衣服を溶かす魔法2
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老舗宿イテロ。六区を渡る運河に立ち並ぶ、宿場街の内の一軒。この都市がまだ他都市間交易に対して、否定的だった頃からある老舗中の老舗。
その証拠としてその一軒を除いて他の宿は随分と新しい宿が建ち並んでいる。他都市との交易が多い分、新規客が多く宿泊する為に宿場街もまた土地代は鰻登りで、特に運河の近くとあればその額は更に跳ね上がっているだろう。
扉を開けるとカランと音がする。内装の中心は木。火災が酷かったかつての時代から、木製の住宅はその数を減らしている。今は隣も、またその隣の宿も軽くて燃えにくい一般的な魔粉末レンガを使用している。
「あぁ、ヴァンダイン来たか」
キアンは渡りを見回すが、数名いる市警に見知った顔があまり見かけられなかった。唯一一人だけヴァンダインに手紙を出した市警の顔が確認できた。
「おはようございます、マルコさん」
「おはよう、キアン。調子はどうだ?」
「バッチリです!」
「それなら良かった。ヴァンダインはどうだ?」
マルコの言葉をヴァンダインは聞こうともせずに、宿の中へとズカズカと侵入していく。奥へ進んで階段を登る。
「相変わらずだな、ヴァンダインは」
「かっこいいですよね」
「…………キアン、君も相変わらずだな」
「はい!僕も相変わらずです。今朝は雑誌を読む前にコーヒーを飲んできました。もちろん、ブラックで」
「どこの豆だい?」
「リリマンジャロです」
「美味しかったかい?」
「はい、苦かったです!」
「それは良いじゃないか」と言いながら、マルコは少年の頭をポンポンと撫でようとする。けれどそれを軽くキアンは避けると、タッタと駆けて階段の方へ行く。
「ではマルコさん、僕は急ぎますので。また後で」
「あぁ、ヴァンダインにもよろしく伝えておいてくれ。また後でな」
目的地は201号室だった、キアンは記憶の中から数字を取り出す。階段を登り終えて2階に辿り着いた時、最後の段を彼は大きく上に飛び着地する。木製の床板が持つ柔らかさと生み出された音が足へと響く。
廊下を右左と確認する。右には206という数字、左には201という数字から羅列が始まっている。市警の人が集っているから、この201がその部屋で間違いないだろう。
市警の間をスルッと通り抜けて進んでいく。開け放たれた扉の前には2人の市警が並んでいた。その2人ともの顔をキアンは知らなかったが、相手の方はこちらの事を知っているのか、見向きもされずに中へと入室出来た。
「なるほど。室内の状況は把握した。市警君、詳細を説明してくれ」
室内ではヴァンダインと市警の1人が会話をしている。
「いや、これ以上は見せる事も聞かせる事も出来ない」
「どう言う事だ?」
「マルコ区警長補佐からは、ここへ友人であるヴァンダインという人物が来ることの連絡を受けている」
「では、問題はない。私がヴァンダインだ。誤りがあるとすれば、そのマルコという男とは友人では無いという部分だけだ」
「そうだったか、であれば尚更、君へ伝えられる情報はないな」
頑なに横にいる市警は詳細を話そうとはしない。どころか、少しばかりヴァンダインを蔑ろにしたような視線を送っているようにキアンには見えた。
「マルコ区警長補佐には、友人である魔痕探知師の方に室内を見てもらい、知見を仰げと言われている。そもそも、公的な探知師でもない者を室内に入れるだけでも十分に譲歩した方だ。しかも、友人ですらないときている」
その様な人物なら知見だけ述べて我々に任せたら良い、と言葉が続くようにキアンは幻聴した。強気に出る市警に対して、ヴァンダインはあっけらかんと顔が明るくなる。
「そうか。ならば私からも伝えられる事は特にない。家に帰って、部屋に戻って、仕事の続きでもする事にしよう。ではさらばだ」この対応に、市警は驚きを隠せず、背を向けたヴァンダインに手を伸ばす。
「おい、待て、探知師。『六区協令』に則って、事件、またはその他治安維持の必要な場合において何人たりとも市警への情報提供を拒む事はできない」
「なら、大丈夫だ。私の在住区は七区、六区協令の適用範囲外の人物だ」
「市警の捜査に協力しないつもりか?」
市警の男は大きな体でヴァンダインに詰め寄る。心の奥の彼を高みから見下そうとする態度が滲み出る。さらりとした顔つきのヴァンダインに対して、更に市警の人相は強く歪んでいく。




