三章 1-2
「慶人。私、あさってからバイトするから」
食事も終わりかけたころ、智世は息をするのかのごとく、サラリと言ってのけた。
「な、んぐッ」
慶人は食べていたごはんをのどに詰まらせ目を白黒させる。そんな憐れな兄の背中を、えなは遠慮なく数回叩いた。
「けーちゃん、大丈夫ー?」
ゴクリとのどの詰まりを解消する音を返事代わりにし、コップの水を一気にあおった慶人は、えなに感謝を述べることもなく、しれっとしている智世を凝視した。
「おまえ、いまなんて言った」
「何って、バイトをする」
「そんなことを聞いてないぞ。いつ決めたッ?」
「さっき」
「さっきだと? おまえなあ、せめて正当な理由を言えよッ」
「あ、あの……」
どんどんヒートアップしていく慶人に、危険を察知した倫は割って入ろうとした。が、
「倫さんは黙っていてください。これは俺とこいつの問題ですから」
「だ、黙ってなんかいられません! だって、私がちーちゃんに頼んだんですから!」
「は?」
慶人の顔が一気に閻魔顔からハトが豆鉄砲を喰らったような顔に変化した。倫は智世に話したことをそのまま話した。
「なーんだ。そういうことだったのか」
自分の孫が褒められてまんざらでもないのか、慶人はすっかり機嫌をよくした。
「そんなことなら、最初からそう言えばいいんだ。それならあんなきつい口調にならなかったのに」
だが、智世は下を向いたまま口を閉ざしている。表情も髪に隠されて見えず、うかがえそうになかった。
慶人は内心腹を立てたがかまわず、倫に頭を下げた。
「まあ、何はともあれ倫さん。俺のま……もとい、いとこをよろしく頼みます。ビシバシ鍛えてやってください」
「鍛えるだなんてとんでもないっ。逆に私のほうこそ教わることが多そうで、迷惑かけるんじゃないかと思います」
慶人と倫はお互いを褒めたりおだてたりするパターンに入ってしまった。そんな様子を聞き流している智世に、はす向かいに座っている静莉が祝った。
「智ちゃん、よかったね。こんど私も買い物に行くからっ」
「……うん、ありがとう」
智世の静莉に対する言葉は、まったくと言っていいほど抑揚がなく、感情が消えうせているように聞こえた。
二日後の夕方。
慶人は晩ご飯の支度をしており、食材を切っていた。
「ねー、慶ちゃん」
ソファーの向こうから静莉の声が飛んでくる。
慶人は肩越しにうしろを見た。
しかし、静莉の姿が見えない。代わりに静莉の細長い足が見えた。両足の裏の上にはえなの腹が乗せられており、当のえなは楽しげに腕を広げて大喜びしている。
慶人はなかば呆れつつも、とりあえず食材を切りながら返答した。
「なんだ?」
「私って、もしかして智ちゃんに嫌われてるのかな?」
慶人の食材の切る手が止まった。思わずあと数センチで自分の指を詰めるところだった。それはいいにしても、質問に答えようがなかった。
「そんなことないよっ。ケンカなんてあたしが許さないんだからっ!」
慶人の代わりにえなが答える。
「あははは、ありがとー。ま、私の勘違いかもね」
(はぁ……。なんとか仲直りしてくれないもんかな……)
智世と静莉の仲が日に日に険悪になっていくことに、頭が痛くなる思いの慶人だった。
そこに慶仁がトイレから帰ってきた。
「あれ、なんの話をしてたの? って、パンツパンツ!」
「あらやだ。わたくしったらはしたない。えーちゃん、今日のところは飛行機遊びを終わらせていただきますわ」
彼女なりのボケなのか、声音をなぜかお嬢様っぽくしてからえなにうながす。
「うんっ。しーちゃん、ありがとー」
「どういたしましてー」
えなが無事に降りられたこと確認すると、静莉は起き上がってから慶仁のほうに向いた。
「いや、ね。私の比重がパンツを見られることよりも、えーちゃんを喜ばせるほうが優先しててさ」
慶仁は苦笑を抑えられなかった。
「唐突だけどさ、しーちゃんは智姉のこと好き?」
「うん! かわいいし、頭いいし、みんなに優しいしねぇ。まあ、私には厳しい目で見てるみたいだけどね。あーあ、すっごく仲良くなりたいのになー」
「うーん、なんでだろう」
慶仁もとぼけることしかできない。
事実を伝えたところで混乱を招くだけだし、ちんぷんかんぷんなだけだし、だれも得しないだろう。
けれども、この気まずさしか残らない状況をどうにか打開したい。
そのときふと、慶仁はあることを思い出した。
「そうだ! 九月十八日が智姉の誕生日なんだけど、本人には内緒にしてサプライズ誕生会を開こうよ。そうすれば、智姉がしーちゃんに対してそっけない態度をとるのかがわかる……かも」
慶人の包丁を動かす手が止まる。
(その手があったか!)
静莉の表情がパッと明るくなる。
「おおおっ、いいねいいねー。んじゃ、とっておきのケーキとプレゼントを用意しなきゃね!」
「そうこなくっちゃ!」
「やったー。ケーキ、ケーキ♪」
慶人も振り返りながら高らかに言った。
「よーし、俺も腕によりをかけて作るぞ!」




