第1話:この世界に来て三日目、俺はこの王国が滅びる未来を見た
この物語に、
「絶対に信用できる味方」は登場しない。
国家も、王も、仲間も、
正しいことを言うが、正直ではない。
これは、
最初から誰も信じなかった男が、
それでも世界を守ろうとする話だ。
※戦闘よりも、嘘と情報が武器になります。
目を開けた瞬間、まず確認したのは自分の身体だった。
指は動く。骨は折れていない。出血もない。呼吸に雑音はなく、肺は痛まない。耳鳴りは——軽い。脳震盪の可能性は低い。
次に、音。
風。葉擦れ。遠くで水の流れる音。鳥——いや、鳥に似た鳴き声。人の声はない。
最後に匂い。
土と草。腐葉土。焚き火の残り香は……ない。
生きている。少なくとも今は。
俺は仰向けのまま、目線だけを動かした。視界の端に、太い木の幹。鬱蒼とした森。空は青いが、雲の動きが遅い。湿度は高め。日本の山林に近い——ただし、植生が微妙に違う。
違和感は、いつも些細なところから始まる。
俺は上体を起こし、手のひらで地面の感触を確かめた。柔らかい。雨上がりではない。ここ数日、降っていない。
記憶を辿る。
夜。港。倉庫街。無線のノイズ。耳に残る合図。突入の直前——視界が白く焼けて、身体が宙に浮いた感覚。
爆発ではない。衝撃も熱もなかった。あれは……“事故”というより、現象だ。
俺は服を見下ろした。
黒のジャケット。動きやすいパンツ。靴。いずれも汚れているが破れてはいない。装備は——無い。
腰のホルスターも、胸の内側の薄いプレートも、通信機も、何もかも。
持ち物がないという事実は、恐怖より先に結論を運んでくる。
ここは、任務地ではない。
俺は深く息を吸い込み、吐いた。
焦るのは素人がやることだ。焦りは手がかりを捨て、状況を固定する。
生き残るために必要なのは、いつだって順番だけ。
状況確認。
安全確保。
情報収集。
偽装構築。
目標設定。
俺は立ち上がり、周囲を見渡した。森だ。だが、ただの森ではない。地面に人の踏み跡が薄く残っている。獣道とは違う。一定の幅がある。荷車の痕跡——車輪の跡だ。
文明圏が近い。
俺は足跡を辿る方向へ歩き出した。
——歩きながら、思考を切り替える。
俺の職業は、真実を語ることじゃない。
真実を、使うことだ。
森を抜けるまでに半刻ほど。開けた場所に出た瞬間、俺は立ち止まった。
石畳の道。
木製の柵。
遠くに、煙。
そして——人影。
装備は中世風だ。鉄の胸当て。槍。盾。布の上衣。髪型も、髭も、現代のそれではない。軍隊というより、治安維持の巡回兵に近い。
何より決定的だったのは、彼らの“目”だ。
警戒はしている。だが、見慣れないものへの恐怖ではなく、森から出てくる“獣”への警戒。その程度。
つまり、この世界で“人間”は、森から出てきても普通にあり得る。
俺は両手をゆっくり上げた。
武器がないことを示すのは基本だ。武器があるときは別だが。
「……誰だ」
先頭の男が槍先をこちらに向ける。
言葉が、分かる。
理解できる音で、理解できる文法で、理解できる意味が出てくる。
その瞬間、背筋を冷たいものが走った。
幸運?
それとも、設計?
どちらでもいい。今は利用する。
「迷った。……助けが欲しい」
声の高さは抑える。怯えすぎず、強がらず。最初に与える印象は後から上書きしづらい。
「この辺りの村はどこだ」
「村……? お前、旅人か」
「そういうことにしておけ」
余計なことを言った。俺は内心で舌打ちする。
“そういうことにしておけ”は、敵意の言い回しだ。だが同時に、相手に考える余地を与える。素性不明を素性不明のまま置く。相手が勝手に穴埋めする。
兵士たちは視線を交わし、距離を詰めすぎないまま円を作った。
「名は」
「……コウ」
本当の名を言う必要はない。だが、完全な嘘も不要だ。
嘘は三割、本当は七割。
混ぜることで、相手は疑いにくくなる。
「コウ。どこの国の者だ」
国、という概念がある。国家がある。複数勢力が存在する可能性が高い。
俺は迷うふりをして、首を振った。
「……覚えていない」
記憶喪失は万能の逃げ道だが、使いすぎると“便利すぎて”疑われる。だが今は、道具も身分もない。安全を確保するには、疑われにくい弱さが必要だった。
「頭を打ったのか」
「たぶん」
兵士は槍を少し下げた。よし。憐れみが発生した。これは管理したい感情だ。放っておくと支配に変わるが、最初は安全保障になる。
「王都へ行け。ここは危ない。森には魔獣も出る」
「王都?」
俺は眉を上げてみせる。知らない者のふり。だが“王都”という単語を聞いて、頭の中ではもう盤面が組み上がっていた。
王政。首都。軍。貴族。税。内政。
そして必ず——諜報。
どんな体制でも、情報は武器になる。
兵士たちは俺を挟む形で歩き出した。拘束ではない。護送だ。俺が暴れない限り、彼らは優先度を上げない。つまり、今は“問題”ではない。
問題になるのは、王都に入ってからだ。
歩きながら、周囲を観察する。
道端の草は踏み固められている。交通量がそこそこある。遠くに見える煙は複数。村が点在している。
兵士の装備は統一されているが質は高くない。王国の財政は潤沢ではない。だが訓練は受けている。つまり、中央集権はある程度進んでいる。
俺は兵士の会話を拾う。
「最近、帝国の動きが妙だってさ」
「戦になるんじゃねえのか」
「王都の連中は、楽観してるらしいがな」
帝国。敵対勢力。
戦争の可能性。王都の楽観。
情報が足りないのに、結論だけは早い。典型的な平時の思考だ。逆に言えば、危機に弱い。
俺は口を挟まず、ただ聞いた。
——情報は、喋った者から漏れる。
沈黙は、相手に喋らせる。
王都が見えてきた。
城壁。石造り。高さはそれなり。門は広い。人の出入りも多い。市場の匂いが風に混じる。家畜の糞の匂い、焼いた肉、香草、油。
そして、人々の服。
麻や粗い布が多い。だが、門を出入りする荷車にはブランド——いや、紋章が描かれている。貴族か商会。経済は回っている。
俺はその紋章を記憶した。三つ。いや四つ。後で照合できる。
門兵に事情が伝えられる。俺は短い尋問を受け、腕を掴まれ——ない。まだだ。
彼らは俺を「監視の必要があるが、危険ではない」と評価している。
評価は変えられる。
だが、変えるならこちらからだ。
王都の中は、騒がしい。
子供が走り回り、露店が声を張り上げ、酒場から笑い声が漏れる。平和だ。平和すぎる。
平和すぎる街は、危ない。
人は平和の中でだけ、油断を肯定する。
連れて行かれた先は、石造りの建物だった。役所か、兵舎か。内部は質実剛健で、無駄がない。階段を上がり、狭い部屋に通される。
机。椅子。窓。水差し。
そして、扉の前に立つ兵士。
閉じ込められたわけじゃない。だが自由はない。これもまた護送の延長だ。
俺は椅子に座り、息を整えた。
どこまで嘘をつくか。
どこまで本当を混ぜるか。
——最初の数日で決まる。
この世界で生き残るために必要なのは、剣でも魔法でもない。
信用だ。
正確には、“信用させる技術”だ。
窓の外、遠くで鐘が鳴った。宗教が強い世界かもしれない。鐘の音は人を動かす。情報より早く、人を動かす。
俺は立ち上がり、窓の外を見た。
城の方向。旗。紋章。兵の巡回ルート。市場の配置。物資の流れ。水路の位置。
盤面が見えてくる。
そして、見えた。
この王国は——情報の扱いが下手だ。
人が多いのに、警戒が薄い。兵は規律があるのに、会話が軽い。商人は活発なのに、噂が統制されていない。
つまり、外から刺される。
帝国が本気なら、戦争の前に終わる。
俺は呟いた。
「……この国、滅びるな」
扉の向こうで、兵士が小さく咳払いをした。聞かれたかもしれない。だが構わない。
俺が今やるべきは、恐れることではない。
選ぶことだ。
この国に寄りかかるか。
この国を利用するか。
この国を救うか。
——救う、という単語が頭に浮かんだこと自体が、俺にとっては異常だった。
俺は自嘲し、息を吐いた。
そのとき、扉が開いた。
兵士とは違う足音。軽いが迷いがない。頭が切れる者の歩き方だ。
「あなたが、森で見つかった旅人?」
部屋に入ってきた人物は、俺を一瞥してから、視線を外さなかった。
疑う目。
値踏みする目。
そして——嘘を嫌う目。
厄介だ。
俺は笑ってみせた。無害で、疲れていて、少しだけ頼りない笑み。
「旅人……ってことにしておきたい」
相手の眉が、わずかに動いた。
——食いついた。
いい。
この世界で最初に作るべき“嘘”は、敵を騙す嘘じゃない。
味方に信じさせる嘘だ。
そして俺は、もう決めていた。
この王国が滅びる未来を見たなら——
滅びる前に、情報でねじ曲げる。
それが、俺の仕事だ。
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