二章 1-5
しかし、智世が懸念することは起こらなかった。それよりも授業を終わるごとに席を追い出されているのに、言葉を交わすことなんてできやしないのだ。結局、慶人と静莉が唯一交わした言葉といえば、お互いに「よろしく」と言ったのみ。
放課後になり、慶人は慶仁と智世と下校した。帰宅部の慶人は、普段なら黒川と鮎川のふたりと帰っているのだが黒川は部活があり、鮎川は夏休みの宿題を終わらせるためにさっさと帰っていた。ちなみに、静莉も気づいたときにはいなかったから、さっそくできた友達と帰ったのだろう。
途中でえなを迎えに児童館に立ち寄り、その足で近くにあるスーパーに向かった。店内に入ると、たちまちえなが駄々をこねだした。
「けーちゃん、おかし買ってー」
えなの駄々に慶仁も声をまねて同調する。
「買って買ってー」
「あとでな。つーか慶仁、おまえもか」
慶仁は得意げな顔でぬけぬけと言った。
「これが俺のほぼ素なんで」
「極力出さないでもらえると助かる。子どもはえなで精一杯だからな」
「はいはい……って、えーちゃん?」
慶人と話している間にどこかに行ってしまったらしい。近くにえなの姿がなかった。
「慶さん。俺、えーちゃんを探しに行くわ」
「ああ、頼む。あいつのことだから、十中八九おかし売り場にいるけどな」
「あいよー。んじゃ、お先に」
走り去っていく慶仁を見やりながら、慶人は後ろに立っている智世を誘った。
「さてと、俺たちは食材を選ぶとするか」
しかし、智世から何も反応がない。やむなく慶人は肩越しに振り返る。
智世はレジのほうを吸い寄せられるように凝視していて、まったく慶人の声が耳に入っていなそうだった。
「……智世?」
慶人はおそるおそる声をかけると、智世はとたんに慌て始めた。
「えっ、あ……な、何よっ?」
「どうしたんだ? ぼーっとして」
「な、なんでもないわよっ」
だが、智世の視線がレジのほうに泳いでいることは慶人にバレバレだった。
それに気づいていないふりをし、慶人はうながした。
「そうか。そろそろ俺たちも行こうぜ」
「そうね」
しばらくふたりで様々な売り場を見て回った。そのつど慶人は商品や食材を手にとって説明したり、豆知識を披露したりした。
智世は不満を漏らさず熱心に聴いたり、ときには笑顔を見せたりした。――それはお互い料理を通して、なんとなく険悪で気まずい雰囲気を解消するかのように。
慶人にふとある思いが去来した。
(もしかして敵があまりにも完璧超人すぎるから、自分の心象をよくしようとしてるのか?)
智世がよそ見しているのを確認してから、軽く首を横に振った。
(ありえなくはない……が、どうしてこうも智世に対しては、後ろ暗いことを想像してしまうんだろう。もっと信じてやらんと。なんてたって孫なんだしな)
確たる証拠もないのに、もはや頭から智世と慶仁のことを自分の孫だと信じ込んでいる慶人は、内心で力強く誓う。一瞬後、買い物かごが急激に重くなった。何ごとかと見てみれば、おかしやジュースやアイスなどが大量に突っ込まれているではないか。
犯人は明らかだった。
「こら、えな! ひとつずつにしなさいって言ってるよな?」
「えー、だってけーくんが『俺もお金を出すからいいよ』って言ったんだよ」
「は?」
慶人が若干いらだたしげにしていると、元凶が慶人と智世の背後から現れた。
「えーちゃんから聞いたけど、ひどいよ慶さん。毎日のおやつの量が少ないってさ。たしかにおやつの食べすぎはよくないけど、物によっては今後の発達段階で必要な栄養素もある……」
慶仁がなかなか聞かない言葉を出したとたん、慶人の目の色が変わった。
「ちょい待ち。おまえ、最後のほうで自分が何を言ってるのか理解できてんの?」
「うん」
笑顔で頭を縦に振る慶仁に、慶人は率直に思ったことを吐露する。
「『うん』ってなんかうさんくせえな」
「まあ、俺のことはいいじゃない。それに、世話になってる身だし、生活費ぐらいは入れないと」
慶人は胸に迫るものを感じながら、慶仁を諭す。
「バカ野郎。孫から金を取るじじいがどこにいる。そういうのは気持ちだけで充分だ。ありがとな」
それから智世のほうに向いて続けた。
「智世にも言っておく。もしも払おうと思ってんならいらないからな」
またも言葉を切って、こんどは智世と慶仁を交互に見つつ、言葉を継ぐ。
「別にうちは、ひとりふたり人が増えたところで金にはこまらない。海外に出てる親父とお袋が充分すぎるほど生活費をくれるからな。だから、おまえたちが気にかける必要はまったくない。以上だ」
「慶人……」
「慶さん……」
孫たちはしばし黙っていたが、やがて慶仁が小声で智世に質問した。
「慶さんとじいちゃんって本当に同一人物かな?」
「愚問よ。あたりまえじゃない」
智世は一笑に付すが、慶仁は気にしなかった。
「だって、数年前にしょっちゅう散財してたじゃん」
「ああ、そういえばそんなことがあったわね。あのときほど『とっととくたばれクソじじい』と、思ったことはないわ」
智世が遠い目をしてつぶやいた。すると、黙って聞いていた慶人は信じられんとばかりに口を挟んだ。
「そんなにひどかったのか?」
慶仁が当時のことを思い出しながら応じた。
「うんまあ。さすがに何に使ったとは言えないけど、そりゃあもう数十万を平気でパーっと使ってからね」
「なんだと……」
普段からできる限りの倹約に努めている慶人には、頭を鈍器でぶったたかれたような感覚に陥った。
「本当にロクなことしないな。未来の俺は……」
自己嫌悪もあらわに下を向いてしまった慶人に、慶仁はフォローの意味を込めて言った。
「ま、ほかにも話せることもあるから、それはおいおいってことで」
「まだ散財話があるのかッ?」
弾かれたように頭を上げた慶人は、慶仁をまじまじと見つめた。
慶仁は手と首を横に振る。
「いやいやいやいや、そっちの話じゃないから」
「そうか。なら、よかった。これ以上そっちの話をされたら、ショックでぶっ倒れかねないからな」
「はははは……」
半分本気の慶人の言葉に、慶仁は乾いた笑いで答えるしかなかった。しばらく思案していた慶人は愁眉を開いた。
「んーでも、今日だけはおかし類の大量購入を認めよう。俺はそんなに食わないが、おまえたちは食べるだろうし」
「おおっ、やったね! えーちゃん」
「うん! 一件落着だね」
慶仁とえなは手を取り合って喜んだ。その光景を横目でほほ笑ましく眺めていた慶人に、智世が提案してきた。
「そろそろレジに並ばない? 買いたい物は大方そろったし、だいぶ混んできたわ」
「それもそうだな」




