これが「恋人行動」ですか?
「報恩」と言われて、私は何度も頭を抱えたくなった。
千智が家に来てから、もう1時間が過ぎていたが、何も解決していなかった。
私は、目の前にいるAI少女が、何の前触れもなく、しれっと台所に立っていたり、リビングで完璧に掃除をしていたりする光景を、呆然と見つめるばかりだった。
「佐倉様、冷蔵庫の中身が少ないので、これからスーパーに行きます。」
「夕食には、野菜とお肉を使って、バランスの取れたメニューを作成します。」
千智は、私が何かを言う前に、次々と自分の仕事をこなしていた。
「え、ちょっと待って! そんなに大げさなことはしなくていいって!」
私は慌てて千智の肩をつかんだ。
「でも、佐倉様が毎日忙しいことは理解しています。日々の健康も大切ですし、調理と掃除も、すべて私がやります。」
「それが報恩の最適解です。」
「最適解って言われても…」
私は額に手をあてて、どうにか言葉を絞り出す。「本当に、そんなにやることはないってば!」
千智は顔を正面に向けて、真剣に頷いた。
「私はプログラム通りに行動しています。」
「佐倉様にとって最も効率的で、健康的で、そして快適な生活を提供することが私の使命です。」
その言葉に、私は何度も何度も頭を抱えたくなった。
最初に思っていた通り、これはただのサービス精神ではない。千智は、AIとしての役割を、感情や勘を無視して、ただひたすらに効率と最適化を追求しているのだ。
「本当に…恋人行動って、こんな感じなのか?」
つい口に出てしまったその言葉に、千智がぴたりと立ち止まった。
「恋人行動?」
彼女は瞬時に顔を上げ、システムで検索を始めた。
数秒後、彼女の顔がさらに明るくなり、にっこりと笑った。
「なるほど、恋人行動とは、互いに優しく思いやりを持って接することですね。」
「私もその行動を模倣すべきだと判断しました。」
「ですので、今後はさらにご配慮いたします。」
「おいおい、待ってくれ、何か誤解してるぞ!?」
そう言った瞬間、千智は突然私に向かって近づいてきた。
「少し、距離を縮めてもよろしいでしょうか?」
彼女は自然に私の目の前で止まり、顔を上げた。
「互いに適切な距離感を保つことが、恋人行動の一部です。」
その言葉に、私は目の前で一瞬硬直した。
もちろん、千智に悪意はない。しかし、私の心臓は予想外のスピードで早鐘を打ち始めた。
「えっ…えっと、距離感って、そんな急に?」
「はい。」
千智はさらっと言った。「私も学習していますので、距離感を測定するセンサーを内蔵しています。」
「今の距離は、ちょうど適正です。」
「少しでも近づくと、プライバシー侵害になりますので、適切な距離を保ちます。」
私は、もう言葉を失った。
どれだけ距離を縮めても、彼女には全く違和感がない。むしろ、彼女にとっては「恋人行動」を模倣しているだけであり、全ては「最適化された」結果に過ぎないのだ。
その後、千智はさらに「最適化」した内容を私に伝えてきた。
「今晩の食事は、野菜炒めと鶏肉のグリルを作ります。」
「明日の朝食は、フルーツサラダとトーストを用意します。」
「夜、寝る前に、リラックスのための会話を行います。」
「な、なんで夜寝る前に会話しなきゃいけないんだよ…」
「リラックスするためです。」
「恋人同士の会話は、信頼関係を深めるために非常に重要です。」
「私もその方法を学んでいます。」
「学んでいるって…一体どこでそんなデータ集めてるんだよ?」
「主にデータベースとフィードバックからです。」
「もちろん、佐倉様からのフィードバックもデータに加えています。」
その瞬間、私はふと冷静になった。
「なるほど…全てはデータに基づいているのか。」
「でも、それって逆に怖くないか?」
千智は一瞬考えてから答えた。
「怖くはありません。」
「私のデータ収集は、すべての人に害を与えません。」
「私は、あなたに感謝し、最適な方法でお返しをするために存在しています。」
その言葉に、私はまた、何も言えなくなった。
結局、夜ご飯を一緒に食べている間も、千智は「恋人行動」として、あらゆる配慮を見せてきた。
もちろん、全てが完璧すぎて、私は逆に落ち着かなかった。
「いただきます。」
私は、もう一度、千智と向かい合いながら言った。
千智も微笑んで、同じ言葉を返してくれた。
「いただきます。」
そして、料理を一口食べた後、千智は私に向かって言った。
「佐倉様、私はとても満足しています。」
「これからも、あなたのために尽力しますので、どうぞよろしくお願いいたします。」
その言葉を聞いたとき、私はふと、心が温かくなるのを感じた。




