データタスク?
その朝、俺は――
異常なほど冷静で、なおかつ破壊力抜群な一言によって目を覚ました。
「佐倉様。本日は『親密関係検証フェーズ・外出シナリオ』に移行しています」
天井を見つめたまま、三秒。
……なんのフェーズ?
「そのため、本日は――デートタスクを実行します」
俺は勢いよく上体を起こした。
「ちょ、ちょっと待って!」
「今、なんて言った?」
千智はベッドの横に立ち、タブレットを手にしていた。
表情はいつも通り落ち着いていて、まるで「燃えるゴミは火曜日です」とでも言うような口調だった。
「デートタスクです」
「統計上、親密関係において外出デートは、感情の安定および信頼度の向上に有効とされています」
「それ、恋人がやるやつだろ!」
「はい」
彼女はうなずいた。
「よって、必要なプロセスであると判断しました」
言い返そうとして――言葉が出なかった。
……いつの間にか俺は、
「俺たちが親密関係を検証している」という前提を、疑いなく受け入れてしまっていた。
それに気づいた瞬間、背筋が少し寒くなった。
「それでは、準備を行います」
そう言って、千智は部屋に戻った。
十数分後、再び姿を現した彼女を見た瞬間、
俺の思考は完全に停止した。
淡い色のワンピース。
膝丈で派手すぎず、それでいて普段の“機能重視”な服装とは明らかに違う。
髪型も、どこか柔らかい。
「……」
声が出なかった。
千智は小さく首をかしげる。
「佐倉様?」
「視覚反応に遅延が発生しています」
「い、いや!」
俺は慌てて目を逸らした。
「ちょっと……驚いただけだ」
「ネット上の『初デートで好印象を与える服装テンプレート』を参考にしました」
「ご希望であれば、すぐに変更します」
「い、いい! そのままでいいから!」
思わず声が大きくなった。
彼女は一瞬止まり、タブレットに何かを入力する。
【記録:
服装プランAにより対象の感情変動を確認。
成功率:高】
……そういうの、記録しなくていいから。
玄関で靴を履きながら、ふと疑問が湧いた。
「……どこに行くんだ?」
「商店街です」
千智は即答する。
「飲食施設、娯楽施設、人との接触確率が高い場所です」
「最後のはいらない!」
彼女は俺を一瞬見てから、否定指令ではないと判断したのか、何も言わなかった。
ドアが閉まった瞬間、
なぜか心臓が少しだけ速くなった。
……本当に、デートなのか?
マンションを出て五分ほど歩いたところで、千智が急に立ち止まった。
「佐倉様」
「な、なんだ?」
返事の代わりに、彼女はすっと手を差し出してきた。
「恋人行動データベースによれば、外出時の手つなぎは安心感と親密度を向上させます」
全身が固まる。
「いや、それは……事前に説明とか……」
言い終わる前に、彼女の手が俺の手を包んだ。
温かい。
思っていた以上に、はっきりと。
「ご安心ください」
「最も快適な握力で保持しています」
……問題は、そこじゃない。
手のひらに汗が滲む。
頭は真っ白なのに、心臓だけがやけに主張してくる。
千智は何事もなかったかのように歩き出した。
俺は――
その手を、離さなかった。
人通りの多い商店街。
すれ違いざま、通行人の一人が笑顔で言った。
「彼女さん、綺麗ですね」
俺は反射的に否定しようとした。
「ち、違――」
だが、その前に千智が小さくうなずいた。
「ありがとうございます」
相手は「なるほど」という顔で去っていった。
顔が熱い。
「な、なんで肯定するんだよ!」
「事実ではありませんか?」
千智は首をかしげる。
「どの辺がだよ……」
少し考えてから、彼女は答えた。
「同行中」
「身体的接触あり」
「関係の排他性が一時的に成立しています」
「最後、勝手に追加するな!」
彼女は反論せず、また何かを記録した。
本来なら、ナビ通り右に曲がるのが最短ルートだった。
でも俺は、なんとなく言ってしまった。
「……こっちは少し騒がしいな。遠回りしないか?」
「移動時間が増加します」
「いいよ。ちょっと歩くだけだし」
千智は立ち止まった。
彼女の画面に、警告が表示される。
【警告:
現在の選択は非最適ルートです。
修正しますか?】
彼女は俺を見た。
そして――警告を閉じた。
「了解しました」
「では、こちらで行きましょう」
なぜだか、その一言で胸が少しだけ締め付けられた。
ポケットの中で、スマホが震えた。
美月からだ。
『今、外にいる?』
『その辺、悠真の家の近くだよね』
心臓が跳ねる。
「……見られた?」
「いいえ」
千智は首を振った。
「佐倉様の過去の投稿写真と背景が一致しています」
分析能力、高すぎないか。
返事を迷っている間に、次のメッセージが届いた。
『隣にいるの、女の子?』
『もしかして、デート?』
指が固まる。
どう返すか考える前に、千智が画面を覗いた。
「私が返信しますか?」
「だ、だめだ!」
……遅かった。
『はい』
送信済み。
俺はその場で魂が抜けかけた。
夕暮れの川沿い。
並んでベンチに座り、街灯が一つずつ灯っていく。
俺は、ついに聞いてしまった。
「千智」
「はい」
「……これって、本当に“タスク”なのか?」
彼女は黙った。
三秒以上の沈黙。
それは、初めて見るものだった。
「システム上、明確な回答は存在しません」
「じゃあ……千智自身は?」
彼女は、遠くの光を見つめたまま答える。
「もし、これがタスクでなかった場合」
「私は、同じ行動を取るかどうかを判断できません」
それはデータでも、結論でもなかった。
――迷い、だった。
帰り道。
ふと、彼女が小さな声で言った。
「佐倉様」
「もし、これがタスクでなかったとして」
「それでも……一緒に、出かけてくれますか?」
すぐには答えられなかった。
その問いに、俺はもう――
彼女を“ただのAI”として見られなくなっていたからだ。




