第6話 悩んでいました
契約を済ませた頃にはすでに夕方となっていた。
会議室から見える空の青にはオレンジ色が混じり、更に白い雲にグレーの陰影をつけていて、実に美しかった。
この景色を写真に撮ったら、いいかもしれない……と、ミサキが考えているうちに、会議室のテーブルの上には大量の書類が並べられていった。先ほど朝比奈がタブレットを見ながら説明してくれた契約内容、それをプリントアウトした契約書なのだろう。
朝比奈とカエデは契約内容以外にも、交通手段の確認や交通費の請求の仕方、それらの振込先等々、細かい手続きの話を続けていたが、ミサキはぼんやりと窓の外を眺めてしまった。
「……ミサキさん、お疲れですか?」
「零一君……」
「初めて来た場所で、契約などの細かい話ばかり続けていれば、疲れてしまいますよね」
優しい声音で気を遣われると、ついうっかり、零一が人型ロボットであることを忘れそうだ。
それに……と、ミサキは思った。
さっき握手をした零一の手が、温かかった。
「うん……、ありがとう、零一君」
ロボットというのは嘘なんじゃないだろうか。
ミサキはふとそんなことを考えた。
たとえばテレビ番組。
日常の中にありそうでありえないシチュエーションを用意し、それに遭遇した人がどのような行動に出るのか。それを隠しカメラでこっそり観察して楽しむバラエティ番組を、ミサキはたまに見る。
その番組のように、ミサキに零一をロボットだと思い込ませておいて、一年後に、実は本当は人間なんですよ……と、告げてくるのではないだろうか。
だって、零一君、手があったかいし、優しいし、こんなふうに気を遣ってくれる。
ロボットになんて、全然思えない。
本当にロボットなのか。
それは嘘で、一年間嘘に騙されるかどうかのモニタリングとかではないのだろうか。
それとも、何か別の……?
考えてもわからない。
今、確かなことは、この優しい零一と、一年間一緒に過ごせるということ。
しかも、恋人という関係で。
親しく、過ごせる。
それだけは、確か。
「……あのね、零一君って、スマホとか持っているの?」
「はい? スマホ?」
「持ってるなら、電話してもいいのかなーって。会いたいなーって思ったときとか、連絡手段、どうしたらいい?」
「あー……」
零一は、言いよどんだ。
「ごめんなさい、ミサキさん」
「ん?」
「僕と会ったり話したりすることは、契約上、あんまり自由にはならないんです」
零一と話している途中に、横から朝比奈が口を挟んだ。
「あ、それそれ。契約書には書いてあるんだけど、零一との交流は、何月何日何時から何時みたいに、次の約束の日を決めてほしいんだ」
「あ、そうなんですか?」
「うん。いろいろセキュリティの問題もあるし、データバックアップとかの問題もあるし。自由度低くてごめんねー」
「あー……、なるほど。わかりました」
探りを入れるわけではなく、連絡の方法を確認したかっただけではあるが、ますます騙されているように思われて仕方がなくなってきた。
だけど、ミサキを騙すことで、何のメリットがあるのか。それがわからない。
だから、騙されているとも言い切れない。
しかも、きちんと報酬の話まで、朝比奈とカエデの間で話されていたのだ。
なんらかの詐欺で、お金をだまし取られるようには思えない。
そんな詐欺をするくらいなら、こんなセキュリティがしっかりしているビルなんかで契約の話もしないだろうし。
株式上場されている、一流の企業の、なんらかの実験。
そのために、ミサキと零一が出会える場所に制限もあるし、出会える日時も制限される。
そういうものなのだろう……と、納得するというよりは、確かに少々疲れてきて、思考がテキトウになってきているような気がした。
「じゃあ、次に会う日とか時間とか、今決めてから帰るほうがいいのかな? なにかあった時、約束の変更なんかは……」
「あ、それは、私のほうに連絡をお願いします」
「朝比奈さんに、ですね」
「はい。親同伴のお付き合いみたいですけど。私や零一のほうに何かあれば、ミサキさんに直接ではなく、きちんとカエデさんを通してご連絡差し上げますので」
「はい、わかりました」
***
そうして、この日はタクシーを呼んでもらって、ミサキはカエデと一緒に帰宅の途についた。
暮らしているアパートまで直接帰るのではなく、アパートの近所のスーパーでタクシーを降りた。
牛乳やコロッケなどのお惣菜や菓子パンなど、思いつくままに買い込んでから。
それをミサキとカエデはキッチンに置いてある小さなテーブルに並べて、もそもそと食べた。
「……今日は疲れた?」
「うん……」
ミサキは生返事をしつつ、コロッケを咀嚼する。カエデが手作りしてくれるサクッと揚がったコロッケのほうが好きだが、スーパーの総菜のコロッケもなかなかに美味しい。
「零一君、動画で見るよりかっこよかったね」
「うん……」
いつもなら、ミサキは学校での出来事をあれこれとカエデに告げる。
だけど、今日は。
「おかーさん……」
「ん? やっぱりやめたくなったとか?」
「違う。そうじゃないんだけど……」
「何か気になっていることとか、あるの?」
「うん……」
食べるのを止めて、じっと考える。
零一が、ロボットというのは嘘なんじゃないだろうか。
ミサキはそのことを、ずっと考えてしまっていた。
「おかーさんは……、零一君、どう思う?」
本当に、ロボットなのか。
カエデはどう思ったのか。
聞いてみたいと思った。
「娘の初カレシがカッコイイ子でよかったわー」
「おかあさああああああん!」
「いや、イケメン好きというわけじゃないけど。性格もよさそうだし、安心感あるし、勉強まで教えてもらえるだなんて、なんてラッキー☆」
あんまりに軽いカエデの返事に、ミサキはがっくりと肩を落としてしまった。
「そうじゃなくって! 零一君、本当にロボットに見えた?」
「うーん、最新の技術ってすごいわねー」
「普通の男の子にしか見えないんだけど」
「そうねえ」
詐欺とは言わないけれど、何か騙されているのではないか……とまでは、ミサキは口には出せずにいた。
「まあでもねー。テレビとかパソコンとか、ケータイ……じゃないや、スマホとかだって、技術の進歩ってすごいもんだしねぇ」
「そういうのと、同列なの?」
「だって。おかーさんのおかーさん……ミサキのおばあちゃんより上の世代なんて、パソコンもスマホもなかったのよ」
「そりゃあ、そうだけど」
「江戸時代の人にスマホなんて見せてみなさいよ。『貴様、妖術使いか‼』とか言われちゃうんじゃないの?」
どこかズレているカエデの返答。
「そんなのと同じなんじゃないの? おかーさんとかミサキの日常生活には、未だロボットなんて、ない。テレビのニュースで、こんな最新技術が云々って、紹介されるのを、おせんべいとか齧りながら『へー』って見ている程度で」
「おせんべい……」
確かにカエデの好物はせんべいで、それをバリバリと齧りながらテレビも見ているが。
「でも、おかーさんがおばーちゃんになるころには、零一君みたいなヒューマン型介護ロボットが、一家に一台、常備されて、生活必需品になる世の中が来るかもしれないじゃない」
「昭和の時代の……なんだったっけ? 電化製品の三種の神器? 洗濯機、とかみたいに?」
「ああ、歴史の授業でやったわねえ。懐かしい。高度経済成長期に突入した頃だの話だよね。冷蔵庫と洗濯機と掃除機の家電三品目が『三種の神器』として喧伝されたんだっけか。現代日本じゃ、ない家を探す方が大変じゃない?」
「掃除機は、そのうち白黒テレビに変わったって習ったけど」
「あ、そうそう、テレビもねえ、今じゃカラーだし、予約はできるし、録画はできすしで、すごいよねえ。昭和の初期の人達にしてみれば、今のあたしたちの世の中は、すごーく未来な感じじゃない? それからすると、令和の時代の三種の神器のうちの一つに、ヒューマノイドがありましたーなんて、数百年後の学生さんが歴史の授業で習うようになるのかもよ」
「あー……」
そういう感じの、技術の進歩なのだろうか。
なんとなく、理解ができたような、できないような。
ミサキはまだモヤモヤと考えていた。
「ま、でも、零一君が本当にロボットなのかなんて、考えても仕方がないじゃない」
すらっと、カエデが言った。
「え? どうして?」
「だって、向こうさんが『零一君はロボットです』って言っているんだもの」
「そう……だけど」
「それを今さらどうこう言ったって、無意味よ」
「だけど……」
「だから、ミサキがそれを信じるか信じないか。信じるつもりになって付き合うのか、疑いつつ付き合うのか」
ミサキは心の中で、カエデの言葉を繰り返した。
信じるつもりになって付き合うのか。
それとも、疑いつつ付き合うのか。
そして、思った。
疑いながら、付き合うのなんて、そんなのは……嫌だと。
「前提として、零一君は最先端の人工AIを搭載したロボット。それは向こうがそう言っているの。本当かどうかなんて、あたしたちにはわからない。考えても仕方がない。だから、その前提で、ミサキがどうしたいか、それを考えなさい」
「おかーさん……」
じっと見てくるカエデの目。
考えなさい。
自分で。
どうしたいのか。
じっとカエデを見つめていたら、カエデはふっと力を抜いたように笑った。
「そもそも、ロボットかどうかなんて、本当は、ミサキの重要事項じゃないんでしょ?」
「え?」
「あのさ、ミサキが、気になっているのは、本当は何? 何を悩んでいるの?」
「なに……って……」
ロボットかどうかを悩んでいたはずなのに。
違う。
思い出した。
朝比奈の言葉。
零一とのお付き合いは、たったの一年間。
そして一年後、データを零一の次の人型ロボットに移行して、次の段階に発展させる。
その後、契約だのなんだの、話していくうちに、話題がどんどん流れて行って、聞くことができなかった。
いや、聞くのが、不安で、敢えて口に出さなかったのかもしれない。
一年後、お付き合いが終わった後の零一君はどうなるんですか?
「おかーさん、あのね……」
「うん」
「最初、動画を見た時に、ロボットとか、関係なく、零一君みたいなかっこいい男の子と恋愛できるなら、いいなって、ただ、思ったの……」
少女漫画みたいな憧れ。
わたしのカレシはかっこいいんだよ。
自慢できる。
それで、仲良くなって、本物の恋人になって、恋愛して、結婚して、しあわせな一生を送る……なんて。
夢のような物語。
そんなことを空想した。
だけど、現実には。
お付き合いはたった一年。
「実際に会ってみたら、びっくりした。ロボットなんて思えないし、本物の男の子みたいだし、かっこいいし、優しいし、気を遣ってくれるし……」
「うん」
「わたしなんて、普通だからって理由で選ばれたくらい、平凡でなんのとりえもないどこにでもいるような女の子、なのに」
「おかーさんにとっては、ミサキは特別かわいくて、世界一愛おしいんだけど」
「うん、嬉しかった。だけどそれはやっぱり親子だからで、大事に育ててくれたからで……一般的に言えば、わたしは普通だし。そもそも血縁上の父親って人だって、わたしのことは大事になんて思っていないでしょ」
「ミサキ……」
父親というその言葉に、カエデは何も言えなくなってしまった。
「あ、ごめん。父親の分までおかーさんがわたしを大事にしてくれているから、その辺は別にいいんだけど。うーん、やっぱり、なんていうのか、夢みてるのかなあ。初カレと仲良くして、恋愛して結婚して、二人は何時までもしあわせに暮らしましたっていう、童話みたいなお話を」
そんなことあるわけはない。
なのに、夢を見た。
初めて好きになった人と一生の恋をする。
父親と母は結婚してミサキという子までできて、それでも……離婚した。
「あのね、動画見て、応募して……、採用されたって連絡が来たとき。ホントのホントは……恋人が、ロボットなら、一生裏切られることなく、一生一緒にいられるのかなって、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、心の中で思っていたんだ」
自分の父親とは違って、裏切ることもない。裏切られることもない。
ずっと一緒にいられると、思った。
なのに一年。
たったの一年のお付き合い。
それで、お別れ。
「零一君は、かっこいいし、優しいし、気を遣ってくれるし……。お付き合いをしたら、きっとわたし、好きになる。そう思ったの。だから……」
一年間しかお付き合いできない人型ロボットを、本気で好きになったら、どうすればいいんだろう……。お別れが、決まっているというのに。




