三章 1-11
「そろそろいいかな」
えなは突然そう言うと、ぬいぐるみをベッドに置いて部屋から出ていく。
「え?」
「あたしについて来てっ」
えなを先頭に智世も階段を下りていく。その途中で智世は気づいた。
「リビングも居間も電気が消えてる……どうしたのかしら」
智世の言うとおり、リビングと居間の電気が消えていた。だれもいないのか物音ひとつ聞こえてこず、静まり返っている。
「ちーちゃん……」
えなが振り返る。いつのまにか目に涙が光っていた。
「怖いから先に入って。お願い」
「任せて」
智世は戸を横に滑らせ、暗闇と化した居間に一歩足を踏み入れた。その瞬間パッと灯りが点いたかと思うと、小さい破裂音が散発した。
「わあっ?」
智世はびっくり仰天し、腰を抜かす。そんな智世に、
「誕生日おめでとう!」
と、祝いの言葉が降りかかる。
「……?」
とっさになんのことかわからず、智世の頭がこんがらがる。
そんな智世に、えなは助け舟を出す。涙はすっかりどこかに消えうせ、無邪気な笑みを見せている。
「ちーちゃん、今日は何月何日?」
「九月……十八日……?」
「今日はだれの誕生日か思い出せる?」
「えーちゃんの誕生日は五月でもうすぎたから……あ、私の……?」
確かめるようにおそるおそる問う智世に、えなはきっぱりと、
「うん!」
「そんな、わざわざ私なんかのために……」
慶人は口を挿む。
「こらこら、そんなに自分を卑下にするんじゃない。えな、ちーを連れてきなさい」
「はーい! ほら、ちーちゃん、立って立って」
えなに手を引っ張られ、半分されるがままに立ち上がる。みなが待つテーブルの前に連れて行かれると、驚きのあまり絶句した。
見目も鮮やかな配色のマリネ、パーティの定番で食欲をそそる香ばしい匂いが漂っているからあげやポテト、マグロやタコやイカやたまごなどの寿司、ほかにもサーモンやきゅうりやトマトが挿んだ手巻き寿司、関西人の定番であるたこやきなど、テーブルの上には誕生日を祝うには充分な料理がズラリと並んでいたのである。なかでも、テーブルのど真ん中に置いてあるケーキの存在感たるやすさまじいものだった。
四層構造になっているケーキは、一番下が土台のスポンジと生クリーム、その上は切ったイチゴやミカンやパイナップルが挿まれ、さらにその上はアクセントとしてくるみを細かく砕いて散りばめ、一番上はロウソクと何やら文字が書いてあった。
ケーキの周りには、赤、青、黄、緑など色とりどりの小粒のチョコがあしらわれていて、見る者の目を楽しませる趣向が凝らされていた。
そのなかでも智世の琴線に触れたのは、料理でもケーキの装飾でもなかった。ケーキの表面に書いてある汚いながらも、チョコでがんばってえなが書いたと思われる字。
――たんじょうびおめでとう
まるでその文字を守るようにケーキの表面の外側に、これも色とりどりのロウソクが十七本立ち並んでいる。言うまでもなく、誕生日を迎えた智世の年齢分である。
「……」
智世は感無量だった。なんて言えば、どう言えばいいのかがわからない。しかし、ひとつだけ確実に言える言葉がある。それがのどの辺りに詰まって出てこないのである。
智世が目を点にしてケーキに目を奪われている間にも、慶人がライターでロウソクの一本一本に火をともしていく。
全部に火が行きわたると、慶人はえなと慶仁に言った。
「もう一回電気を消してくれ」
「おっけー」
「了解!」
ふたりは同時にリビングと居間の電気を消す。
ケーキのロウソクが、真っ暗ななかで存在を誇示するように明るく、よく映えていた。
「♪ハッピバースデートゥーユー……♪」
なんの前触れもなく慶人が歌いだす。
次のフレーズではみなの声が重なった。
「♪……ハッピバースデー、ディアちーちゃん……ハッピバースデートゥーユー♪」
倫は固まっている智世に呼びかける。
「さあ、ちーちゃん。一気に消してね」
「……うん、わかったわ」
智世は空気を吸い込んで頬を膨らませる。ついで、ロウソクに息を吹きかけた。スポーツをやっていた智世の肺活量は並の人よりも多く、瞬く間に十七本のロウソクの火が消えた。
みなの拍手と歓声が場を満たす。
だれよりも喜んでいそうな慶人の声が暗闇のなかで響いた。
「よーし、よくやった! それでこそわが孫だッ!」
「孫……?」
聞き覚えのない語句に、倫は小首をかしげた。
「テ、テンションが上がりすぎて変なことを口走っただけだよ。気にしないで」
慶仁はあわててフォローを入れる。
「そうなんですか……」
「あはははは、倫さん。慶ちゃんにとってちーちゃんは、孫ほどかわいいってことだよっ」
「ああ~、そういう意味ですか。ちーちゃんはみんなから愛されてるんだなぁ」
静莉の解釈に、得心がいったとばかりに倫は声を漏らす。
(ほっ……よかった)
慶仁は祖父の予期せぬ失言に肝を冷やしたが、静莉の無意識のフォローに助けられた。
再び居間とリビングに灯りが点いた。
智世が声もなく泣いていた。
「ごめん……なんかこっち――過去――に来てから涙もろくなったいみたいで」
智世自身、だれかから祝ってもらうのは二年ぶりだった。もちろん静莉や慶仁は毎年誘っていたのだが、前述のとおり敵視していたから誘われても行かなかった。五年のなかで最初の三年は倫が欠かさず祝ってくれたのだが、ここ二年は病気がちで祝うに祝えず。身内にはだれからも祝ってもらえなかったのである。
(智世姉……)
慶仁は、油断すれば目から溢れてきそうになる涙をグッとこらえた。
「嬉し涙もいいけど、笑おうよ。私は笑ってるちーちゃんの顔、大好きだよ」
倫は一生懸命に智世を励ます。
智世は倫を見つめる。すると、未来の倫と目の前の倫の面影が重なる。智世にはそう見えた。
未来では祖母の倫との思い出が駆け巡る。
涙腺が決壊するのを必死に耐え、破顔一笑して紡ぐように言った。
「ありがとう」




