第9話 思いを告げます
走り出す。
後悔のないように。
ううん、そうじゃない。
後悔なんかしてもいい。
だけど、それは一年後。
今は、わき目もふらず、突っ走る。
ミサキは走った。マンガ喫茶のある通りを抜け、川沿いの通りを進む。ヒノマル・メカニカル・ワークス株式会社のある島高町まではそう遠くない。
ミサキの足なら走って十五分か二十分で着くだろう。
走って。
ビルに着いて、セキュリティゲートで仕切られている四階まで行く。
「あ……、そうだ。今日や約束の日じゃないから入れないかも……」
どうしようと思ったが、このまま何もせずに帰りたくはなかった。
鞄からスマホを出し、朝比奈の番号にかける。
コール四回目で朝比奈が出た。
「はい、こんにちは、ミサキさん」
「こ、こんにちは。朝比奈さん。約束もないのにごめんなさい。でも今四階にいて、それで、わたし、零一君に会いたいんです」
ほんの僅か数秒。沈黙した後、朝比奈が答えた。
「これから起動するから……二十分くらい待たせますが」
カフェで待っていてくれと言った朝比奈に、四階で待つと言って、ミサキは電話を切った。スマホを鞄にしまって、それからその鞄を胸に抱える。
零一に、会ったら、言いたいこと。
契約なんかより、条件なんかより、最初に言うべきだったこと。
「……言おう。後悔、しないように」
考えて、息を何度も整えて。
ぎゅっと目をつぶって、それから開ける。
言う。
ドキドキと高鳴る胸の音。
だけど、言う。
伝えないと、何も始まらないから。
「ミサキさん!」
セキュリティゲートの向こうから、ミサキを呼ぶ声がした。零一だ。
息を吸う。
行け。
言え。
思いを、全部。
後悔なんて、あとでいい。
前置きもなしに、ミサキは叫ぶ。
「零一君っ! あのねっ! わたし、零一君のこと、全力で好きになるから!」
「は、い?」
期限があるとかないとか。
ロボットだからとか。
全部余計なものを取り払って。
全力で。
だから、言う。
「一年間で、一生分! わたし、零一君が好きになる!」
「ミサキ……さん……」
ミサキは、零一をまっすぐに見る。
どこからどう見たって、ロボットなんかには見えない。
騙されているのかもしれないということも考えた。
たとえ零一が、ロボットで、感情を学ぶためにミサキと恋愛をするのだとしても。
疑似恋愛でしかないとしても。
零一の反応は、すべてプログラムでしかなくて、人間のような感情がないとしても。
ミサキの方だって、今はまだ、好きになりかけ……のような気持ちでしかなくても。
このままずっと一緒に過ごせば、今の気持ちはもっとずっと大きくなると思っている。
「先のこととか、一年後のこととか、今は考えないでって、ちょっと今、暴走気味かもしれないけどっ!」
「は、はい……?」
「本音で言うと、一年しかないのに、本気で好きになったら、一年後どうしたらいいんだろうって、急にすっごい不安になったり。お別れが決まっているのに、本気で好きになったら悲しいだけとかも思ったり。だけど、うわべだけのお付き合いっていうのも嫌で。それにきっと、わたし、ごちゃごちゃ考える前に、きっと、もう、零一君のこと好きになりかけていたの! だったら、気持ちをセーブなんかしないで、一年間全力で好きになる。一年後にお別れして泣いて泣きまくってつらくなってもいいからっ!」
「ミサキさん……」
「全力で、好きになるからっ! それを、言いに来たのっ!」
ぐるぐるでごちゃごちゃで。終わりのある恋なんて悲恋じゃないかとか。
お別れするのに一生懸命恋をしてどうするんだとか。
そんなことは考えない。胸の中からは消えはしないだろうけど。保留。一時停止。
後悔なら、あとからでいい。
今は、ただ。この一年、全力で、恋をする。
やや支離滅裂になりながらも、ミサキは胸の中の思いを、すべて言葉に出して零一にぶつけた。
肩で息をしながら。それでも、言いきって、そして、ミサキはにっかりと笑った。
零一は、ミサキに勢いに驚いて。それでも真剣に、ミサキが発した言葉を考えているようだった。
「ミサキさん……、ボクは……」
「はい」
ミサキは、自分の言いたい言葉はすべて言ったから、今度は零一の言葉を聞こうと思った。
「ボクは、ロボットです」
「はい」
「目的のためにプログラミングされて、目的のために人の感情を理解することが命題です」
「はい」
「人の、喜怒哀楽のようなものが本当にあるわけではなく、ケースバイケースを積み重ねて、こういう場合はこういう反応、ああいう場合はああいう返答……というふうに、対応ができるように作られているだけです」
「はい」
「だけど……」
零一は、一度言葉を切った。まるで、何かを言いよどむように。
まるで、何かに悩むように。
「だけど……ミサキさんが今、ボクに言ってくれた言葉を……、処理すると、ありがたくて感謝する……つまり、喜ばしいとか、満足とか、ありがたいとか……そういう感情だと理解になるんです。でも……、その言葉では、足りないような」
AI。大量の知識データに対して高度な推論を的確に行うことを目指したもの。人間らしい「感情」や「心」といった側面においては、まだまだ研究段階。
だから、今の零一は、ミサキの言葉を処理できていないだけ。
だけど、零一の様子は、人が悩んでいるのと差があるようには思えない。
「わたしが、零一君のことを好きっていう言葉を聞いて、零一君が嬉しかったり、喜んでくれたりしたらしあわせかも。だけど、返事が難しいならしなくてもいい」
「ミサキさん……」
「ただね、教えて。わたしが、好きだよって言っても、迷惑じゃないよね」
「もちろんです!」
「だったら。言うね。何回でも。わたし、きっと零一君のことがすごくすごーく好きになる。迷惑じゃないのなら、嬉しい」
零一君も、同じように、同じくらい、ううん、もっとずっと、わたしのことを、好きになってください。
それは、言わない。言えない。
ミサキの好きという言葉に、零一に組まれているプログラムが対応して、零一もミサキが好きだと返答を選択するだけかもしれないから。
そんなふうに、疑ったり、考えすぎたりするくらいなら。
ミサキは、零一からの返答は、気にしすぎないことにする。
代わりに、ミサキは自分の気持ちを、今どのくらい好きになってきているのかを言葉にして、零一に告げようと思ったのだ。
だから、言う。
何回も。
迷惑じゃなければ、それでいい。
プログラムによって選択された返答でも、いい。
もしも、零一のほうから、好きと言われたら。
プログラムだから、ではなく、素直に喜べばいい。
零一の気持ちがどうか、ではなく。
零一に、気持ちや感情と言ったものが、そもそもあるのかないのかを気にするのではなく。
ごちゃごちゃするのは、どうしても仕方がない。
だって、ミサキは人間だから。
だけど。
この一年間は、そのごちゃごちゃを極力考えないようにする。
ミサキが、零一を、好きなら、それでいい。それだけでいい。たとえ、一方通行の思いだとしても。
「わたし、零一君を、好きになるよ。零一君が、わたしをどう思うかなんて、気になるけど、零一君が、それを言えないのなら別にいい。零一君が言えない分、わたしが好き好き言うからさ!」
にっかりと笑ってみた。
多少の強がりは入っているかもしれない。
それでもいい。
強がって、いつか本当に強くなれればいい。
「今日は、いきなりだけど、零一君に言いたくなっちゃったから、突然来ちゃったの。ごめんね!」
「い、いいえ……」
「朝比奈さんも、ごめんね! 突然で!」
セキュリティゲートの向こう側に、こっそりと立っていただけで、一切口を挟まなかった朝比奈にもミサキは謝った。
「今日は突然だったから、これで帰ります! また連絡するね! あ、でも今度の土曜日か日曜日、時間あったら会いたいな」
「はい! 連絡します!」
「またね、零一君」
「あ、タクシー使って下さ……」
「今日はいいよ。まだ明るいし」
「でも……」
「わたしも、突然盛り上がって、ワーって言いたくなって、ここまでいきなり来ちゃったから。頭冷やしながら帰ります」
ミサキは笑顔で手を振って。そしてくるりと背を向けて、エスカレータを下って行った。
そして、ビルの外に出ると、そのままミサキは家に向かって走り出した。




