
「な、何だって!? アンタいったい何を考えてるんだい!
仕事の発注が止まってるのに、クレアと懇ろになるなんて――」
「お、オバちゃん! だから違うからね!?」
「発注が、止まってる……?」
進次郎は問うような顔をクレアに向けた。
「あ、それは――!
うん……実は今、城からの発注がパッタリ止まってるんだよ。
前年度からの分はまだ残ってるけど、今年度はまだ数件しか出てなくてね……」
「もしかして、予算の編成中とかか?」
「そうだといいんだけど……時期的に、ぼちぼち出始める頃のはずなんだよね。
上流階級が独自で出せる修繕依頼とかは出るんだけど、下流層の私らが取れるような依頼ではないしさ」
出ても儲かるような仕事ではない、とクレアは続ける。
それに女将は大きく頷き、今の国政に対して不満を口にし始めた。
「早くやることやって貰わないと、こっちも商売あがったりだよ!
馬車のスピードを落とすよう指導する、って言ってどれだけかかってんだい。
みんな、道の向こう側に渡るだけでも苦労してるって言うのにさ」
「ああ、そう言えば、カーブでも馬鹿みたいにかっ飛ばして行くな――あれでよく事故起らないと思うよ」
進次郎の言葉に、クレアは表情を曇らせた。
「それが起ってるんだよ……。
通行人をはねたり、道を曲がりきれなかったり、そのまま突っ込んだりね……。
無理やり道を渡って事故死する人も、ここじゃ少なくない。
年を取れば、道向こうの友に会えなくなるって道もあるほどさ」
「……早急に対処すべき問題だろ、それ」
「……やりようがないんだよ。
古い構造のまま、急にカネとモノの流れだけを増やしたのが、根本の原因でもあるけどね。
御者どもが馬を歩かせるか、少しでも周囲に気を配るようになれば、多少はマシになるだろうけどさ」
進次郎は顎に手をやって考え始めた。
この交通に対して思うことは、十数分歩くだけで大量にあった。ここに来て間のない者ですらそう思うのだ。何年、何十年と住んでいる者の不満は相当な物であろう。
事故は飯のタネともなるが、あまり喜ばしいものでもない。公共事業の殆どはそれらの事故の後始末、修繕が殆どなのだろう、と進次郎は思った。
クレアが述べた『周囲に気を配る』、『根本の原因』――それは、この国が抱える問題全てに繋がっていたのだ。
「――法整備が追いついてないのか?」
「そう言うことだね。法で縛っても、今度はそのルールの制定をどうするかの問題もあるし、反発も必至だから難しいんだよ」
「確かにそうだな。
せめて、簡単な図示表示ぐらい理解させられれば、横断くらいは可能になるのだろうけど」
「図示? ああ、アンタが前に言ってた――」
クレアはその言葉を言いかけ、ピタりと固まってしまった。
――モノがある
“意味”は“法やルール”でもある。
この世界には、そのモノが“意味”を持っていないだけだ。
進次郎の世界では“意味”が存在するから、その“モノ”が成り立っている。
この国でそれは、ただ道に絵に描くだけの無意味な内容だろう。
しかし、“意味”を与えることが出来れば、それは事業として成立する、と。
――“意味”を持たないのであれば、持たせれば良いのだ
クレアの身体の奥底に、何かが沸き立ってくるのが感じられた。
“法”に従うのは、それを破った時に動く<法の番人>と“裁き”を恐れるからだ。
“理解”できない者からは反発されるだろうが、“納得”させられれば彼らは黙る。
「出来るっ! 出来るよっ!
シンジッ! アンタの“知恵と経験”があれば、きっとそれが出来る!」
クレアはそう叫びながら立ち上がった。
この国には<法の番人>がおり、この国の平和はそれによって保たれている。
“理解”させるには、彼らの協力があれば可能である――と。




