第8話 走りだしました
桜の花は、満開の時期は過ぎてしまったが、まだ花は木に残っている。風が吹くとそれが一斉に散る。桜吹雪に、心が沸き立つ。
が、この時期、朝は実は少々冷える。特に、制服の首元や、足元などが。
ミサキは考えた末に、靴下はひざ下までの長さのものにして、それから制服の上からお気に入りの白い色のコットンのストールを首に巻いた。
コットンストールは使い勝手が良い。真夏の教室で、クーラーが当たりすぎて暑い時なども、鞄の中からさっと取り出して、首に巻いたり、膝にかけたりできる上に、薄くて軽いから持ち歩くのに邪魔でもない。
「じゃあ、行ってきまーす」
「ほいほい、いってらっさい」
カエデが歯を磨きながら、ミサキを見送った。
今日から高校二年生。一年生のときに仲良かった友達とまた一緒のクラスになれたらいいなーなどと思いながら、ミサキは学校までの道のりを歩く。
国道に沿って歩き、安売りで有名な商店街の横道を抜ける。ちょっと先まで進めばイングリッシュガーデンや住宅展示場などもあるが、そちらまでは進まず、道を曲がれば、そう遠くない位置にミサキの通う高校はある。
正門を通るときに、教師から「進級おめでとうございます」と見出し的に印刷されているクラス名簿と教室案内がを受け取る。
まずは自分のクラスを確認した。
「ええと、相模原ミサキ……あ、二年三組だ」
さて、友達は……と、名簿を改めて見回した時に、後ろから「ミーサキ!」と声がかけられた。
「あ、浦島ちゃん!」
眼鏡をかけた知的美人が、ミサキに笑いかけていた。
「今年も同じクラスだよー。よろしくね」
「わあ! よかったー」
きゃいきゃいと手を取り合って飛び上がっていたら、教師から「さっさと教室に行けやー」と笑われた。
「はーい」と答えて昇降口に向かう。二年生は新館の二階。教室に入るととりあえず、名前順に座るようにと指示があった。
相模原の「さ」と浦島の「う」で、席は隣……とはいかないが、比較的近い位置になる。
「来年はわかんないけど、今年はミサキと一緒に遊べそうで嬉しいなー」
浦島ちゃんが、自分の席に座りながら言った。
来年。
その言葉に、ミサキの肩がピクリと動く。
来年は三年生。ミサキの通っている高校の生徒はほとんどが進学で、就職する者はいない。大学へ行くのか専門学校か、それとも留学か。そんな進路を考えていかなければならない。
それから……、零一との、一年間のお付き合い。
「……あ、そうだ。浦島ちゃんに相談があったんだよね」
「ん?」
「えと……」
教室では言い出しにくい。それに、零一のことはどこまで言っていいのか、言えない範囲もある。
「あ、ほら、浦島ちゃん、マンガ好きでしょ」
「うん! 今日もこれからマンガ喫茶行くつもり。読みたい新刊、いっぱいあるんだー」
「え、行くの? 直接? それとも一回家に帰る?」
「もちろん直行! そのためにちゃんと、フード付きパーカー、持ってきてます~」
学校にはもちろん制服がある。だけど、上着を脱いで、パーカーを着れば。そのまま遊びに行くことも可能だ。もちろん教師に見つかれば、咎められるだろうが、繁華街でふらふらするわけでもなく、行き先はマンガ喫茶。見つかる確率は少ない。
「家が近いんならともかく。行きかえりの時間がもったいない」
「そうだよねえ……」
流石にミサキにはそこまでの用意はない。
だけど。
「……学校指定の体育の芋ジャージ着て、ストール広げて肩から垂らせば。イケるかな」
手持ちの衣服で変装……とまでは言わないが。学校帰りでそのままマンガ喫茶へというのを、教師に見つからないようにするには。
「あ、イケるイケる。大丈夫」
浦島が右手の親指を「グッ!」と立てた。
「じゃあ……、一緒に行ってもいいかな」
「わーい、喜んでー。でも、ミサキがマン喫行きたいなんて言うの珍しいねえ」
「あ、うん。読みたい本……っていうか、読みたいジャンルがあって……」
「ほう!」
「なんていうのか……少女漫画で」
「うん」
「初カレとか、初恋とかなんだけど」
「うんうん」
「付き合える期間が決まっていて、どうしてもお別れしちゃうかんじで」
「あー。親の転勤に付いて行くとか、留学とか、不治の病とか?」
「うん。そんな感じのをね、いろいろ読みたいなーって」
いつか、零一とお別れする。
別れが決まっていても、付き合う。
その参考にならないだろうかと思ったのだが。
「よっしゃ、この浦島様が、厳選したおすすめマンガをミサキに教えて進ぜよう」
「わー。助かるー」
「今日は授業もないし、いつも行ってるマン喫は持ち込み可能だし。パンと飲み物買って、三時間パックでどう?」
「おっけ!」
***
浦島と共にやってきたマンガ喫茶は、席の種類も選べるし、持ち込みも可能。マンガの種類も多い。
ミサキはきょろきょろと中を見回す。
「ミサキー、個別のお部屋じゃなくて、フツーのカフェみたいなオープンシート席のほうでいいよね」
「んーと、どう違うの?」
「個室だと、靴を脱いでソファとかに座って足が延ばせる。オープンシートは、カフェの席と変わらないよ。代わりに安い」
「あはは。安いほうが良いよね」
「うん、夜とかで、寝泊まりするのに使うわけじゃないからね」
「あー……、オトナになったら仕事で終電逃して、マン喫に泊まって、始発を待つとかやるのかなー」
「そんなブラック企業、嫌だよ~。ホワイトに勤めて、仕事後に余暇のマンガにしようよ」
「浦島ちゃんなら、そのまま朝を迎えそうだけど」
「あっはっは。違いない。社会人になったら、ひとり暮らしして、床をマンガで埋め尽くすぞー」
「……鉄筋コンクリートの、耐震とかしっかりしているマンション借りてね。築五十年とかのアパート、安いからって借りたら、マンガの重さで床が抜けそう……」
軽口を叩きながら、浦島おすすめの漫画を手にして席に座る。浦島は新刊を手に真剣な表情だ。
もう、何か話すことなく、お互いに漫画の世界に没頭していった。
***
「うー……、読んだ読んだ」
漫画喫茶を出て、ミサキも浦島も「うーん」と伸びをした。 とりあえずバス停に向けて歩き出す。
「短期決戦的に集中して、めっちゃ冊数読んだから、目がしぱしぱするわ」
「ホント」
「で、ミサキ。アタシのおすすめの漫画はどうだった?」
「うん……なんて言うか、お別れがわかっても、一生懸命恋をする系の主人公、多かったなーって」
「そりゃあそうでしょう。さっさと別のカレシ作ったら、少女マンガじゃないよー」
「そうだよねえ……」
ふう……と、ため息をつく。
少女漫画の中の主人公は、たいてい前向きで、困難にもめげずに立ち向かう。
お付き合いが短くても、一生の恋。永遠の愛。しかも健気だ。
ミサキは、自分はどうなんだろう……と、空を見上げてしまった。
「……なんか悩んでることでもあるの?」
「え?」
「いやさあ、いきなりお別れが決まっている系の漫画が読みたいなんてさー」
「あー……」
聞いて、しまおうか。どうしようか。
悩んだけれど。
「……もしもさあ、浦島ちゃんが」
「うん」
「少女漫画の主人公になって」
「……うん」
「付き合ったカレシが一年後に死んじゃうとか、そういう系のヒロインだとしたら、どうする?」
きょとんとした顔で浦島が足を止めた。
「……そもそも恋する気持ちっていうのはわからんのよね」
「そうなの⁉ あんなに少女マンガ読んでいるのに⁉」
「読むのと実体験するのとでは違うでしょー。今のアタシはカレシ作って、一緒にうふふあははするより、一冊でも多くの漫画が読みたいのー。初恋なんて、机上の空論さ!」
「あー……」
恋愛は、エネルギーを使う。ミサキだって、高校一年のときは受験疲れもあってか、ボケーっとしていた。
学校に行って、帰って、宿題をやって。カエデの手伝いで買い物をしたり、掃除をしたり。たまに友達とカラオケに行ったり、ファーストフード店で話したり。
それで、毎日が終わっていた。
なのに、動画を見た瞬間、目が惹かれた。
キレイな男の子。
もしも零一が、売り出し始めたアイドルだったのなら。きっとファンクラブにでも入って、ライブだの配信だのを楽しみにする日々が始まったのだろう。
そのくらいの距離だったら。
何も考えずに、楽しく過ごすことができた。
だけど。
こんな男の子と恋愛ができるのなら。
そんなふとした願いが実現して戸惑うだけじゃなく。
一年後にお別れ。
「だけどまあ。こんなアタシですが、本当に運命の恋とかに落ちたのなら」
浦島は、ミサキを見て、そして。
「全力で、突っ走るっ!」
右腕で拳を握って、それを空に掲げるようにして、突き出した。
「う、浦島ちゃん⁉」
「だって、運命でしょ⁉ だったらそれが純愛だろうが悲恋だろうが何だろうが、全力掛けて捕まえに行くわよ!」
ニカッと笑う。なんの陰りもなく。
浦島が自分で言った通り、体験がないからこその断言。
少女漫画の、キレイなストーリーばかり読んでいるからこその。
つらいことは、必ず乗り越えられる。
悲恋の先にだって、明るい笑顔がある。
それを、信じて疑わない。
「だから、たとえばだけど、アタシの運命がインド人の王子様だったとして」
なんの例えだそれは。
思わずツッコミを入れたくなったミサキだが、浦島は真剣に話している。
「言葉が通じないとか、習慣が違うとか、王族と平民とか人種が違うとか、そんなのを考えるのは後でいい。とにかく突っ走っていって、あなたが好きですって言わないとね!」
「あ……」
お付き合いをします。よろしくお願いします。
ミサキは、零一にそう言った。
零一も同様に。
お付き合いは始まった。
二人きりのデートも、もう、した。
なのに、好きだとかは、言っていない。言われてもいない。
ああ、いや、そうじゃない。
好きとは言われた。
名前を一生懸命考えて、零一という名を選んだ。それが素敵だと、好きだと零一は言った。
だけど、あれは、恋愛的の意味の好きとは似ていて違うような気がする。
何が違うのかと言えば……、そう、ロボットだからなのか、実に理性的。
浦島のように「全力で、突っ走る」ような勢いはない。
代わりにお付き合いに関して諸注意や契約がある。
そして、人間のような三大欲求は零一にはない。
あくまで、人間の感情を理解するための、恋愛。
疑似恋愛といってもいいのかもしれない。
そういうお付き合いなのだ。
だけど、ミサキは?
カエデは自分で考えて動けという。
浦島は、運命に出会ったら突っ走ると言った。
じゃあ、ミサキは?
「好きって告白しにインドまで行って、帰りの飛行機とかが落ちて死んじゃうとか悲恋だよね。でも、告白しないで、日本にいて、そのまま悶々と、告白すればよかったなーなんて後悔するより、動いたほうがいいと思うんだよねー」
「そっか……」
「まあ、実体験のないアタシがどうこう言えないけどさ。漫画の主人公って、たいてい動くよね。主人公が動かない場合は周囲が動くんだけど」
「なるほど……」
「今日と同じ明日を繰り返す、じゃあ、マンガにならないし」
「そりゃあ、そうだ」
「読者としてはサクサクとストーリーが展開してもらわないとね! 期間限定の悲恋なら特にだよ。さっさと話し進めないと、話が終わるどころか、読者の人気が得られなくて打ち切りだ」
「そうだね、終わっちゃうね。期間、一年だけだし」
息を吸って、吐いた。
浦島の後ろでは、風が吹いて、その風に舞って、桜の花びらが舞い落ちた。
落ちるまでの、わずかな時間。
悶々と過ごしても。
動いても。
時間の長さは変わらない。
「……浦島ちゃん。わたしね、初カレができたんだ」
「お、おおお⁉」
「だけど、事情があって、一年間しかお付き合いできないの。お別れが決まってるの」
浦島は何も言わずに、ミサキの次の言葉を待った。
「一年しかないんだから、悩んでいる時間がもったいないよね」
「うん。悩んだりするのは一年が過ぎた後でいい」
「ありがと」
ミサキは、両手を膝に添えて、ぐっぐっと屈伸運動を、した。
「……一年後、悲恋になって、大泣きしたら」
「そのときにはハッピーエンドのマンガを、山のようにプレゼントしてあげよう」
あはははは、と、ミサキは笑った。だけど、目尻には涙があふれてきたし、喉の奥は詰まってしまった。
「全力で、走って、ぶつかってくる」
「よっしゃ、行ってこい!」
ミサキは走りだす。
約束はしていないけれど。零一は、ヒノマル・メカニカル・ワークス株式会社のビルの中にいるだろう。
だったら、行く。走る。全力で。




