第五章紙神望む真実
扉の奥に進むと、小さな少女が待っていた。和紙のような白い着物をまとったその姿は、いちごを幼くしたような容姿だった。
「久しぶり、刹那くん」
「いちご…じゃないな?」
思わず口にした刹那の言葉に、少女はふふっと笑った。
「うん、違う。私はいちごじゃなくて、双子の姉のいちか。そして今は——紙神様」
刹那の頭が疼く。記憶の霧が晴れていく。
(そうだった……)
十年前。いちごには双子の姉がいた。いちかといちごは刹那と3人仲良く遊んでいたのだ。あの日はいちごが夏風邪をひいていて、いちかと2人で探検と称して踏み入れてはいけないと言われていた洞窟内に2人で入ったのだ。
そして…
「思い出した?」
いちかが微笑む。
「私たちが見つけた時、紙頭様は今にも消えてなくなりそうだった。それを私たちが認めたくなかった。だってこの町を守ってくれてた神様なんだよ?だから私が弱っていた紙神様に身を捧げて、神になるって 決めたんだよね。覚えてる?」
あぁ、完全に思い出した…
あの時そんなのダメだ!って言って止めようとした、だがいちかは…
「わたしがいなくなったらいちごが可哀想だから残って支えてあげてって言ったんだよね〜懐かしいな…そして刹那くんは毎年『和紙』を供えてくれるって約束だった」
「……和紙?」
「そう! 楮の木のを原料にし『和紙』よ! それを供えれば、私の力が安定するの。でも——」
いちかの表情がぷくっと膨れる。
「刹那くん、忘れて他の街に行っちゃったんだもん! ひどいよ!」
「……すまない」
刹那は頭を掻いた。確かに、祖父から「和紙の束」を託されていたが、その重要性を理解していなかった。
「でも、今年まで大丈夫だったのは、おじいさんがこっそり供えてくれてたから。でも今年は……」
「じいちゃんが……?」
刹那は愕然とした。祖父は全てを知っていて、自分が約束を忘れていることも承知の上で、この神社に送り込んだのか。
(くそ……言葉足らずなじいちゃんめ……いや、むしろ自分で思い出せということだったのか……)
「とにかく!」
いちかが手を叩く。
「早く『和紙』を持ってきて! もう少しなら暴走を抑えられるから!」
「わかった。すぐに持ってくる」
刹那は急ぎ足で洞窟を後にした。薄暗い通路を戻る途中、岩肌に縛られたいちごの姿が目に入った。先ほどまでより、顔色が少し良くなっているように見える。
「いちご……? 大丈夫か?」
微かにいちごのまぶたが震えた。返事はないが、確かに生きている証だった。
「すぐ戻るからな」
社務所に駆け戻ると、祖父から預かっていたという「和紙の束」がどこにしまったのか必死に探した。引き出しを開け、戸棚を調べ——
「……あった」
奥の神棚の下から、上質な和紙の束が出てきた。
「これだ……!」
刹那は和紙を箱にしまい、再び洞窟へと走った。心臓が高鳴る。これで一連のことにかたがつく…
洞窟の奥に戻ると、いちかはまだ同じ場所で待っていた。
「遅いよ~」と口を尖らせながらも、その目は喜びに輝いていた。
「これだろ? 持ってきたぜ」
「うん! それそれ!」
いちかは嬉しそうに手を伸ばした。刹那が差し出した和紙の束に触れると、その瞬間——
ぱあっと洞窟全体が柔らかな光に包まれた。和紙から微かな風が吹き起こり、いちかの体を優しく包み込む。
「ふ〜……これで大丈夫。力が安定するわ」
いちかの姿が少しずつ、しっかりとした実体を取り戻していく。同時に、洞窟の壁に貼られた無数の和紙が静かに舞い落ち、その文字が消えていく。
「町の人たちの記憶は……?」
「大丈夫。ちゃんと戻るから」
いちかが優しく微笑んだ。
「私が約束を破らなかったように、刹那くんも約束を守ってくれたもの…かなり遅れたけど…」
それを言われると何も言えない。
刹那はふと、岩肌に縛られたいちごのことを思い出した。
「いちごは……?」
「あの子も大丈夫よ。もうすぐ目を覚ますはず」
いちかは刹那の手を握った。その手は温かく、もはや神の依代というより、普通の少女のそれだった。
「これで全てが元通り……か」
「それはどうかなぁ」
「……え?」
「だって……約束はもう果たしたし、これからは普通の女の子として、刹那くんといちごと一緒にいたいから」
刹那は目を丸くした。そこへ——
「……いちか……?」
かすかな声が響いた。岩肌から解かれたいちごが、よろめきながら立ち上がっていた。
「いちご!」
刹那が駆け寄ると、いちごは不思議そうに自分の手を見つめた。
「私の体……元に戻ってる……?」
「ああ、全部元通りだ」
いちごの目に涙が浮かんだ。その視線は刹那の背後——いちかの方へと向けられた。
「お姉ちゃん……?」
「うん。久しぶり、いちご」
双子の姉妹が再会を果たしたその光景を刹那は目を潤ませながら見つめる。
「さあ、帰ろう」
刹那が二人に手を差し伸べた。
「外には、待ってる人たちがいるぜ」
三人は明るい光の中へと歩み出した。神社の境内では、記憶を取り戻した町の人々が集まっていた。佐藤とその娘、和紙職人たち——皆の顔には笑顔が戻っていた。
「……よかったな」
「うん」いちごといちかが同時に頷いた。
こうして、楮の里に平穏が戻った。紙神様の伝説は残ったが、もう人々の記憶を奪うことはない。ただの、美しい伝承として——