超常科学監査官 恐怖の大王と白衣の狂人たち
頭空っぽにしたら夢詰め込めました。へっちゃら。
一九九九年七月。
「空から恐怖の大王が降ってくる」という世紀末の予言があった。
日本人なら、正式な内容までは知らなくとも、そういう予言が存在することだけは嫌というほど知っていた。
テレビを点ければ特番の嵐。
雑誌は人類滅亡までのカウントダウンを煽り立て、書店には予言書やオカルト解説本が山のように積み上げられた。漫画や映画が世界の終わりを描けば、バラエティ番組ではひな壇の芸能人たちが「もしものときの生き残り方」を笑いながら予想する。
学校では「七月になったら面倒な宿題をやらなくて済む」とほくそ笑む子供がおり、酒の席では「どうせ滅びるなら貯金を全額使い切ろうぜ」と豪快にグラスを傾ける大人がいた。
本気で信じて怯える者もいれば、恐怖をスパイスにした一大娯楽として消費する者もいる。馬鹿馬鹿しいと切り捨てながら、特番のチャンネルだけはちゃっかり合わせている者も少なくなかった。
恐怖の大王はまだ姿を見せていなかったが、世間にとってその存在は、すでに最高の娯楽と化していたのである。
そして、カレンダーが七月に突入しても、世界は相変わらず何事もなく回り続けていた。
通勤電車の朝ラッシュは地獄のように混雑し、会社員たちは死んだ魚の目でデスクに向かい、学生たちは間近に迫る夏休みの計画に胸を躍らせていた。
テレビ局だけは「ついに予言の月が到来!」と、最後のひと稼ぎと言わんばかりに特番の延長戦を繰り広げている。
――その、七月某日、正午。
生放送の情報番組では、売れっ子の予言研究家が恐怖の大王の到来について熱弁を振ルっていた。
その言葉が、プツリと途切れた。
司会者の驚愕に満ちた顔も、画面を彩る派手なテロップも、笑い声を上げるために待機していた観客席の気配も、一瞬ですべてかき消され、画面が暗転する。
機械の故障ではない。
同じ瞬間、他局で放送されていたワイドショーも、プロ野球の生中継も、昼のニュースも――日本中すべてのチャンネルが、一斉に同じ異様な映像へ切り替わっていた。
そしてそれは、日本国内だけに留まらなかった。
ニューヨークでは、深夜のローカルニュースが乗っ取られた。キャスターがその日の事件を読み上げていた画面が途切れ、タイムズスクエアを埋める広告用の巨大ビジョンまでが一斉に月を映し出した。
パリでは、深夜映画のエンドロールが途中で消えた。早朝営業のカフェでは、開店準備をしていた店主が、古いテレビに映った円盤艦隊を新作映画の宣伝だと思って眺めていた。
モスクワでは、朝のニュースを伝えていた女性キャスターの姿が消えた。軍司令部の監視画面も、地下鉄駅のテレビも、スイッチが入れられたばかりの家庭の受像機も、同じ砂嵐に覆われた。
夜を過ごす街も、目覚めようとしていた街も、すでに一日を始めていた街も。
地球上のあらゆる画面が、まったく同じ瞬間に奪われた。
世界中の目が集まるなか、砂嵐の向こうから浮かび上がってきたのは、冷たく不気味に輝く月の姿だった。
その表面には、本来あるはずのない巨大な黒い鉤十字が刻まれていた。
合成映像ではない。
鉤十字が、ゆっくりと月面から浮かび上がった。
黒い紋章は形を崩さないまま、地球へ向かって飛んでくる。
近づくにつれ、その輪郭が無数の光点へ分かれていった。
一本の線に見えていたものは、整然と隊列を組んだ円盤兵器の群れだった。
鉤十字の四本の腕がほどけ、何千、何万という小型円盤へ分裂する。
その中心部からは、黒い鉄十字を刻んだ円盤型超巨大戦艦が、一隻、また一隻と姿を現した。
上部には旧時代の戦艦を思わせる砲塔が厳めしく並び、その周囲を飛び交うアダムスキー型小型円盤には、どう見ても四号戦車のものと同型の砲塔が、天地を逆にしてぶら下がっている。
月に描かれていたのは、紋章ではなかった。
半世紀もの間、月の裏側で地球を狙い続けていた侵略艦隊そのものだったのである。
◇
それを見たお茶の間の大半は、どこかの映画会社が仕掛けた派手な新作宣伝だと思った。
予言特番の司会者すら、放送の止まったスタジオで「最近の宣伝はえらく金がかかってやがるな」と呑気に感心していた。
やがて、画面中央に一人の男が映し出された。
黒い軍服に身を包み、青白い肌をした冷酷そうな男。
胸元は眩い勲章で埋め尽くされている。その背後には、地球を鉤爪で掴む巨大な鷲と、月桂樹に囲まれた鉄十字の旗が掲げられていた。
『全人類に告ぐ』
男の声は、電源を切ったはずのテレビからも流れていた。
あろうことか、コンセントを引き抜かれた受像機さえ青白い光を放ち、その声を響かせていた。
『我々は月面第三帝国である』
その宣言とともに、一九九九年最大の娯楽は、本物の悪夢へと変貌を遂げた。
◇
第二次世界大戦末期、密かに地球を脱出したナチス残党。
彼らは半世紀もの間、誰にも気づかれることなく月の裏側に要塞都市を築き上げ、静かに地球侵攻の機会をうかがっていたのだ。
円盤兵器。
人体改造によって生み出された超人兵士。
大陸を一撃で焼き払う軌道ビーム砲。
空間を歪め、一瞬で軍団を地上へ送り込む転移ポータル。
これまでオカルト雑誌の都市伝説として嘲笑され、酔っ払いの酒の肴にされてきたものは、すべて紛うことなき真実だった。
ニューヨーク上空に巨大円盤が影を落とした。
パリでは凱旋門の中心を貫くように転移門が開き、シャンゼリゼ通りを月面装甲師団が我が物顔で進軍していく。
モスクワ郊外の大地は赤い光線によってえぐり取られ、北京中心部には改造人間の兵団が空から降ってきた。
もちろん、人類とて指をくわえて見ているわけではなかった。
世界各国の軍隊が、即座に死活をかけた迎撃態勢へ入る。
スクランブル発進した最新鋭戦闘機が空を覆い、地対空ミサイルの群れが敵の円盤へ殺到した。
海上では空母打撃群が重厚な陣形を組み、地上では戦車と機械化部隊が転移ポータルの周囲へ集結する。
二度の世界大戦と、半世紀にわたる冷戦の緊張のなかで、人類が血を流しながら築き上げてきた軍事力。
それが歴史上初めて、共通の敵へ向けて牙を剥いたのだ。
――だが、まったく通用しなかった。
戦闘機から放たれた空対空ミサイルは、円盤の手前数メートルで停止すると、次の瞬間、物理法則を完全に無視して発射元の戦闘機へUターンした。
艦砲射撃は光の障壁に弾き返された。
戦車砲の直撃を受けた改造人間兵士は、お気に入りの軍服の裾を少し焦がしただけで、何事もなかったかのように突撃を続けた。
最新鋭の戦闘機は葉巻型の小型円盤に虫けらのように追い回され、海上を進んでいた空母は、上空から照射された光線によって、乗員を残したまま飛行甲板だけをきれいに溶かされた。
パリへ突入した機甲部隊は転移ポータルへ丸ごと飲み込まれ、気がつけばサハラ砂漠の真ん中を走っていた。
世界各地から、絶望的な敗北を告げる報告が相次ぐ。
それでも、人類にはまだ最後の切り札が残されていた。
――核兵器である。
だが、それはボタン一つで使える魔法の切り札ではなかった。
通常戦力による迎撃が失敗し、各地の指揮系統が寸断されていくなか、各国政府は連絡を取り合い、被害予測を繰り返し、それでもなお決断をためらった。
一度使えば、もう後戻りはできない。
しかし、ためらっている間にも都市は陥落し、艦隊は沈み、地上部隊からの通信が次々と途絶えていった。
宣戦布告から、四時間十二分。
ついに最初の一発が、大西洋上空で使用された。
飛来する三キロ級円盤戦艦へ向け、核弾頭を搭載した迎撃ミサイルが撃ち出された。
閃光。
太陽が地上へ墜ちたかのような眩い光が、水平線を焼き尽くす。
世界中の軍司令部で、誰もが息を止め、固唾をのんで結果を見守った。
膨れ上がった核の火球が、不意にその動きを止めた。
次の瞬間、炎も、衝撃波も、放射線も、見えない渦へ引き込まれるように円盤戦艦へ吸い寄せられていく。
やがて閃光が消えたあとには、傷一つない円盤戦艦だけが浮かんでいた。
船体を覆う半透明の障壁が、核爆発の全エネルギーを吸収していたのである。
『高熱、衝撃波、放射線。六十年前の埃をかぶった理論の応用か。エネルギー源としては悪くない』
月面第三帝国から、心底見下したような嘲笑混じりの通信が届いた。
円盤戦艦の砲塔へ、先ほどの核爆発から奪った光が集まっていく。
次の瞬間、核爆発を軽々と上回る極太の光線が海面を走り抜けた。
大西洋が、文字どおり二つに割れた。
核兵器は効かない。
それどころか、使用すればするほど相手へ力を与えてしまう。
発射準備に入っていた各国の核戦力は、相次いで作戦を中止した。
人類史上初めて、世界の主要国すべてが一つの冷徹な結論へ到達した。
――現存するいかなる兵器を用いても、この敵に勝利することは不可能である。
日本を除く主要戦域では、組織的な抵抗を続けられる軍隊が、ほとんど残されていなかった。
世界は、完全なパニックの底へ突き落とされた。
そして日本も、その例外ではなかった。
◇
日本列島各地の上空へ、全長三キロメートル級の円盤戦艦が七隻、相次いで出現した。
北海道から九州まで、それぞれが担当区域へ散開し、周囲には数百機の小型円盤と改造兵団が展開されていく。
だが、関東上空を覆う影は、それらとは比較にならなかった。
全長十キロメートル。
東京湾上空へ出現した、月面第三帝国日本方面軍の総旗艦。
三キロ級円盤戦艦が都市を滅ぼす兵器なら、帝国母艦は一つの都市そのものだった。
無数の砲塔、格納庫、転移門を備えた月面要塞が、日本侵攻部隊のすべてを指揮していたのである。
日本政府は緊急対策会議を招集し、自衛隊には防衛出動の準備が命じられた。
しかし月面第三帝国は、すぐには攻撃してこなかった。
閣僚たちが首相官邸へ集まるより早く、国内の通信網が再び乗っ取られた。
電話回線が切断される。
ラジオから音声が消える。
インターネットには、月面第三帝国の紋章だけが表示された。
テレビの中では、あの軍服の男が、他国へ宣戦布告したときとは異なる、どこか親しげな表情を浮かべていた。
『日本国民に告ぐ』
男の背後では、日本列島の地図が赤く染まり、各地へ配置された七隻の円盤戦艦が点滅していた。
『かつて我らは、同じ敵と戦った盟友である』
それは、降伏勧告ではなかった。
『ゆえに貴国には、特別な選択の機会を与える。再び我らと盟約を結び、月面第三帝国とともに新たな世界秩序を築こうではないか』
日本政府は回答を求められた。
内閣は即座に緊急会議へ入った。
だが、回答を決める時間はなかった。
『――おい。聞こえとるか、そこの若造』
誰にも頼まれていない老人が、政府より先に返事をしてしまったからである。
軍服の男が眉を動かした。
『何者だ、貴様』
『年長者に向かって貴様とは、月では礼儀も教えんらしいな』
画面の隅、その暗がりから、不敵に笑う白衣姿の老人が割って入ってきた。
老人の顔の上半分は怪しく影に隠れている。その背後では、真空管の塊、巨大な歯車、青白い火花を散らす放電コイル、用途不明の七色に輝く液体タンクが、不気味な駆動音を立てていた。
『馬鹿な! この通信網は我が帝国が完全に掌握しているはずだ!』
『月の裏へ逃げ込んで、たかだか五十年の若造が、わしの回線を支配したつもりか』
『貴様、いったい何者だ!』
『儂か。儂は――』
そこで、老人の映像が激しく乱れた。
代わって画面へ飛び込んできたのは、髪を大爆発させ、煤で顔を真っ黒にした女科学者だった。
『誰だ、勝手にわしの回線へ割り込んできた下等生物は!』
『うるさいわね!こっちはもう何年もこの時を待っていたのよ!』
画面を巡る電脳の主導権争いは、互いの乗っ取り力のぶつかり合いによって激しいスパークを散らし、どちらか一方が一方的に弾き出すことも押し返すこともできぬまま――やむを得ず、モニタは四分割、六分割へと強制的に細分化されていった。
そして画面に映らないところでも、連中が持ち場を駆け回る気配がはっきりと伝わってきた。
『静かにせんかボークス! わしの三十年越しの演説がこんな相乗りで台無しじゃろ!』
『うるさいわね、こっちだって最大出力でハックしてるのに向こうの壁が厚すぎるのよ! 仕方ないでしょ、これ以上は回線がパンクするわ!』
『ちっ……しょうがない、今回はこの四分割画面とやらで我慢してやるわ! さっさと本題に入りなさいよ!』
「今そっちの音量調整しますから、勝手に怒鳴らないでください!」
画面の中と外で怒号とドタバタが入り乱れる中、通信ジャックは完全に収拾のつかないカオスへと突入していった。
◇
――そして、そんなテレビ画面の狂騒をよそに。
日本各地の裏庭や地下ドックでもまた、別の「備え」が最終段階を迎えていた。
分厚い溶接面をかぶった小柄な老人は、火花を散らしながら巨大な列車へ最後の装甲板を溶接していた。
古めかしい軍艦の艦橋に仁王立ちする白衣の男は、東京湾上空の敵艦隊へ計算尺をかざし、血走った目で砲撃諸元を暗算している。
寂れた町工場の老婆は、巨大なドリルの刃先を指でなぞった。指先から血が一滴落ち、刃は生き物のように低く唸った。
古びた天文台では、痩せこけた学者が何枚もの星図へ赤い線を引いていた。その線は遥か銀河の彼方から地球を指している。
南海の孤島では、体格のよい中年男が、機械仕掛けの怪獣の口へ放射線標識のついたドラム缶を丸ごと放り込んでいた。
『よしよし、いい子だ。待たせたな』
巨獣が鋼鉄の牙を鳴らし、ぎらつく眼を空へ向ける。
『あれなら、遠慮なく丸かじりしていいぞ』
『月面ナチスなど専門外だが、我が人造人間の敵ではない!』
『そこのお前たち、邪魔だ! わしの完璧な発進シークエンスを妨害するな!』
『誰か東京湾を空けろ! そこは私の海だ!』
◇
彼らは仲間ではない。
互いの研究を知りもしなかった。
政府から組織的な命令を受けたわけでもない。
ただ、それぞれが勝手に、誰にも理解されず、世間から気味の悪い変人扱いされながら、人生のすべてを「いつか来るかもしれない何か」への備えに費やしていた。
ある者は、宇宙からの侵略怪獣に。
ある者は、海底深くから這い上がる古代帝国に。
ある者は、世界を裏で牛耳る悪の秘密結社に。
ある者は、まだ見ぬ未来からの侵略者に。
――だが、血と汗と狂気で作り上げた研究成果だけは、本物だった。
奇しくも、画面の中の白衣の人影たちが、ほとんど同時に声を張り上げた。
『こんな』
――どこかの格納庫で、ロボットの目が光った。
『ことも』
――誰も知らない深海のドックに注水が始まった。
『あろう』
――どこかで誰かが変身の構えを取った。
『かと!』
次の瞬間、日本列島が、文字どおり動いた。
◇
富士山麓の樹海が轟音とともに左右へ割れ、地下格納庫から赤と黒に塗り分けられた鋼鉄の巨人がせり上がった。
長野の山中では、青を基調とする別の巨人が大地を突き破り、そのまま空へ舞い上がる。
さらに伊豆半島沖の無人島から、赤、青、黄の三機が相次いで発進した。
三機は駿河湾上空で華麗に変形し、火花を散らしながら一体の巨大な人型へと合体する。
所属も開発者も異なる三体の巨大ロボットは、奇しくも静岡市郊外で鉢合わせた。
数秒の沈黙。
『待て! 貴様ら! その胸部構造は、わしの設計ではないか!』
『何を馬鹿な! これは儂のオリジナルだ!』
『オリジナルは俺だ! せめて合体させてから主張しろ!』
彼らの頭上では、三キロ級円盤戦艦が砲塔を地上へ向けていた。
月面第三帝国の軍人たちは、突如現れた巨人を見ても、まだ余裕を崩していなかった。
『すばらしい。さすがは我らの盟友。半世紀の間に、これほどの大型兵器を――』
『誰が貴様らのために造ったと言った、若造!』
三体の巨大ロボットが、一斉に円盤戦艦へ武器を向けた。
『なぜだ!?』
円盤戦艦と、その周囲の小型円盤部隊が慌てて攻撃を開始する。
無数の光弾が三体へ殺到した。
『邪魔じゃ!』
赤黒の巨人が胸部から熱線を放った。
迫る光弾ごと円盤の群れを薙ぎ払い、空に巨大な爆炎を咲かせる。
『見たか! これぞオリジナルの証明!』
胸を張る赤黒の巨人を、青い巨人が鼻で笑った。
『何がオリジナルか。光線兵器など非効率! 遠距離から撃つだけなら、固定砲台を置いておけばよい!』
青い巨人が爆炎の中へ飛び込む。
『人型兵器に求められるのは、人型であるがゆえの格闘戦! そして、それを可能とする圧倒的な頑丈さだ!』
すれ違いざまに小型円盤を素手で叩き潰し、掴んだ残骸を別の敵へ投げつけながら、そのまま敵陣の中央へ突っ込んでいった。
『オリジナルだの効率だの……ふん、お前たちは学会の連中と一緒だ!』
三色の合体巨人が、大暴れする二体を見回した。
『なんだと!?』
『何を言う!』
赤黒と青、二人の老いた声が重なる。
『確かにオリジナリティは大事だ。効率だって必要だろうさ!』
『ならば、何が不満だ!』
『お前ら、さっきから誰に言い訳してるんだよ?』
『……は?』
『オリジナルだの効率だの、そんな理屈がなければロボットを造っちゃいけないのか!』
赤黒と青、二体の巨人がぴたりと動きを止めた。
静まり返る三体へ、小型円盤の第二波が殺到する。
三色の巨人は空中で三機へと分離した。
赤、青、黄の機体がそれぞれ異なる方向へ飛び散り、複雑な軌道で敵を翻弄する。
敵の射線が交差したその瞬間、三機は再び一体へと合体した。
組み上がる勢いのまま振り抜かれた両腕が、群がる小型円盤をまとめて叩き落とす。
『合体する必要などない。分離する必要もない。それでも俺は、こいつを三機に分けた!』
若い開発者は、真っ直ぐに言い切った。
『俺が、やりたかったからだッ!』
再び、戦場に沈黙が落ちた。
赤黒の巨人が、静かに胸部装甲を閉じる。
『……独創性などと息巻いたところで、ロマンを愛する少年の空想にはかなわんか』
青い巨人も、構えていた拳をゆっくりと下ろした。
『兵器に、人型である必然性などない。効率だけを求めるなら、戦車か航空機を造ればよいのだからな』
二体の巨人が、わずかにうつむいた。
長い年月を、誰にも理解されぬまま孤独な研究に費やしてきた者たちの言葉には、奇妙な寂しさと、妙な晴れやかさが滲んでいた。
やがて、赤黒の巨人がガチリと顔を上げる。
『……そうか。やりたかったから、か』
青い巨人も、もう一度両の拳を力強く打ち合わせた。
『まったく、それで十分だったな』
上空の円盤戦艦が、鬱陶しい三体をまとめて消し飛ばそうと、主砲へ眩い光を集め始めた。
『赤黒! まずあの障壁を焼け!』
若い開発者が叫ぶ。
『指図するでないわ!』
赤黒の巨人が、全身のジェネレーターを唸らせて最大出力の熱線を放った。
『だが、その役目は引き受けた!』
灼熱の光が、円盤戦艦の防御障壁を赤熱させていく。
『青!』
『言われるまでもない!』
青い巨人が大気を蹴り飛ばし、赤熱した一点へ渾身の拳を叩き込んだ。
――凄まじい轟音。
円盤戦艦を覆っていた絶対の障壁に、蜘蛛の巣のような巨大な亀裂が走る。
『仕上げは任せろ!』
三色の巨人が亀裂へと両腕を突き入れた。
赤黒の熱線が内側から押し広げ、青い巨人の拳が装甲を粉々に砕く。
そして、三色の巨人が左右へ力任せに腕を振り抜いた。
全長三キロメートルの円盤戦艦が中央から綺麗に引き裂かれ、駿河湾の上空で盛大に爆発四散する。
炎に染まった夕暮れの空の下で、三体の巨大ロボットが堂々と並び立った。
『おい、若いの』
『なんだよ、ジジイ』
『貴様の機体、合体時の接合部に無駄が多すぎる。あとで設計図を見せろ』
『断る。どうせ盗む気だろ』
『改善してやると言っとるんじゃ!』
『儂の機体の関節部も強度が足りん。こっそり見せてみろ』
『やっぱり盗む気じゃないか!』
言い争いながらも、青い巨人と三色の合体巨人は、残る敵を追って東京方面へ勢いよく飛び立った。
その場には、赤黒の巨人だけがポツンと取り残される。
空中で二体が振り返った。
『……おい、まさか飛べないのか?』
『飛べないのではないッ!』
赤黒の巨人が、両脚を大きく踏み張って身構えた。
『飛行機能など、真の巨大ロボットには不要と判断しただけじゃ!』
『さっきまでの話はなんだったんだ!』
『それとこれとは別じゃ!』
赤黒の巨人が大地を蹴り砕いた。
一歩ごとに山が揺れ、森林をなぎ倒し、すさまじい地響きを残しながら、アスファルトの上を東へ向かって猛然と走り始める。
空を飛ぶ二体に、凄まじい勢いで追いついていく。
『は、速いな!?』
『地上走行の機動力にかけては、誰にも負けんわ!』
二体は空を。
一体は大地を。
三体の巨大ロボットは、未だに言い争いながら、それぞれの正義とロマンを乗せて同じ東京を目指して進んでいった。
◇
東京湾の海面が激しく爆発し、天を突くような奔流の水柱が上がった。
その逆巻く白波を切り裂き、現れたのは全長五百メートルを超える巨大なサメ型潜水艦だ。
鋼鉄の背びれが水面を裂き、開かれた巨大な顎の奥では、何列もの回転刃が獲物を求めて凶悪な音を立てて唸る。
だが、その進路を遮るように、今度は海底が左右へと轟音とともに割れた。
横須賀沖の海中格納庫から、旧時代の戦艦を何倍にもスケールアップしたような超弩級戦艦が浮上する。滝のような海水を甲板から豪快に洗い流しながら、無数の五連装主砲塔を上空の円盤艦隊へと突き付けた。
お互いの存在など知るはずもなかった二隻は、東京湾のど真ん中で見事に鉢合わせた。
『どけッ! あの円盤戦艦は、うちの可愛いペットの昼飯だ!』
サメ型潜水艦から怒号が飛ぶ。
『馬鹿を抜かせ! 東京湾は我が超弩級艦の厳正なる砲撃管区である!』
『海に落ちたものはすべて海の主の獲物に決まっておろうが!』
『まだ一機も落ちておらんわ!』
言い争う二隻の頭上から、三キロ級円盤戦艦が冷酷に砲門を向け、容赦ないビーム砲を放った。
瞬間、超弩級戦艦の主砲が一斉に火を噴く。
超重量の徹甲弾が迫り来る光線を正面から撃ち抜き、その勢いのまま円盤戦艦の外縁へと突き刺さった。
体勢を崩した円盤戦艦へ、サメ型潜水艦が海面を蹴り上げて跳躍する。
全長五百メートルの鋼鉄の顎が円盤の装甲へガシリと食らいつき、外殻と動力炉の基幹をまとめて噛み砕いた。
円盤戦艦は激しい二次爆発を繰り返しながら、東京湾の濁流へと墜落していく。
『見たか! うちの子が華麗に仕留めたぞ!』
『我が艦が装甲の急所を撃ち抜いたからこそ噛みつけたんのだろうが!』
『先に落としたほうの戦果に決まっているだろうが!』
『そんな勝手な規則があるか!』
沈みゆく残骸を挟み、二隻はそのまま戦果の所有権を巡る泥仕合の口論を始めた。
◇
その頃、日本全国に点在する無数の秘密基地から、原色の派手な強化服をまとった一匹狼の戦士たちが、次々と地を蹴って飛び出していった。
ある地方都市の駅前広場。
けたたましい爆音とともに、月面第三帝国の精鋭・改造兵団が降下してきた。
逃げ惑う一般市民。
その進路へ、たった一人の戦士が音もなく舞い降りる。
戦車砲の直撃すら無傷で耐え抜く改造兵士の強烈な拳を、戦士は片手で正面から受け止めた。
驚愕する巨体の懐へ一歩踏み込み、その腕を軽々とひねり上げてアスファルトへ叩き伏せる。
返す刀で跳び上がり、重力を無視した鋭い回し蹴りが無敵の兵士の顔面を捉えた。
――盛大な爆発。
だが、余韻に浸る間もなく、背後から別の改造兵士が不意打ちを仕掛けてくる。
窮地かと思われたその瞬間、どこからともなく飛来した鮮烈な光線銃の一撃が敵の肩を撃ち抜き、広場の端へと吹き飛ばした。
戦士が振り返ると、そこには武装したカスタムバイクにまたがる四人組の戦士たちがいた。
彼らは言葉もなく、互いにちらりと目配せをする。
小さく頷く合図一つ。
それだけで、五人は名乗りすら上げず、それぞれの標的へ向かって四散した。
周囲を見渡せば、まだ無数の改造兵士が群がっている。
誰がどの街を守るのか。
彼らは互いの名前も知らなければ、所属する組織すら知らない。
共通の命令系統も、連絡を取り合う通信手段も、最初から何一つ存在していなかった。
ただ、「こんなこともあろうかと」人生のすべてを捧げて備えていた――その事実だけが、彼らを繋いでいた。
かくして、世界各国の正規軍をものの数時間で蹂躙した月面第三帝国の超人兵団は、日本の都市を一つとして奪えないまま、その日のうちに完璧に全滅させられたのである。
◇
東京上空では、別の三キロ級円盤戦艦が、おぞましいほど巨大な砲塔を地上へと向けられていた。
その凶悪な砲口へ、都市一つを丸ごと焼き尽くすための莫大な光が集まっていく。
――直後。
新宿の超高層ビル屋上にひっそりと据え付けられていた用途不明の怪しげな球体が、一斉に妖しく青白い光を放った。
光は上空で結びつき、都心を覆い隠す巨大なドーム状の防御障壁を形成する。
だが、それで終わるはずがなかった。
別の秘密研究施設から、真紅の障壁がそれに重なる。
さらに黄色、緑、紫。
開発者も、理論も、用途すら異なる防御障壁が、東京の空へ次々と乱雑に塗り重ねられていく。
光の層は決して混ざり合わなかった。
互いに激しく押し合い、猛烈に弾き合い、無理やり食い込み合い、都心の上空に禍々しくも美しい巨大なマーブル模様を作り上げていく。虹色の表面を無数の稲妻が走り抜け、ドーム全体がまるで生き物のように不規則に脈打ち始めた。
『誰だァ! わしの特製障壁に勝手な電磁場を重ねた不届き者は!』
『そちらこそ退け! 位相が盛大に干渉して効率がガタ落ちだ!』
『後からこんなガラクタを展開したのは貴様だろうが!』
『一刻も早く周波数をずらしてください! このままでは空間が物理的に破裂します!』
絶叫が飛び交うその瞬間。
上空の円盤戦艦の主砲が、ついに火を噴いた。
すべてを蒸発させる光の奔流が、虹色の障壁へ直撃する。
――東京中が、眩い白に染まった。
障壁の表面が凄まじい勢いでへこみ、幾重もの光の渦が逆巻く。
だが、敵の超高出力ビームは中心へ飲み込まれ――なんと、まったく予期せぬ方向へと丸ごと弾き返された。
反転した破滅の光が、発射元の円盤戦艦の装甲を正面からえぐる。
三キロの巨体がぐらりと傾き、激しく炎を噴きながら墜落を始めた。
だが、その巨躯が地上へ届くことはない。
円盤戦艦はドーム状障壁の頂上に激突して引っかかり、虹色の不気味な表面を盛大に滑り落ちながら大爆発を起こした。
飛散する爆炎も、鋼鉄の破片も、障壁の内側には一滴たりとも届かない。
のちには、奇妙な静けさだけが残されていた。
『ふ、ふん……。我が障壁の全反射機能、なかなか見事なものだな』
『そ、そうだな! わしも最初から、こうなる計算通りだったがね!』
『偶然にしては、まあ悪くない結果だ……うん』
白衣の科学者たちは、冷や汗を拭いながらお互いの顔色を必死でうかがい、しれっと頷き合った。
その輪の中で、もっとも若く見える白衣の娘が、おずおずと手を挙げる。
『……あの、私、知らない』
全員の動きがピタリと止まった。
『今の反射機能、私の設計データには一切ない』
科学者たちの顔色が、一瞬で青ざめた。
『待て。わしの障壁にも、そんな反射機構など組み込んではおらんぞ』
『俺のところにもない……!』
『ということは――』
全員が、東京の空を覆う禍々しい虹色のドームを恐る恐る見上げた。
『異なる防御場の偶発的な相互干渉によって、人類未踏の完全反射現象が引き起こされたというのかッ!?』
次の瞬間、無人の通信回線は、再び世紀の大発見を巡る醜い怒号の渦へと叩き落とされた。
『おいお前ら、今すぐ観測データをよこせ! わしが完璧な論文を仕上げる!』
『抜け駆けするな! 最初に特許を取るのはこの俺だ!』
『わ、私が一番最初に見つけたんだから、私に優先権が――』
『小娘は黙ってろ!』
『ひゃいいいっ!?』
首都を守り抜いたはずの虹色のドームの下で、今度は熾烈な利権争奪戦の幕が切って落とされたのだった。
◇
異変は、東京や大阪といった近代都市圏だけに留まらなかった。
日本各地に鎮座し、何百年もの間、静かに人々を見守ってきたはずの巨大な仏像や観音像たちが、一斉に閉ざされていた瞼をカッと見開き、不気味に空を見上げたのである。
ある古都に立つ巨大な如来像は、静寂を破って強烈な金色の熱線を天空へ放った。
薙ぎ払うように走った光の奔流が、上空を旋回していた月面第三帝国の小型円盤群をまとめて焼き払い、数知れない黒煙となって墜落させる。
山間の深い緑に座する大仏は、その頭部を覆う無数の螺髪を一つ残らずミサイルポッドとして一斉発射した。
漆黒に輝く螺髪の群れは、それぞれが生体ミサイルのように複雑な軌道を描いて敵機を執拗に追い回し、青空を幾重もの爆炎で真っ黒に染め上げていく。
海岸沿いに仁王立ちする巨大な観音像は、優雅にまとっていた石のケープを巨大な鞭のようにしならせた。
その一閃が巻き起こした超音速の衝撃波だけで、接近していた円盤の編隊がまとめて粉々に叩き割られる。
内陸部に鎮座する巨像は、背負っていた巨大な光背を円盤ノコギリのように高速回転させ、敵円盤から放たれたビームを片端から切り裂いて無効化した。
建立された時代も、信仰された宗派も、隠し込まれていた迎導機構も、何もかもがバラバラ。
そんな統制の欠片もない巨像たちの暴れっぷりによって、月面第三帝国が誇る高機動小型円盤は、まるで羽虫のように撃墜され、日本の空から一掃されていった。
◇
一方、東北の深い山中では、発掘現場を覆っていた巨大な天幕が内側からの爆風で吹き飛んでいた。
大地へ亀裂が走る。
土砂と太古の岩盤を盛大に押し退け、地中から異様なシルエットの巨人が立ち上がった。
異常に誇張された巨大な両眼。
全身を隙間なく覆う、呪わしいほど複雑な文様。
異様に肥大化した手足。
全高、五十メートル。
上空を威圧する三キロ級円盤戦艦と比べれば、それは豆粒のような矮小な存在にすぎなかった。
だが、その泥まみれの肩の上には、発掘用ヘルメットの上から白衣を羽織った小柄な男が、誇らしげに腕を組んで立っていた。
『これを古代のただの土偶だと笑いものにした愚か者どもよ、よく見ておくがいい!』
男が手にしたボロボロの発掘用ブラシを、上空の円盤戦艦へと突きつける。
『これこそ、超古代縄文文明が遺した究極の列島防衛兵器! その名も――自律型国土防衛巨神、シャコウキ・ドグー零式であるッ!』
円盤戦艦が、見下ろすように砲撃を開始した。
都市を焦がす灼熱の光線が、シャコウキ・ドグー零式の胸部へ直撃する。
山中がまばゆい閃光と黒煙に包まれ、地上の作業員たちが悲鳴を上げて身を伏せた。
――だが、煙が晴れても、土偶は一歩も退かず、直撃前と全く同じ奇妙なポーズで仁王立ちしていた。
全身の装甲には、焦げかす一つついていない。
『ふはは! 超古代セラミック装甲の前には、貴様らの熱攻撃などそよ風に等しいわ!』
『……って言いますか、ただの焼き物じゃありませんか』
足元で、助手の若い男が冷ややかな声を飛ばす。
『セラミックだ!』
『どう見ても土を焼いたものですよね』
『超古代の粘土を、超古代の情熱で焼き上げた、完全無欠の超古代セラミック装甲だと言っとるのだ!』
男はふんと鼻を鳴らし、再び発掘用ブラシを大きく振りかぶった。
『お喋りはそこまでだ。今度はこちらの番だぞ!』
土偶の全身を覆う縄文の文様が、狂おしいほどの赤い光を帯びて明滅する。
その二つの巨大な遮光器が、ギギギと重々しい音を立ててゆっくりと開いた。
『左右の遮光器より、位相を半周期ずらした二条の超粒子流を同時照射! 互いの拡散を完璧に相殺し、一点へ螺旋状に収束させろ!』
『……あの、先生。それ、どうなるんです?』
『いいから黙って見ておれ!』
博士が発掘用ブラシを唐竹割りに振り下ろした。
『縄文式集束光砲、出力――最小!』
巨人の二つの遮光器から、まばゆい純白の光が一本ずつ放たれた。
光はまっすぐには進まない。
互いの周囲を猛烈な勢いで回転しながら接近し、ねじれ、絡み合い、まるで古代の巨大な縄目そのもののような禍々しい一本の光束へと組み上がっていく。
螺旋を描いて疾走する光の縄が、円盤戦艦の防御障壁へ突き刺さった。
敵の障壁は全力を挙げてそれを弾き返そうと激しく明滅する。
だが、交互に位相を変え続ける二条の粒子流は、一点へ狂気的なまでの衝撃を絶え間なく叩き込み続けた。
半透明の障壁に、まず蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
次の瞬間、縄目状の光束は障壁を粉砕し、幾重もの装甲板を紙屑のように貫き、艦内に並ぶ中枢機関部を完全になぎ払った挙句、そのはるか後方を飛んでいた小型円盤の群れまでまとめて消し飛ばした。
巨大な円盤戦艦は中央から無残にねじ切れ、断末魔の爆音を響かせながら山の向こうへと墜落していく。
男は、手元で燻る焦げた発掘用ブラシを、じっと見下ろした。
『……おかしいな。たしかに出力を「最小」にしろと指示したはずだが』
『今のが我が国の科学力における最小出力です!』
地上の助手が血の気を引いた顔で絶叫する。
『調整目盛りを間違えてあと一ミリでも回していれば、東北地方そのものが地図から消えていましたよ!』
『ふむ……。これほどの過剰な破壊力が必要だったとは、超古代文明とはなんと恐ろしい連中だ』
『復元したのはあなたでしょうがァーーッ!』
山中に響き渡る絶叫をよそに、男は澄ました顔で白衣の裾を翻すのだった。
◇
四国上空へ侵入した三キロ級円盤戦艦が、冷酷に地上へ砲口を向けた。
『これより全主要都市に対する焦土攻撃を――』
その宣戦布告は、最後まで告げられることはなかった。
高知県、早明浦ダム。
静まり返った湖面が突如として激しく盛り上がり、その深淵から何千本もの眩い白い物体が空へ向けて一斉に射出された。
一本一本が優に数百メートル。
伸びる。
――まだ伸びる。
常識的な物理法則など完全無視して千切れることなくどこまでも伸び続けた白い束は、瞬く間に三キロ級円盤戦艦の巨体へ幾重にも絡みついた。
『な、なんだこれはッ!?』
『機体周囲の成分分析を開始……ッ!』
無数の白い麺が、船体を締め上げるようにうねり狂う。
『分析完了ッ! 主成分は……小麦粉、塩、水……ッ!?』
『ば、馬鹿な! 讃岐うどんかぁ――ッ!?』
『う、うどんだぁぁーーっ!!』
絶叫の響く中、白い麺の束が一斉に全力を込めて引き絞られた。
――ギシリ、と嫌な金属音が響く。
三キロを誇る最強の円盤戦艦が、まるで柔らかい粘土細工のように、中央からゆっくりとひしゃげていく。
『馬鹿な! 我が帝国の誇る最新鋭艦が、こんな下等な麺類などに――!』
次の瞬間、円盤戦艦はうどんの強烈なコシによって締め上げられ、盛大な金属音とともに文字どおりぺちゃんこに押し潰された。
早明浦ダムのほとりでは、深い菅笠を目深にかぶった謎の男が、その圧倒的な光景を一片の湯気とともに静かに見上げていた。
「……ふっ。四国のうどんのコシを、舐めるなよ」
◇
一方、中国地方の山中。
とうの昔に地図から消し去られた廃線区画を、窓一つない不気味な黒塗りの列車が疾走していた。
長い暗いトンネルを抜けた直後、列車は車輪から火花を散らしながら急ブレーキでその巨体を停止させる。
――ガキィィン!
凄まじい音とともに、各車両の床下から規格外の巨大な固定脚が展開された。
朽ち果てたレールを豪快にまたいで突き立った無数のアンカーが、崩れかけた道床を突き破り、その下の堅固な岩盤へと深々と食い込んでいく。
黒い車両たちは凄まじい機械音を立てて連結構造を組み替え、先頭から最後尾までを一本の銃身とする全長数キロメートルの超巨大超電導砲へとその姿を変えた。
どこから汲み上げられているのか皆目見当もつかない莫大な電流が編成全体を駆け巡り、砲口へと世界を焼き尽くすほどの青白い光が集まっていく。
『全固定脚、完全接地!』
『超電導コイル、エネルギー臨界突破!』
『……発射ぁ――ッ!!』
中国地方の山々を一瞬で揺るがす地響きとともに、すべてを穿つ一撃が放たれた。
すさまじい反動で廃線のレールが波のように逆巻き、周囲の地面がボリボリと大きく陥没していく。
それでも岩盤へ噛み付いたアンカーは砲身を死守し、撃ち出された破壊の光は、中国地方上空の円盤戦艦を正面から文字どおり消し飛ばした。
残る最後の一隻は、山陰方面から九州沖へと命からがら逃れようとあがいていた。
だが、その退路を塞ぐように、山陰の深い地下培養槽から這い出した禍々しい八つ首の人工生命体が不気味に立ちはだかる。
八つの顎から一斉に放たれた破壊光線が、円盤戦艦を容赦なく海上へと叩き落とした。
その先では、南海の孤島でひそかに育てられていた巨大な機械怪獣が、飼育員の満足そうな許可を得て、よだれを垂らしながら待ち構えていた。
『よしよし、いい子だ。待たせたな』
『グルァァアアア――ッ!!』
機械怪獣が歓喜の咆哮を轟かせ、墜落してきた円盤戦艦の装甲板をボリと噛み砕いていく。
こうして、日本を絶望に陥れたはずの七隻の三キロ級円盤戦艦は、一隻残らず日本の空から文字どおり跡形もなく消え去った。
だが――地上を埋め尽くす狂乱の残骸のなか、全長十キロメートルを誇る帝国総旗艦母艦だけは、依然として東京湾の上空に不気味に君臨し続けていた。
◇
「聞いてない聞いてない聞いてない聞いてない――ッ!!」
日本国民総出の絶叫は、これ以上ないほどに正しかった。
誰も、一言たりとも聞いていなかった。
この国を統べる内閣総理大臣さえ、こんな頭がおかしい防衛計画が存在するなど微塵も知らされていなかったのだ。
もっとも、国家としての計画そのものが最初から存在していなかったのだから、知らなくて当然である。
月面第三帝国側も、完全にキャパシティを超えた大混乱に陥っていた。
彼らは地球を完璧に支配するため、五十年の歳月をかけて周到に、それはもう綿密に侵略の準備を進めてきたというのに。
対する日本の科学者や変人たちは、誰が攻めてくるのかすら一切分からないまま、それぞれが勝手に「こんなこともあろうかと」狂気の防衛準備を整えていたのである。
――ドゴォォン!
三体の巨大ロボットが、ついに東京湾へと到達した。
青い巨人と三色の合体巨人が大空から。
赤黒の巨人は、大地を揺るがす地響きを立てながら地上から。
横須賀沖からは超弩級戦艦が全主砲を帝国母艦へ突き付け、全国各地の巨大仏像が慈悲をかなぐり捨てて顔を上げ、東北の遮光器土偶は宇宙の彼方まで届きそうな長距離射撃の構えに入る。
原色の派手な強化戦士たちは地上の転移ポータルと改造兵団を完璧に制圧し、今や空を覆う十キロの巨体を一斉に見上げていた。
四国では謎の男がうどんの汁を飲み干している。
帝国母艦の無数の砲塔が、冷や汗を流しながら地上のすべての驚異へ照準を合わせた。
『いったい、どうなっているのだ……ッ!』
旗艦のブリッジで、軍服の男が血走った目を剥き出して絶叫する。
『我々は! 貴国をかつての盟友として、大々的に迎えようとしただけなのだぞ!』
『誰が貴様らのような宇宙の厄介者と同盟を結ぶと言った、この若造が!』
最初に放送へ割り込んだあの白衣の老人が、モニタ越しに盛大に鼻で笑い飛ばした。
『そもそも、このわしが日本政府や貴様らの言うことなど聞くものか!』
その宣戦布告に合わせたように、日本中の狂気が一斉に牙を剥いた。
赤黒の巨人が地上から最大出力の胸部熱線を叩き込む。
青い巨人が帝国母艦の硬質な外縁へ渾身の拳を叩き割る。
三色の合体巨人が空中で華麗に分離し、三方向から容赦ない光線を一点へ集中させた。
超弩級戦艦の主砲が吠え、全国の巨大仏像から無数の慈悲なき光の奔流が帝国母艦へ殺到する。
そして、東北の山中から放たれた縄文式集束光砲の第一撃が、すべての攻撃を軽々と追い抜いて十キロの巨体の真ん中をエグり貫いた。
だが――それでもなお、帝国母艦の装甲は微動だにせず、傷一つ負っていなかった。
船体を覆う絶対的なエネルギー障壁が、すべての攻撃を完璧に飲み込み、その莫大な破壊衝動をすべて母艦の推進力へと変換していく。
月面第三帝国の軍人たちは、これぞ帝国科学の結晶とばかりに勝ち誇った笑い声を響かせた。
『無駄だッ! 貴様らの泥縄式の攻撃など、我が母艦の無敵の力の養分になるだけだ――!』
だが、その得意満面の勝利宣言が完了するよりコンマ早く。
帝国母艦を包み込んでいたはずの絶対障壁が、不気味に内側へとごとりと反転した。
吸収されたはずの全エネルギーが、逆方向へと凄まじい勢いで逆流する。
バリン。
鉄壁を誇ったはずの障壁は、割れたガラスのように粉々に四散した。
『ば、馬鹿な……ッ! 貴様、いったい母艦のシステムに何をしたッ!?』
青ざめる月面第三帝国の若造へ、白衣の老人はこれ以上ないほど呆れ果てた声を返す。
『何を今更驚いとる。お前らの通信回線をハッキングできたんじゃ、障壁の制御装置の配線を引っこ抜くくらい、朝飯前じゃろうが』
『いつの間にそんな深部まで侵入した!?』
『貴様が「再同盟」だの長たらしい演説を垂れ流し始めたときじゃ。こちらの返事も待たず、人のネットワークを勝手に占拠するからそうなるのよ』
その瞬間、画面を食い入るように見ていたすべての日本人の心が、初めて完璧に一つに重なり合った。
――いや、お前が言うな。
次の瞬間、帝国母艦の全システムが完全に沈黙した。
逆流した破壊エネルギーによって、十キロに及ぶ圧倒的な巨体が、盛大に黒煙と炎を噴き上げながら、東京湾の海底へ向けて重々しく落下を始める。
『ま、待てッ! それはわしの特製ターゲットだ!』
『最後に主砲の直撃を叩き込んだのは我が艦だ!』
『海へ落ちたものは、すべてうちの可愛いペットの獲物に決まっておろうがぁ!』
障壁を失った帝国母艦へ向け、超弩級戦艦の全主砲が最後のトドメとばかりに火を噴く。
三体の巨大ロボットも、それぞれの流儀で鋼鉄の装甲をグチャグチャに破壊し尽くしていく。
赤黒の巨人が地上から熱線で外殻をドロドロに溶かし、青い巨人は外部に目立つ突起物を片っ端から引っこ抜いていく。
三色の巨人は分離状態で艦内の中枢へ狂ったように突入し、それぞれ艦内を思う存分破壊すると離脱し華麗に再合体した。
さらに巨大仏像たちの放つ一斉掃射が格納庫の残骸を焼き払い、東北から放たれた二発目の縄文光束が帝国母艦の中央を完全に两断した。
――ドゴォォン! ドガァァン!!
耐えがたい連鎖爆発が巻き起こり、十キロの巨体は見る見るうちにいくつもの巨大な火の玉へと分裂していく。
その中でも、心臓部である最大の動力炉を含む巨大な破片が、まさに東京湾の真ん中へと落ちてきた。
待ち構えていた海中のサメ型潜水艦が、歓喜の咆哮とともに巨大な顎をガシリと突き立て、その鋼鉄の心臓部を丸ごと食らいつくす。
――次瞬間。
東京湾のすべてを真っ白に染め上げる、人類史上最大の閃光が弾けた。
その日、世界中の主要都市をわずか数時間の蹂躙劇で地獄へと変えたはずの月面第三帝国。
その恐るべき日本侵攻は――防衛側の勝手すぎる暴走と、想定外のロマンの衝突により、開始からわずか「三時間二十七分」という驚異的なスピードで完全平定されたのであった。
◇
その頃、日本を除く地球の裏側では、まったく異なる意味で世界中がお祭り騒ぎになっていた。
ニューヨーク上空。
パリの凱旋門上空。
モスクワ、ロンドン、北京――。
世界主要都市の空を数日間も恐怖の底に突き落としていた月面第三帝国の三キロ級円盤戦艦たちが、突如としてけたたましい警報音を鳴らし始めた。
『なっ……なんだと!? 日本方面からの通信が完全に途絶しただと!?』
『総旗艦母艦すら撃沈された!? ば、馬鹿な! あそこには帝国最強の艦隊が……!』
『嘘だろ、たったの三時間足らずで全滅したって言うのか……!?』
旗艦のブリッジで、侵略軍の司令官たちは冷や汗どころか血の気を完全に失っていた。
核兵器すら無効化し、地球の正規軍を一蹴した彼らが恐れたのは、エイリアンでも超兵器でもない。
――「そんなバケモノの住む島に行ったら、全員殺される」という純粋な恐怖だった。
『全軍へ通達! 日本領空から直ちに離脱せよ!』
『もたもたするな! あの東方の島国に背中を向けろ!』
『全速力で月の裏側へ逃げ帰るぞ! 二度とあの島に近づくなぁ――っ!!』
侵略者たちは地球の支配などという大層な野望を綺麗さっぱり忘れ去り、尻尾を巻いて宇宙へ逃げ出し始めた。
ニューヨークの上空で、巨大な円盤が慌ててUターンしようとして僚艦と盛大に接触事故を起こした。
パリでは、撤退を急ぐあまり転移ポータルの出力を間違え、全軍がサハラ砂漠の真ん中に放り出されてマヌケに砂煙を上げている。
数時間前まで人類を蹂躙していた恐怖の侵略艦隊が、まるで一目散に逃げ出す敗残兵の群れと化していく。
そのあまりに滑稽な撤退劇をライブ中継で目の当たりにした世界各国の人々は、最初こそ呆然としていたが、やがて状況を理解すると同時に、街中へ飛び出して狂喜乱舞のどんちゃん騒ぎを始めた。
「勝ったぞーーっ!!」
「侵略者が逃げていくぞーーっ!!」
「やったああああっ!!」
シャンパンのコルクが飛び交い、見知らぬ同士が抱き合い、ビルの街路樹には紙吹雪が舞う。人類の歴史上かつてない大勝利に、地球中が歓喜の涙に濡れた。
――だが、世界がその「まさかの大勝利」に酔いしれる裏で、各国政府の首脳や諜報機関は冷や汗を流していた。
「一体、どの超大国の秘密軍団が日本を救ったのだ?」
「CIAか? KGB崩れの組織か? それとも宇宙人同士の身内争いか?」
アメリカ、イギリス、ロシア、フランス――世界中の情報機関が、日本政府へ極秘の特使を送り込み、あるいは血眼になって電波傍受を試みた。
「あの圧倒的な侵略艦隊を一瞬で消し去った組織の正体を教えろ」「我が国にも技術を分けてくれ」と、世界中から問い合わせの嵐が殺到したのである。
だが、日本政府の回答は一貫して冷徹だった。
「把握しておりません」
「我が国にも何が起きたのか分かりません」
「そもそも、そんな組織は存在しません」
各国は「すっとぼけているに違いない」「絶対に隠し玉を持っているはずだ」とさらに疑いを強め、あの手この手で日本の研究施設へスパイや工作員を送り込もうとした。
――そして、まさにその裏で、当の日本政府は冷や汗を拭いながら、国内の「怪物たち」の始末に追われていたのである。
◇
侵略から三日後。
日本政府は、驚くほど迅速に動いた。
放送へ割り込んだ電波。
秘密兵器の発進地点。
過去に却下された特許申請。
用途不明の莫大な電力消費。
毎月、大量の液体窒素を購入している町工場。
住所欄に「富士山地下二千メートル」と記載された学会誌の定期購読者。
放射性廃棄物のドラム缶を定期的に無人島へ運んでいた貨物船。
それらを徹底的に洗い出し、日本各地に潜伏していた連中を次々と特定したのである。
その半数については、話し合いの場へ出席させることにも成功した。
逮捕ではない。
政府発表によれば、あくまで「国家存亡に関する意見交換会への出席を、多少強くお願いした」だけである。
会議という名の殴り合いは、三日三晩に及んだ。
政府側は、彼らを一つの組織へまとめ、最低限の規則に従わせようとした。
しかし、出席者たちは断固として拒絶した。
『なぜわしが、こいつらと同じ組織に入らねばならん!』
『研究計画書? 結果の分かっている研究に何の価値がある!』
『事前に実験内容を届け出ろだと? 事前に分かっておるなら実験などせんわ!』
『決まりに従って研究するくらいなら、月の連中に協力したほうがましだ!』
『やつら、設備だけは立派だったからな!』
月面第三帝国を壊滅させた当人たちが口にすると、冗談では済まなかった。
政府側が税制、電波法、建築基準法、銃刀法、その他ありとあらゆる法令を持ち出すと、出席者たちは自分がそれぞれ何十個の法律に違反しているのかを聞き、感心したように頷くだけだった。
逮捕の可能性を示せば、会議室の隅で転移装置の起動準備が始まった。
研究施設の接収に言及すれば、富士山麓から「自爆装置の点検完了」という連絡が入った。
補助金を提示しても、半数は鼻で笑い、残る半数は金額を聞きもっと大きな声で笑った。
三日目の夜。
日本政府は、彼らを管理することを完全に諦めた。
『では、何も報告しなくて結構です』
疲れ果てた政府代表が言った。
『研究計画も、実験内容も、予算も、こちらからは問いません』
『これまでの無許可建築、不法占有、電波法違反、兵器製造、その他多数についても、国家防衛への貢献を考慮して不問とします』
『当然じゃな』
『その代わり、政府から連絡役を派遣することだけは認めてください。研究へ口を出す権限は持たせません』
『待て。その前に、こちらからも条件がある』
白衣の老人が、会議机へ指を突きつけた。
『日本政府だけではない。あらゆる国家、軍隊、警察、諜報機関、その他すべての公的組織に、我々の研究へ干渉させるな』
『それは、我が国だけで決められることではありません』
『ならば自分たちで追い払うまでじゃ』
会議室の壁に投影された世界地図へ、いくつもの照準記号が浮かび上がった。
『待ってください。交渉します』
政府代表は即答した。
世界各国が工作員を送り込もうとしているこのタイミングで、彼らを刺激するのは悪夢以外の何物でもなかったからだ。
最終的に各国は、日本国内の特異科学者およびその研究施設に対し、接触、捜査、拘束、接収、諜報活動、その他一切の干渉を行わないと認めざるを得なくなった。民間企業や傭兵などの代理組織による接触も同様に禁止された。
交渉の席で、白衣の老人が念を押す。
『もし、この取り決めを無視して手を出してくる国があったらどうする?』
『そのような国は存在しません』
政府代表は表情一つ変えずに答えた。
『こちらの技術を出せと、正式に要求してきてもか?』
『当国は、そのような要求を皆様へ取り次ぐ権利を放棄します』
長い沈黙のあと、老人が満足そうに頷いた。
『……まあ、よかろう』
『では、政府から連絡役を派遣することを認めていただけますか』
『何をする人間だ?』
『皆さんの生存と、現在の研究状況を確認します』
たちまち、会議室の空気が険しくなった。
『研究成果を寄越せと言うのか?』
『設計図も、理論も、実験記録も必要ありません』
政府代表は慌てて両手を振った。
『生きているか。今、何を造っているのか。せめてそれだけ教えてください』
『定期的に報告書を出せと?』
『簡単な連絡だけで構いません』
『面倒じゃ』
『では、こちらから伺ったときだけでいいです!』
政府代表はほとんど悲鳴のように叫んだ。
『その場で、生きていることと、何を研究しているのかだけ答えてください。それ以上は何も求めません!』
科学者たちは顔を見合わせた。
『確認する。今後、我々にちょっかいをかけてくる連中が現れた場合は?』
『そのようなものは存在しません』
『……存在しないとは、わしの考えているとおりに受け取ってよいのか?』
『言葉どおりに受け取ってください』
白衣の老人は政府代表の顔をしばらく見つめ、やがてふっと笑った。
『ならば、まあよかろう。実験中に勝手に死んでも責任は取らんぞ』
『承知しています』
こうして、日本政府は唯一の譲歩を引き出すことに成功した。
世界で初めて、政府と在野のマッドサイエンティストによる相互不可侵協定――通称「白衣協定」が成立したのである。
主な内容は、以下のとおりである。
・政府は彼らの研究へ原則として干渉しない。
・これまでの違法行為については、国家防衛への貢献を考慮し、ひとまず不問とする。
・あらゆる国家、公的機関、およびそれらの支援を受けた組織は、彼らとその研究施設に対して一切干渉しない。
・前項に限らず、彼らへの干渉を試みた者に何が起きたとしても、日本政府は関知しない。
・政府は連絡役を派遣できる。ただし、研究を妨害、命令、停止する権限は持たない。
・希望者は研究内容を登録できる。公益性が認められれば、補助金、資材、電力、実験場所などの提供を受けられる。
・登録を希望しない者は、好きにしてよい。
・連絡役が訪問した場合、可能であれば生存および現在の研究状況を伝える。
最後の一項に「義務」の二文字を入れられなかった時点で、どちらが勝者だったのかは明白だった。
相互不可侵協定と呼ばれてはいるが、実態は日本政府による無条件降伏に限りなく近かった。
政府は怪物たちを鎖につなぐことを諦めた。
代わりに、居場所と研究内容の見出しだけを、どうにか教えてもらうことにしたのである。
そして次なる危機への備えについても、事実上、彼らへ丸投げすることとなった。
また、会議へ参加した科学者たちは、兵器の呼称を巡る争いを決着させるため、独自の監修機関を設立した。
日本特異科学技術用語監修協議会。
通称、用語協議会。
政府との連絡組織を作ることには最後まで抵抗した彼らが、自分の発明を間違った名前で呼ばせないための組織だけは、全会一致で設立したのだった。
◇
超常科学監査官。
その肩書は、書類上においてのみ、国家安全保障上の最重要かつ最高機密の部署であると謳われていた。
だが、予算要求上の定員こそ「百二十名」と華々しく記載されていたものの、実際に辞令を受けてその薄汚い地下フロアへ配属されたのは、よりによってわずか三名のみだった。
「少なくありませんか……。いくら何でも、人員が少なすぎやしませんか……」
支給されたばかりの、ひどく座り心地の悪いパイプ椅子に腰掛けた新人職員が、心細そうに頭を抱える。
その向かいでは、二年だけ現場を踏んでいる中堅職員が、足元にドンと置かれた支給品の茶色い段ボール箱を無言で開け、中身を一個ずつ検分していた。
防護服。線量計。方位磁針。使い捨ての携帯電話。
ヘルメット。鉄板入りの安全靴。サバイバルナイフ。
お守り。開運の護符。なぜか怪しくぬらりと光る水晶玉。
「……なんですか、この呪術的なラインナップは」
「標準装備だそうだ。異論は認めん」
「――おい、二人ともそこまでにしておけ」
低く渋い声とともに、一番奥の窓のない個室から、この部署の責任者である課長がマグカップ片手にのそりと現れた。万年寝不足の三白眼に、白髪混じりの無精髭。いかにもデスクワークの極みで苦労してきた中間管理職の顔をしている。
「課長、さすがにこの人数で日本中のマッドサイエンティストを監査しろっていうのは、労基法的にアウトなのでは……」
「労基法? 何だそれは。美味いのか?」
「美味しくないです、労働者の命綱です!」
「ここに配属された時点で、我が部署に労働基準法は適用されない。国家公務員法すら怪しい特例の抜け穴だらけだ。諦めろ」
「ひいん……今から人事課に走って、退職届って出せますか?」
「出せるものなら出してみろ。受理された瞬間、お前の戸籍は『行方不明』に書き換わり、この地下三階の備品倉庫へ夜逃げ用の段ボールベッドが追加支給されるだけだ」
「地獄の役所だぁ……!」
半泣きになりながら、新人職員は自分の分の怪しげな備品をそそくさと確認し始める。
「それにしても、どうしてよりによってたった三人なんでしょう」
「当初の予定では、これでも『一名』の予定だったらしいぞ」
「もっと少なかったんですか!?」
「ああ。一人だと、万が一の失踪や行方不明のときに誰も状況を把握できなくて困る、という現実的な意見が出たそうだ」
「救助隊を呼ぶためですか?」
「いや。失踪したかどうかを報告する人間が一人だと物理的にいなくなるからだ。で、結局『報告する奴』と『現場で死にかける奴』、さらに『安全な本部で上の奴に責任を押し付ける奴』の最低限として、この三人体制に落ち着いた」
「……ものすごくお役所仕事的に合理的ですね。待ってください、現場に行くのは僕たち二人だけなんですか!?」
「当たり前だ。私のような管理職がわざわざ現場のドブ川や地下格納庫に足を運ぶなど、危機管理の観点から万が一にもあってはならない」
「デスクから一切動かない気満々だぁ……!」
こうして、何の因果か、二人は日本で最も生存確率の低い最悪の現場へと単身で放り出されることになった。
彼らに課された業務内容は極めてシンプル、かつ死闘の匂いしかしないものだった。
――特異科学者どもの生存と研究状況を定期的に確認し、気まぐれな政府との連絡を仲介すること。
ただし、いくつかの絶対遵守事項が存在する。
研究への不当な干渉は一切禁止。
機密情報の無断持ち出しも当然禁止。
科学者どもを無駄に刺激する発言も厳禁。
なお、「死亡」「肉体の改造」「精神の複製」「洗脳」「異次元への転送」などのトラブルについては、すべて公務災害として個別に厳しく(しかし本部で事務的に)審査される。
「先輩、日本国憲法と労働基準法を見事に回避した上で、見ちゃいけない危険な単語が羅列されてますよ」
「考えるな。感じろ」
「少しは考えてくださいよぉ……これ絶対生きて帰れないやつですって……」
文句を垂れる新人を、中堅がやれやれといった顔で肩を叩く。
そんな部下二人を見据えながら、課長は持っていたマグカップの冷めたコーヒーを一口すすった。
「泣き言はそれまでだ。君たちの記念すべき初仕事は、関東某県の深い山中に不法かつ厳重に隠蔽された、ある『研究所』の第一回定期監査だ。私はここ本部の机から君たちの無事を心より祈っている」
「祈るだけで何もしない気だこの上司……!」
「そこの主は、人類防衛への『多大な貢献』を理由に、過去のあらゆる違法行為を不問とされた選りすぐりのマッドサイエンティストの一人だ。世界各国のあらゆる神話を工学的に無理やり解析し、自らの手で『神』そのものを地上に創り出そうと企てたヤバすぎる男らしい。せいぜい頑張りたまえ」
◇
そして数時間後。
本部の安全なデスクを遠く離れ、二人の監査官は冷え切った地下格納庫の底へと足を踏み入れ、底知れぬ威圧感を放つその研究成果を見上げていた。
「……先輩」
「なんだ、新人」
「博士は、あれを『人造神』だと声高に主張していらっしゃいますが」
「ちなみに、生体率は何割だ」
新人は青ざめた顔で手元の分厚い資料をペラペラとめくる。
「ええと……書類上は……だいたい二割程度ですね。中身の大部分は、超高精度バイオコンピューターと、それに付随する膨大な神経網だそうです」
「なら、ただのロボットだな」
「へ?」
「日本特異科学技術用語監修協議会の取り決めでは、生体率五割未満のものはすべて『ロボット』として厳密に扱うことになっている」
「どこで決まったんですか、そんな勝手なローカルルール!」
「日本特異科学技術用語監修協議会」
「だから、なんですかその『協議会』って!」
「監修機関らしいぞ」
「何の、ですか……っ?」
「用語の、だ」
「誰がそんな頭おかしい機関を必要としているんですか!?」
「表に出てきた特異科学者たちだ。自分たちの作った『巨大ロボット』と、隣の研究所の『巨大改造人間』を一緒にまとめられると、プライドが激しく傷つくらしい」
「そんなのしったことかぁぁぁぁ!!」
二人は再び、首が痛くなるほど巨大な「人造神」を見上げた。
すると、上空の闇の中から、人造神に備え付けられた「七つの眼」がギロリと光り、二人の監査官を冷徹に見下ろしてきた。
「……でも博士、あれをどうしても神だと言い張っていますよ」
「報告書には、冷徹に『生体部品使用型巨大ロボット』と書いておけ」
「そんなこと書いて、向こうの本人に読まれたら怒られませんか?」
「大丈夫だ。備考欄に『自称・人造神』と小さく添えておけば、ギリギリ行政指導の範囲内だ」
その瞬間だった。
静まり返っただだっ広い地下格納庫の天井付近から、地割れのような博士の怒声が轟音とともに響き渡った。
『何がロボットだァッ! 無礼者めが――ッ!!』
頭上から、膨大な設計図が、まるで真っ白な紙吹雪のように怒りのままにひらひらと舞い散ってきた。
『骨格には失われたはずの古代超合金! 神経網にはこのわし自身の尊い脳細胞! 人工心臓には、大戦末期にドイツから極秘裏に持ち込まれた人造生命体の心筋細胞を使用しておるのだ! さらに世界三千余の神話体系を数理的に完全解析し、その神々の権能を――』
新人は頭上に降り注ぐ設計図の雨を避けながら、冷や汗を流して人造神を見上げ、それから隣ですました顔をしている先輩を振り返った。
「先輩、どうしましょう。キレてますよ、完全に」
「博士」
先輩は微動だにせず、手元の公用バインダーへ真剣な目を落としたまま声を張る。
『なんじゃ!』
「熱弁のところ申し訳ありませんが、そこではありません。問題は、書類上の『生体部品比率』です」
格納庫の底で、博士がぴたりと動きを止めた。
人造神の巨大な七つの眼が、一斉に、殺意を込めて二人の頭上へと狙いを定める。
「計算上、生体率はどうあがいても二割ですので、現行の行政区分ではどう見てもロボットです」
『……貴様、さっきからわしの魂の力説を一体どこで聞いておったのかッ!?』
「はい。その科学的ご説明をすべて踏まえた上で、厳密にロボットと判定させていただきます」
『人造神じゃぁぁぁっ!』
「分類の件でお気に召さない点があるならば、お手数ですが正式に用語協議会の方へ異議申し立てを行ってください」
『あんな変人どもの集まりに、我が神の尊厳を審査させられるか!』
「でしたら、行政手続き上は現行分類のまま、適正に処理させていただきます」
ゴゴゴゴ……と、人造神の七つの眼の奥底から、あらゆる物質を焼き払う「破壊光線」発射直前を示す不吉な赤い高熱光が、じわじわと灯り始めた。
先輩は表情一つ変えず、パチンと手元の報告書ファイルを閉じた。
「先輩、どうします!?」
「決まっている。まず全力で逃げる」
「監査は投げ出していいんですか!?」
「バカモノ、生きてその書類を持ち帰るまでが、この過酷な監査業務の一環だ! 本部の課長に電話して応援を……いや、あいつ絶対現場に来ないわ!」
「クソッ、あのデスクワーカーめぇぇ――っ!」
振り返った瞬間、頭上の人造神が口を開き、周囲の空気を焼き尽くすほどの灼熱の閃光が放たれた。
「「ひいいいっ――!」」
先輩と新人の情けない絶叫が、地下格納庫の闇を切り裂く。
こうして、世界を勝手に救った狂気の天才たちと、彼らをどうにか日本の法と秩序につなぎ止めようとする現場の監査官たちの、絶望的で果てしない戦いの幕が、今日も安全な本部でコーヒーを啜る上司をよそに盛大に切って落とされたのだった。




