第13話 別れの日
朝比奈が、ミサキと零一の顔を二人の顔をアップにして撮った写真。
そのデータを見て、ミサキは迷った。
「い、いいのかな……これ……」
企業機密という観点からすれば、ここまでアップの写真を残すのは不可なのではないか。
風景写真の中に紛れているのとは違う。
「文化祭に出せないのは当然として……、データ、残しておいていいの……?」
消さなくてはいけないのは分かっている。でも……。
ミサキは朝比奈に頼んだ。
「残したい……。ダメ、かな?」
「……データは消してください。でも、消す前にうっかり間違えて一枚だけプリントアウト……なんて、することもあるかもしれませんね……」
「朝比奈さん……」
見なかったことにする……ということ。
ありがとうございます……とは声に出しては言ってはいけない。
これはあくまで朝比奈が、気が付かなかったことにしてくれているのだから。
心の中でだけ、感謝をして。
そうして、こっそりと一枚だけ、プリントアウトをして。
データは消した。
そうして。
秋が終わり、冬が来た。
「あー……、雪だ……」
赤信号の交差点で足を止めて、ミサキは空を見た。薄灰色の曇り空。だけど、雲の隙間から、薄日が差している。雪はすぐに止むだろう。
「……ずっと、雪が、降り続けばいいのに」
冬のまま、春になんかならなければいい。
願っても、時を止めることはできない。
だんだんと別れの日が近づいてくる。
交差点の信号が赤から青に変わる。歩行者が横断歩道を渡っていく。
青だった信号が赤に変わる。車やバイクが走る。
それを、ぼんやりと見たまま。時折、雪の空も見上げて。
ミサキは動けなくなっていた。
車の走行音。歩行者たちの会話。自転車のブレーキの音。風の音。
雑多な音に交じって、湧き出てくる声。
過去の、記憶。
思い出。
「零一君っ! あのねっ! わたし、零一君のこと、全力で好きになるから!」
「一年間で、一生分! わたし、零一君が好きになる!」
「来年。再来年。三年後、四年後、五年後……。ずっと、この花火を一緒に見たいって、そう思っちゃったんだ」
「契約期間は一年間。ううん、もう夏だから、あと秋と冬。桜が咲きだしたらお別れなんだから、来年のこの花火は見ることができない。わかってるんだけど、わかっていたんだけど……」
次の夏には、しがみついて泣くことさえできない。
零一は動かなくなる。
思い出す。
マンガ喫茶に浦島と一緒に言った時、浦島は言った。
「だけどまあ。こんなアタシですが、本当に運命の恋とかに落ちたのなら」
「全力で、突っ走るっ!」
「だって、運命でしょ⁉ だったらそれが純愛だろうが悲恋だろうが何だろうが、全力掛けて捕まえに行くわよ!」
ミサキは、浦島のように自分の右の手で拳を握って、それを空に掲げるようにして、突き出した。
「走る!」
泣いている暇なんか、ない。もう冬。別れの春までは、あと少し。
「だから……、わたしが、できることを、やる!」
ミサキは走り出した。学校へ向かって。
進路指導室に行って、指導員に話を聞いた。
それから、ヒノマル・メカニカル・ワークス株式会社に向かう。
零一の部屋に行くのではなく、朝比奈に会いに。
進むべき先を、決めた。
***
ビルの一階のギャラリー。 二階にある商業施設を抜けて、エスカレータで四階まで上がっていく。四階にあるセキュリティゲート。
そのセキュリティゲートを抜け、エレベータに乗って、三十七階。
最期の日、ミサキは母親のカエデと一緒にヒノマル・メカニカル・ワークス株式会社に向かった。
「ミサキさん、それから、カエデさん」
ミサキたちを出迎えてくれた朝比奈と零一、それから、ヒノマル・メカニカル・ワークス株式会社の他の社員たちがフロアに並んでいた。
「契約終了日となりました。ミサキさんのおかげでこのゼロワンには膨大なデータの蓄積がされました。ありがとうございました」
朝比奈が、ミサキに頭を下げた。他の社員たちも声を合わせて一斉に「ありがとうございました」とミサキに礼を告げた。
ミサキは奥歯をかみしめた。
膨大なデータ。
……わたしと零一君の一年間。
……わたしの恋心。気持ち。
それは、ヒノマル・メカニカル・ワークス株式会社のロボット開発に携わる朝比奈たちにとっては研究のための膨大なデータでしかない。
データ。
……わたしたちの行動も、わたしの気持ちも。嬉しかったことも悲しかったことも。
全部全部。
単なるデータ。
分析や解釈して、役立つ形に変換して……、情報は整理され、やがて生産されるゼロツー、セロスリーに入力される。今後の開発事業に生かされる。
奥歯を、噛み締める。
だけど、今、ここでは、涙は流したくない。喉の奥が詰まっても、最後だから、最期だからこそ、零一にはミサキの笑顔を記憶していてほしい。
ミサキは、笑顔を、作った。
「零一君。今までありがとう。楽しかった。幸せな一年だった」
「うん、ありがとうミサキちゃん」
別れに、胸が痛むのもわたしだけ。
零一君はロボット。
……痛む胸はない。
その証拠に、今日も、昨日までと変わらない笑顔。
一瞬だけ、きょとんとした顔になって、それから、フッと笑う。
まるで春の陽だまりのような表情。
胸が、痛むのは、ミサキだけ。
それでも。
「零一君」
ミサキは、言った。
「いつかまた。一緒に夏の花火を見ようね!」
サヨウナラは言わずに、ミサキはヒノマル・メカニカル・ワークス株式会社のビルを出た。
カエデは、ミサキには何も言わなかった。
ただ、黙って、側にいた。
ビルを出て、交差点を渡り。しばらく無言で歩いた後、ミサキはカエデにぼそりと言った。
「……お願いがあるの」
「なに?」
「予備校に通いたい」
「へ? いきなりなによ」
「行きたい大学があるの。今から必死になって勉強しても一浪とか二浪とかするかもだけど」
「勉強はいいけど……」
「それで、理系の大学に行って、この会社に入る」
「ちょ、ミサキ?」
「……わたし、もう一度絶対に……、零一君に、会う」
花火を見る。
今度はビルの三十二階からではなく。打ち上げ花火の真下から。
体に響く振動を、音を、光を……二人で感じる。
だから、泣かない。
ただ、走る。




