第2話:嘘は三割、本当は七割
石造りの建物は、外観より中が静かだった。
廊下に敷かれた石は磨かれていて、足音がよく響く。意図的だ。音を消す気がない。ここでは「隠れる者」より「見せる者」が権力を持つ。
俺はそう判断しながら、案内された小部屋に通された。
机が一つ、椅子が二脚。窓は高い位置にあり、外は見えない。水差しと杯が置かれている。拷問室ではない。だが、歓迎の部屋でもない。
——尋問室だ。
兵士が一礼して扉を閉める。鍵は、かからない。
俺は椅子に腰掛け、背もたれには寄りかからなかった。緊張している人間は、無意識に姿勢を固める。だが俺は、“観察される側”だ。緊張は相手に与える。
しばらくして、扉が開いた。
入ってきたのは、若い女だった。
年は二十代前半だろう。淡い色の服。動きやすさを優先した実用的な仕立て。装飾は少ない。貴族か、官僚か。その両方かもしれない。
だが、俺が最初に注目したのは服でも身分でもない。
目だ。
濁りがない。だが、柔らかくもない。
人を“信じようとしていない目”。
危険なタイプだ。
「あなたが、森で見つかったという旅人ですね」
声は落ち着いている。感情の揺れが少ない。訓練されている。
「そういうことになっているらしい」
「“らしい”、ですか」
女は椅子に座らず、俺の正面に立ったまま言った。距離は三歩。近すぎないが、逃げ場はない。
「名前を」
「コウ」
「姓は」
「……覚えていない」
一拍、間が空く。
俺はその沈黙を恐れない。むしろ歓迎する。沈黙は相手に考えさせる時間だ。
「どこの出身か、覚えていますか」
「海の近くだった気がする」
完全な嘘ではない。
海の近くで生まれ育ったのは事実だ。
嘘は三割。
本当は七割。
混ぜることで、相手は「全部が嘘だ」と断じにくくなる。
「言語が通じる理由は?」
「それも……分からない」
女は眉一つ動かさない。ただ、俺の顔を観察している。目の動き、呼吸、声の揺れ。
——魔法じゃないな。
少なくとも今は、何も使っていない。
「不安はありませんか」
「ある」
即答する。迷わない。
「だが、今は生きている。それで十分だ」
これは本音だ。
本音は、隠さない方がいい。
女は一歩だけ距離を詰めた。三歩が二歩になる。
「……あなた、変ですね」
「よく言われる」
「記憶喪失にしては、落ち着きすぎている」
来た。
俺は内心で頷く。いい観察だ。だが、まだ致命的じゃない。
「取り乱すのは、考える材料がある人間だ」
「どういう意味ですか」
「俺には、まだ材料がない」
女は少しだけ首を傾げた。
疑念は増している。だが拒絶ではない。
——この女、即座に切る判断はしない。
「あなたの身元は、しばらくこちらで預かります」
「監視される?」
「ええ」
はっきり言う。嘘がない。
好感が持てる。
「拒否権は」
「ありません」
即答。こちらも揺れない。
俺は肩をすくめた。
「妥当だな」
「……驚かないんですね」
「期待通りだから」
女の視線が、わずかに鋭くなった。
「期待?」
「王都に連れてこられた時点で、自由はないと思っていた」
これは推測だが、外れていない。
当てることで、「読める人間」という印象を与える。
女はようやく椅子に座った。正面ではなく、少し斜め。対等を装う位置だ。
「私はリュシア。記録官です」
「記録官が、尋問を?」
「必要と判断されれば」
つまり、彼女は“選別役”だ。
危険か、安全か。
使えるか、切るか。
俺は水差しに手を伸ばした。許可を取らずに。小さな挑発だ。
リュシアは止めなかった。
「あなたは、何者ですか」
核心を突いてきた。
だが答えは決まっている。
「旅人だ」
「それは立場の話ですね」
「立場は、今のところそれで十分だ」
嘘は言っていない。
だが、全部も言っていない。
リュシアは小さく息を吐いた。
「……あなた、説明に矛盾がないんです」
「褒め言葉か?」
「ええ。でも」
一拍。
「信用できない」
いい。
正直で、頭がいい。
俺は笑った。弱く、無害に見える笑み。
「それでいい」
「……?」
「信用は、必要になった時に使うものだ」
リュシアは俺をじっと見つめた。長い。試すような視線。
「あなたは、嘘をついています」
「もちろん」
即答すると、彼女の眉がわずかに動いた。
「……認めるんですね」
「全部正直に話す人間の方が、信用できない」
これは俺の信条でもある。
沈黙が落ちた。
やがてリュシアは立ち上がり、扉に向かう。
「しばらく、私があなたの監視役になります」
「光栄だ」
「そうは思っていない顔です」
「正確だ」
扉の前で、彼女は一瞬だけ立ち止まった。
「一つだけ、忠告を」
「なんだ」
「この国では、正直者より、分かりやすい嘘つきの方が好かれます」
俺はその言葉を、頭の中で反芻した。
——なるほど。
「覚えておく」
「ええ。そうしてください」
扉が閉まる。
俺は一人になった部屋で、ゆっくり息を吐いた。
危険だが、悪くない。
この女は、簡単には裏切らない。
だが、簡単にも信じない。
——つまり、使える。
そして何より。
この国には、
嘘を疑う目を持つ人間が、まだいる。
それは希望であり、同時に脅威だった。
俺は窓のない壁を見つめながら、次の手を考える。
信用を得る必要はない。
疑われたままでいい。
疑われている間は、
まだ“敵”として処理されない。
スパイにとって、それは十分すぎる安全圏だ。




