第10話:潜入者は、最初から信じない
翌朝、王都はいつもと変わらない顔をしていた。
市場は開き、商人は声を張り上げ、人々は昨日と同じように歩いている。
違うのは、空気だけだ。
——知っている者だけが、感じ取れる違和感。
俺は宰相府へ向かっていた。
歩調は変えない。
視線も、姿勢も。
疑われる時は、堂々としている方がいい。
執務室に通されると、ヴァルターはすでに机に向かっていた。
書類を読んでいる。
だが、集中していない。
「来たか」
顔を上げずに、そう言った。
「昨夜の報告、確認しましたか」
「一通りな」
俺は一歩、前に出る。
「帝国側の動きは、確実に活発化しています」
「だが、表だった兆候はない」
「表に出る前に終わらせるのが、諜報です」
宰相は、ようやく俺を見た。
「……君は、随分と踏み込むようになったな」
「仕事ですから」
沈黙。
だが、これは探り合いの沈黙だ。
「君の報告には、一点だけ“欠けている”」
来た。
「どの点でしょう」
「帝国が、どこを起点に動いているか」
俺は、わずかに眉を上げた。
驚いた“ふり”だ。
「証拠が弱かった」
「君が、証拠の弱さで口を噤むとは思えない」
宰相の視線が鋭くなる。
「……評価が高すぎます」
「信頼していると言っていい」
信頼。
だが、その言葉に温度はない。
「君は、何かを隠している」
「必要なことだけを報告しています」
「国家にとって“必要”かどうかは、私が判断する」
この一言で、全てが揃った。
情報の所有者。
判断の独占。
責任の集中。
——やはり、この人だ。
俺は一歩、引いた。
「失礼しました」
「気にするな」
宰相は穏やかに言った。
「君の仕事ぶりには満足している」
「今後も、同じように頼む」
同じように。
つまり、今の構造のまま。
執務室を出る直前、
宰相は背中越しに言った。
「コウ」
「はい」
「君は、誰を信用している?」
一瞬だけ、思考が止まった。
だが答えは、最初から決まっている。
「情報です」
「……そうか」
宰相は、それ以上何も言わなかった。
廊下に出ると、リュシアが待っていた。
珍しく、表情が硬い。
「話は、どうでしたか」
「順調だ」
それは、嘘でも本当でもある。
「あなた、何か隠しましたね」
即座に来た。
さすがだ。
「隠した」
「なぜ」
俺は立ち止まり、正直に答えた。
「試すためだ」
「誰を」
「全員を」
彼女は息を呑んだ。
「危険です」
「だからやる」
彼女は言葉を失っている。
だが、逃げない。
「……あなたは、この国を守る気があるんですか」
真っ直ぐな問いだった。
俺は少しだけ考え、答える。
「今はある」
「今は?」
「選択肢が残っているうちはな」
彼女は目を伏せ、やがて言った。
「それでも、私はあなたを見張ります」
「助かる」
本心だった。
その夜、俺は自室で地図を広げた。
王都。
宰相府。
帝国側の推定ルート。
そして、伏せた情報。
これが、どう動くか。
——動かなければ、それでいい。
——動けば、答えが出る。
帝国側の陣営では、
同じ夜、別の会話が交わされていた。
「王国の内部から、また情報が来ました」
「質は?」
「……妙です」
「ほう」
男は楽しそうに笑った。
「こちらを“誘っている”」
「罠でしょうか」
「罠かどうかは、踏めば分かる」
彼は地図に指を置く。
「だが一つだけ確信した」
「何を」
「王国には、“我々と同じ目”を持つ者がいる」
視線が、王都に向く。
「そして、その者は——」
「最初から、誰も信じていない」
夜風が、王都を撫でる。
静かな街。
何も起きていない街。
だが、もう戻れない。
裏切りは、まだ起きていない。
だが、避けられなくなった。
問題はただ一つ。
誰が最初に、引き金を引くか。
——その瞬間を、
俺は、待っている。
(第1章・了)
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