三章 1-3
その日の夕暮れ。
智世は帰宅の途に着こうとしていた。
(んー、さすがに初日は覚えることが多くてキツイわね。システムは旧式だけど、それでもこっちのほうがやりがいありそう)
智世が疲労の中にも充足を感じていると、
「おっ、智ちゃーん!」
沈み行く夕日の向こうから智世にとっては不愉快な声がした。
やや下を向いて歩いていた智世は顔を上げる。目が慣れていないためか、敵とも思える静莉の姿がなかなか視認できない。
(ちっ、会いたくない奴が来たわね)
智世は周りを見渡すも住宅街のため、隠れる場所が電信柱しかなかった。
やっと目が慣れたころにはすぐ間近まで来ており、これでは逃げようにも逃げられそうになかった。
「いま終わり? お疲れ様ー。疲れたよね? これあげるよ」
静莉は智世の手を取り、十センチほどの細長い棒を渡した。
「私の大好きな金太郎アメ。ほら、疲れたときは甘いものがいいっていうしねっ」
(過去でも金太郎アメか……変わらないのね、この柿崎静莉という人間は)
「スーパーかー。私もやってみようかなー、なんて。そんな簡単な仕事じゃないよね。いやあ、智ちゃんと倫さんはすごいわ。私がやったら絶対パニクるもん」
ペシッ
突然、満面の笑みで話していた静莉の額に何か当たった。ついさっき智世にあげたはずの金太郎アメだった。だが、静莉はまったく気にも留めず、
「おっ、いまの投げ方東郷みたいでかっこよかったよ!」
ちっとも笑みを壊すこともなく、そのうえ無礼を働いた智世のことを褒めてみせた。
これに智世は目を丸くせざるを得なかった。
「でも、倉賀野もかっこいいよねー。見た目は中性的だけど――」
「そんなんじゃないっ。とにかく、私に関わらないで!」
智世は静莉の横をすり抜けて駆け去っていった。
それから数日経った。
あいかわらず学校でも慶人宅でも、智世と静莉が会話することがなかった。
(もしかしてバイトを始めた理由って……)
あることに気づいた慶人の耳に、智世の声が聞こえてきた。
「ただいま」
「おい、智世。ちょっと話がある」
智世がリビングに入るなり、慶人は自分の前に座らせようと手招きする。
「何よ」
「いいから。すぐ終わる」
智世は不承不承慶人の前に座った。
「で、何?」
慶人はコップの水を一口飲んでから、思っていたことをずばりと言った。
「おまえがバイトをしている本当の理由って、倫さん自身のためじゃなくて自分のためなんじゃないか」
核心を衝いたはずが智世に変化は見られず、まっすぐに慶人を見据えているだけだった。
「なあ、何度も言うけど、俺は未来のことを知らないし、話せないんだったら話さなくてもいい。未来の状況がおまえにとって不利な状況だとして、変えようとして過去に来たんだろ? おまえなりのやり方で変えようとしてるみたいだけど、それじゃ未来に戻ってもたいして変わってないと思うぞ。静莉のこともふくめてみんなと仲よくしていけばいいじゃないか。それで未来がいい方向に変わる確証はない。でも、その可能性があるってことは――」
ダンッ!
智世が両手を拳にし、テーブルをぶっ叩いた。
「親でもないのにいちいちうるさいっ! 何も知らないクセに。知ったようなことを言うんじゃないわよ!」
智世の火を噴くような怒声に対し、慶人はここで怒ってはダメだと、努めて平静を装った。
「たしかに俺はおまえの親じゃない。だがな、俺はおまえのじいさんだ」
「調子のいいときだけじじい面するんじゃないわよっ! あんたなんかいまも将来も最低な奴だったのよ!」
「ぐッ」
さすがにそこまで言われて黙っていられないと、慶人は智世のことを一喝しようとする。しかし智世は、すばやく立ち上がり、リビングから出て行ってしまった。
「くそッ。俺は一体どうしたらいいんだ! 未来の俺はそんなにダメな奴なのかッ?」
慶人は、どうしようもない虚しさと悔しさをぶつけるかのように、テーブルに頭を打ち付けた。
「そんなことないよ」
その様子を一言も発さずに見ていた慶仁が、おびえるえなの頭から手を離しつつなだめるように言った。
「じいちゃんはじいちゃんとしての役目を果たしていた。ただ、その果たし方があまりにも間接的だった」
「間接的? それはどういうことだ?」
「とりあえず、ごはんを食べよう。智世姉の分は俺が持っていくから」
いつものおちゃらけた雰囲気とちがい、淡々としている慶仁の反応に慶人は戸惑った。
その慶仁はまったく気にせず、シンクの近くにある盛り付け終わった料理をお盆に載せている。
「あ、ああ……」
「それと」
お盆の上に皿を載せ終えた慶仁は、笑みのなくなった顔を慶人に向けた。
「明日、全部話すから」
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