一章 1-1
「うーん、いい天気だ」
天井に向かって、直江慶人は大きく伸びをする。どこにでもいる男子高校生だ。が、しかし、彼のいまの格好を見た人は、頭にクエスチョンマークがいくつも浮かび上がるだろう。
ピンクの花柄のエプロンを身につけ、頭には白の頭巾。右手にぞうきん、左手にちり払い。なんとも主婦のような格好をしているのだった。
「客間の掃除も終わったことだし、こんどはどこの掃除をしようかな。玄関は早朝にやったし、風呂は洗濯物を干す前にやったし……あ、リビングがまだだったな。それが終わったら……」
ぶつぶつとつぶやきながらちり払いを腰に差し、ぞうきんをバケツにポイッと投げ入れた。そして近くにあったモップを持ち、慶人はリビングに入った。
「けーちゃん、おはよ~」
背後からあくび混じりの声。
慶人が振り向くと、上下にイチゴの模様が入ったパジャマを着た女の子が、目をこすってぼんやり突っ立っていた。
「おはよう……か。えなよ、いま何時だと思う?」
「んー? そーだねぇ、七時半?」
「バカ、十時半だ」
「あはははは、また寝過ごしちゃった~」
「たく……」
でへへと妹の直江えなは照れ笑う。
慶人はあきれた顔を隠そうともせず、リビングの床をモップでかけ始めた。
「そういや、今日は友達との約束があるんじゃないのか?」
「うんっ。みーちゃんが『えなちゃんもいっしょに、里芋の煮っ転がしを食べにいこっ』って誘ってくれたんだー」
えなはコップに入った牛乳を飲みきってから、ウキウキとした声で答える。だいぶ眠気が飛んだらしい。
慶人は思わずプッと吹き出してしまった。
「みーちゃんのお母さんもマニアックな店をよく見つけるなぁ。じゃあ、昼飯はいらないのか?」
「そうだね。あ、もしかしてけーちゃんさびしいの? いっしょに行く?」
えなは無邪気に誘ってくる。
「遠慮しとく。ほら、いくら昼だからってそんなにのんびりしてていいのか。早く着替えて行ってこい」
慶人は空いた手を軽く振って見せた。
「はいはーい」
トテトテと足音を鳴らしてえなはリビングから出て行った。
リビングの床掃除を終えた慶人が、壁かけ時計を仰ぎ見る。その瞬間、来客を報せるチャイムが鳴った。
「はーい」
モップを壁に立てかけて、慶人は玄関に向かった。
「宅急便でえぇぇぇえす!」
赤白のボーダーシャツが、筋骨隆々の体にピッチピチに張りついているようにしか見えないドライバーのおっちゃんがそこにはいた。底が中身のせいで膨らみ、いまにもその場でぶちまけかねないダンボールを、両手で軽々と抱え持っている姿はプロそのものだ。肉厚な顔には暑苦しい笑みが広がっている。
一度はハンコを取りに行こうとしたが、このままでは取りに行っている間に惨事が置きそうだ。そう判断した慶人は、
「すいません、サインでもいいですか?」
「全っ然、かまいませんよ!」
「それじゃ……」
すばやく受領印の欄に苗字を殴り書き、慶人は未知数だが明らかに重い荷物を受け取った。ズシッと両腕が数十センチ単位で下がったが、ドライバーのおっちゃんは笑顔をまったく崩さず、
「ありがとうございました――ッ!」
ちゃんと折り目正しく一礼をしてから、去って行った。
慶人はきびすを返し、とりあえずはリビングに持っていこうとした。だが、両肘が重さに耐えかねてかプルプルと大爆笑してしまっている。もうダメだと思ったとたん、急激に力が抜けた。
ドスン!
重々しい音とともに荷物が床をぶっ叩いた。
「だれだよ、こんなクソ重い荷物を送ってきた奴は」
とてつもない重さから開放された両手を無造作に振りながら、差出人の名前を目で追う。差出人の名前には直江智世と記されていた。
「直江 さとよ? あ、ちよか」
しかし、慶人に正しい読み方がわかるはずがない。会ったことも話したこともない人物であるからだ。
「いとこにはいないよな……聞かない名前だし、遠い親戚とかか?」
記憶している限りの親戚の名前を頭の中に思い浮かべる。けれど、少しでさえも情報がなかったのですぐに考えるのをやめた。
「まあ、こんな荷物を送ってくる奴なんて、ロクな奴じゃないんだろうなぁ」
落としたダンボールを足で壁際に寄せ、慶人はリビングに戻っていったのだった。