宴後
「あ~、幸せ!」
朱里は、ぼふんっと大きくベッドを弾ませ、柔らかい羽根布団に全身を沈めた。はじめにいた石造りの部屋とは比べものにならない豪華な寝室で、無事、空腹を満たし終えた朱里は至福に浸っていた。
「まあまあ、朱里様。また制服をお召しになられましたの? こちらに寝衣の用意をしておりますのに……」
心地良く脱力した体を動かすのも忍びなく、朱里は頭だけを声の方へ上げた。
「ごめんなさい、クマさん。ドレス、しわしわにしたくなくて……でも、へとへとで、ふわふわベッドの誘惑に勝てなくって……」
「結果として、手近なそれに、お着替えされたんですね。分かりました」
もこもこの毛に覆われた肩を、ため息混じりに落とす。そんな様子に、朱里は子供っぽくはにかんだ。
「制服、キレイになってたおかげで助かりました」
「それは……ようございました。宴もつつがなく執り行われた模様で、安心いたしましたわ」
「うん。実際、異世界の食べ物って、どうなんだろうって不安だったんだけど、お魚とか、お米とか、普通に美味しかった。主食がフルーツなのは、ドラゴンさんだからなのかな?」
「そうですわね。竜族は基本的に食事を必要としないのですが、祝い事では、果物を召し上がるようですわ」
「食事の必要がないって? 何も食べなくても、生きていけるの?」
「ああ……朱里様のおられた世界には、竜族も私のような獣人も存在しないのですね。これからは、こちらの世界で生きていかれるのですから、少しずつ学んでいかねばなりませんわ」
「え?」
この世界で生きていく……まだ、朱里には実感のない現実が、顔を覗かせる。それは、言い換えれば、元の世界には戻れないということに他ならない。
でも、何か方法はあるはずだ……と、家に帰る道を探すことを、朱里は諦める気はなかった。
「さあさあ、勉学のことは、また後ほどにいたしましょう。朱里様には、こちらにお着替えしていただかないと……そのお召し物で、リオ様を迎えるわけにはまいりませんわ」
「迎えるって? ここにリオ来るの?! 今から? 何で?」
夜、女の子の寝室に来るなど、朱里には理解し難い。急用でもないなら、今日はもう寝かしてほしいというのが、正直なところだった。
「何故と申されましても……」
朱里の非難めいた口調を、クマさんは少し困った顔で、不思議そうに受け止めた。
ふと、朱里は二人の間で微妙な温度差があることに気付く。それが、文化の違いなのか、もっと何か別の理由あってのことなのか……?
「明日じゃダメなのかなあ?」
いくら主従関係にあるからといっても、否と答える権利はあると思うところが、朱里の現代人たるところといえるのだが、こと異世界の理の囲いの中で通用するとはかぎらない。
「主人に異を唱えるとは、命知らずな人ですね」
案の定、小さな反抗は巻き起こった風に容易くさらわれてしまう。
「げ! 出た!」
朱里は、反射的に布団を被って身を隠す。
「リオ様、申し訳ありません。まだ支度が整っておりませんの」
「いや、構わない。僕も急ぎの用ができたので……」
「まさか、そのいでたち……。下界に戻られますの? では、朱里様はどうなされるおつもりで?」
布団の作り出す暗がりで、聞き耳を立てていた朱里だったが、自分の名を耳にしたのを終了の合図に、問答無用で布団を剥ぎ取られ、光の内に呼び戻された。朱里にしっかり握りしめられていた布団は、反する力に耐えきれず縫い目が綻び、羽毛を舞い上がらせる。
「きゃああ! やだ! 何これ! あたし、浮いてる?!」
軽い羽毛と同じ緩やかさで、空中を降りてくる朱里の体は、導かれるままにリオの腕へと吸い込まれていった。
「もちろん、連れて行きますよ。ここは安全とは言えないので……」
「ちょ、ちょっと待ってよ。これから、外出? 本気?」
「ええ……小鳥が檻から逃げだしたものですから」
「? 小鳥?」
「見張り役すら務まらぬとは……。この失態、どう償ってもらいましょうかね?」
誰へと向けられた言なのか?
(小鳥逃がしたくらいで、なにも殺気立たなくても……)
込み入った事情を知る由もない朱里は、その人物に心から同情した。