第12話:切り捨てられる街
ロウウェル市は、朝から落ち着かなかった。
市場は開いている。
人も集まっている。
だが、声が低い。
噂は、いつも音もなく広がる。
誰かが「帝国の商人を見た」と言えば、
誰かが「兵が減ったらしい」と続ける。
確証はない。
だが、不安だけは確実に増えていく。
エドガー・ロウウェルは、市庁舎の窓から街を見下ろしていた。
自分の名を冠した街。
それは名誉であり、責任でもある。
「……中央からの返答は?」
背後で、部下の文官が首を振った。
「ありません」
「昨日も、同じ答えだったな」
「はい」
三日だ。
三日前に警告を送った。
交易路の異変。
帝国商人の動き。
傭兵の数。
どれも些細と言えば些細だ。
だが、積み重なれば“兆候”になる。
「支援要請は」
「保留、とのことです」
保留。
それは、断られたのと同じ意味だった。
エドガーは机に手を置き、ゆっくりと息を吐いた。
彼は軍人ではない。
英雄でもない。
ただの文官だ。
だが、街の現実を一番よく見ているのは、現場にいる者だ。
「避難計画を、もう一度洗い直そう」
「中央の許可が……」
「要らない」
部下が驚いた顔をする。
「これは、命令違反になります」
「知っている」
それでも、言葉は止まらなかった。
「命令違反で済むなら、安いものだ」
彼の視線は、街に向いている。
子供たちが走り回る広場。
荷を運ぶ商人。
笑っている人々。
——彼らは、何も知らない。
それが、エドガーには何より重かった。
昼過ぎ、市庁舎に一通の非公式伝令が届いた。
封は簡素。
差出人の名はない。
だが、内容を読んだ瞬間、彼は立ち上がった。
『準備をしろ。
逃げ道を確保しろ。
中央は、来ない』
短い。
だが、迷いがない。
「……誰からだ」
部下が尋ねる。
「分からん」
それは、本当だった。
だが——
「信じるに足る」
直感だった。
そして、現場で生きてきた者の勘だ。
「すぐに、倉庫を開けろ」
「統治官!」
「食料と水を配布する」
「避難経路の整備を最優先だ」
部下たちは動き出した。
混乱はある。
だが、統治官が迷っていないことが、唯一の救いだった。
夕方、城門付近で小さな騒ぎが起きた。
「帝国兵を見た、って……」
「本当か?」
「分からない。でも——」
噂は、噂を呼ぶ。
エドガーは自ら門へ向かった。
兵の前に立つ。
「落ち着け」
「まだ、確認情報はない」
「だが、準備は進める」
声は震えていなかった。
自分でも、不思議なほどだ。
夜。
街の灯りは、いつもより少なかった。
節約のためではない。
人々が、家に籠もっている。
エドガーは再び、窓から街を見た。
——中央は、来ない。
その事実が、ようやく腹に落ちた。
「国家は……」
言葉にしそうになり、止める。
彼は国家を憎んでいない。
理解もしている。
全てを守れないことも。
だが——
「切り捨てるなら、せめて知らせてくれ」
それが、彼の本音だった。
深夜。
城壁の外で、かすかな動きがあった。
見張りが、息を詰める。
「……何かいます」
エドガーは、目を閉じてから、開いた。
「全員、避難を開始しろ」
「今すぐだ」
躊躇はなかった。
その瞬間、
遠くで、火が上がった。
帝国の先遣だ。
まだ小規模。
だが、確実に来ている。
エドガーは拳を握りしめた。
——間に合え。
中央の命令でもなく、
国家の許可でもなく、
ただ一人の無名の警告を信じて。
彼は、街を守る賭けに出た。
そしてその賭けが、
正しかったかどうかは——
もうすぐ、証明される。
(つづく)
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