序章
『未来と過去の交流』。
俺はこの映画が幼いころから大好きだった。
内容は未来から過去――主人公からすれば現在――に来た息子と娘が、両親が一週間留守の主人公の家に転がりこむ話だ。
ジャンルはドタバタコメディーというべきか。まあ、主人公と息子たちとのジェネレーションギャップが笑いどころの大半と言ってもいい。
時折テンポアップする台詞回しも、所々入れられる小ネタも、幼いころはちんぷんかんぷんだったが、成長するごとに意味がわかってきて新たな発見もあった。
そんな映画を小学校に入ったころから高校二年生のいまに至るまで、気が向いたときに観賞していた。
おかげでビデオは何本擦り切れたかわからない。いまはDVDがあるからいい時代になったもんだ。
話を戻す。
俺はいつかきっと未来から息子か娘、はたまた孫がやってくると信じて生きてきた。しかし、何も起こらない平々凡々な日々ばかりが過ぎていくのが現実。純真無垢だった少年も、多少は酸いも甘いもわかり始めた青年と呼ばれる年代になった。
いつまでもガキのようなことを思ってはいられない。
いつしか空想から現実中心に思考が切り替わり、家のことや学校のことや妹や友人のことを考えるようになっていった。
だが、ふとだれかが言っていた言葉で、
「探し物は探しているときほど見つからないものだ。多少なりとも忘れていたころにひょこっと出てきて驚くことがある」
と、言っていたことを思い出した。
なるほどな、そういう考え方もある。
ひょこっと出てくる可能性を信じてみようじゃないか。
俺はまた子どものような淡い期待を微々たるものではあるけれど、再び持ち始めることにした。