三章 1-9
ついにこのときがやってきた。
静莉と倫は、夕方まで用事ができたと朝に連絡が来た。
言うまでもなく、智世への誕生日プレゼントを買いに行っているのだが、ある作戦のために時間を潰さなければならなかった。
智世は智世で静莉へ謝罪しなければとの思いが強く、自身の誕生日のことは忘れていた。
いや、頭の片隅に申し訳程度に残っているのかもしれない。しかし、自分の誕生日を祝われるとは全然思っていなかった。
ピンポーン♪
インターホンが鳴り、智世は玄関に急行する。鼓動の波打つ間隔が速くなっていく。
「おじゃまします」
現れたのは倫だった。ふだんの智世なら跳び上がらんばかりに喜ぶのだが、今日の場合に限りちがった。
智世の鼓動が急速に正常に戻っていく。
「……あ、倫さん。どうぞ入ってください」
「うん、おじゃまするね」
あらかじめ慶人から、静莉と智世のことについての経緯を知らされていた倫は、智世の態度に疑問を持つことなくリビングへ向かった。
倫が来訪してしばらく経ったあと。
ピンポーン♪
再びインターホンが鳴った。
「あ、私が出るから!」
智世は目にも止まらぬ速さでリビングから飛び出す。と、同時に玄関の扉が開いた。
「おじゃましまーす! お、智ちゃんがお出迎えとは嬉しいね」
静莉のいつもと変わらない優しげな笑顔を見たとたん、瞬時に智世の動悸が激しくなってきた。口を開けばそのまま心臓が声といっしょに出てきそうで、口角を必死に動かしてぎこちない笑顔を作ることしかできなかった。
静莉は靴を脱いで智世の前に立つ。自然と智世の視線は上に動き、背の高い静莉を見上げた。
オーバル型の眼鏡の奥にあるアーモンド型の大きな目が、智世のことをまっすぐ見つめている。
「あっ」
ふいに智世の体がふらつく。智世自身の意思ではどうすることもできず、そのまま前方へ倒れる。
「おっと」
静莉は倒れこんできた智世をひしと抱きしめる。静莉の体温と芳香に智世は包まれた。一拍おいて、智世の目からボロボロと大粒の涙が流れ出てきた。
静莉のことを抱きしめる。するとようやく、開かなかった口から言葉が切々と紡ぎ出された。
「いままで、いままでごめんね……。私はあなたに、ひどいことを何度もしてきた。無視をしたり、まともに取り合おうとしなかったり、挙句の果てには突き飛ばしたりなんかもした。それは、あなたに嫉妬していたから。でももう一方の私は、あなたの寛大な心に感謝や憧れを抱いていた。日に日にそのギャップが大きくなって、どうすればいいのかわからなくなった……。こんなダメな私でも、あなた――いえ、静莉さんは許してくれますか……?」
静莉は幼い子をあやすように、智世の頭をしなやかな手でなでた。そして、柔らかな笑みを浮かべる。
「もちろん」
「……本当? ありがとう、こんな私を赦してくれて。本当に、ありがとう……」
智世は安堵の胸をなでおろす。しかし智世は、
「でも――」
静莉は智世の肩をつかんで引き離す。間近に見た智世の顔は子どものような泣き顔で、クシャクシャになっていた。それからおもむろに顔を横にし、頬に顔を近づけた。
かぷっ
「はうっ?」
頬を甘く噛まれた智世は絶句する。
「これは突き飛ばされた分のお返し。一回は一回だから」
静莉はいたずらっ子のような笑みを見せる。
智世は顔を赤くしながら思わず訊いた。
「これでいいの?」
「うんっ。ま、なんでかはわからないけど、智ちゃんのことは同じように突き飛ばしちゃいけないような気がしたんだ」
「それで、私の頬をその……甘く噛んだと」
言うや、智世の顔はさらに耳まで赤くなっていく。
「まあね。ほかにもいろいろあったんだけど、あまり傷つけたくなかったからね」
「歯形はついたけどね」
智世の冗談めいたひと言に、ふたりは笑いあう。
「長いこと玄関にいさせてごめんね。リビングに入って、カレーを食べよ」
ひとしきり笑ったあと智世はそううながした。




