第四章洞窟の先へ…
翌朝、社殿の周囲を丹念に調べるいちごの姿があった。彼女は地面に落ちた和紙の一片にも目を凝らし、少女の行方を追おうとしていた。しかし、その動きは明らかに鈍い。腕の紋様は肩を越え、鎖骨のあたりまで広がっていた。
「いちご、もうやめろ」
刹那が背後から腕を掴んだ。触れた肌は冷たく、和紙のような感触だった。
「でも...あの子を見つけなきゃ...」
「お前の状態がまずいんだよ!」
刹那の声には、いつになく焦りが混じっていた。いちごはふと微笑む。
「心配してくれてるの?ありがとう。でも大丈夫...」
「大丈夫じゃねえ!もうすぐ首まで紋様が回るぞ!」
いちごは自分の腕を見て、はっとしたように目を見開いた。確かに、侵食は思ったより速く進行していた。
「...わかった。少し休む」
いちごが腰を下ろすと、刹那は彼女の前にしゃがみ込み、真っ直ぐに目を見つめた。
「聞け。俺、あの子が向かった場所はわかる気がする」
「え?...どこ?」
「洞窟だ。祠のある洞窟」
いちごの表情が一瞬凍りついた。
「...どうしてそんな場所を知ってるの?」
「さっき思い出した。あの紙に触れた時、洞窟の映像が見えた」
刹那は額に手を当てながら続けた。
「この辺りに、入り口はないか?思い当たる場所は?」
いちごは唇を噛んだ。長い沈黙の後、ようやく口を開いた。
「...あるわ。………でも、行っちゃダメ」
「なんでだ?」
「あそこは...特別な場所なの。紙神様が眠る聖域...それに……」
「それに?なんだよ」
いちごの目が潤む。
「中で見るもので刹那くんが...私を嫌わないって約束できる?」
刹那は目を細めたいちごの表情をじっと見つめた。彼女の瞳には、何か深い恐れが潜んでいた。
「...お前が何を見せようと、嫌いになるわけねえだろ」
「約束?」
「ああ」
いちごは深く息を吸い、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ...案内する。社殿の奥の床下にあるわ」
二人は静かに社殿の奥に移動すると、いちごの導きで立ち入り禁止の区域に案内されると、一部分が外れるようになっており、そこから洞窟への階段が現れた。まさかこんなところに洞窟があるとは…道中、刹那は何度もいちごの腕を気にするように見た。紋様は確実に広がり続けていた。
「...もうすぐよ」
いちごが指差した先には、古びた注連縄が張られ、不気味なほど静かだった。
「ここか...」
刹那が一歩踏み出そうとするといちごが袖を引いた。
「最後に聞くけど...本当に行くの?」
「あぁ、行く」
刹那の意思を確認した上で進み始める。
洞窟の中は思ったより広かった。天井から滴り落ちる水の音だけが不気味に響く。
洞窟の奥へ進むにつれ、空気が重くなっていく。刹那の胸に、何かが刺さるような違和感が広がった。ふと視界の隅に、不自然な白い塊が見える。
「……なんだ、あれは」
懐中電灯の光を向けると、刹那の足が凍りついた。
岩肌に無数の和紙で縛り付けられた"いちご"がいた。目を閉じたまま、まるで人形のように無気力に垂れ下がっている。
刹那はゆっくりと、今隣にいるいちごの方を見た。
「……お前は?」
「だから……見られたくなかったのになぁ」
いちごは寂しげに微笑んだ。その笑顔は、刹那の知っているいちごそのものだった。
「街の人の記憶を戻すには、紙神様の力を借りるしかなかった。でも、普通の人間には扱えない。だから……」
縛られた"いちご"の方を指さす。
「本体をあそこに繋いで、私という式神を作り出したの。もちろん神様の力を借りてね…瓜二つでしょ? そりゃ咳き込んだら紙が出るよ〜私の体も元は和紙でできてるから」
刹那の喉が渇いた。触れた腕の感触、和紙のような肌の感覚──すべてが腑に落ちた。
「じゃあ……お前が紙に戻っていくのは?」
「式神の力が弱まってきてるだけ。もうすぐ、消えちゃうかも」
いちごは刹那の袖を軽く引っ張った。
「でも、まだ大丈夫。祠までは一緒に行けるから」
刹那は縛られた本物のいちごを見つめ、拳を握りしめた。
「……連れて行く。お前を、ここから」
「ダメ!」
いちご──式神のいちごが強く制止する。
「本体を解放したら、今までやってきたことが無駄になりかねない! それに……」
彼女の存在が希薄になった。
「私も、すぐに消えちゃう。同時に存在できないから…」
刹那は言葉を失った。式神とはいえ、この数日間共に過ごしたいちごが消えていなくなるというのか。
「……行こう」
いちごが刹那の手を握った。その手は、もうほとんど実体がないように感じられた。
「私が消える前に、問題の元を正して」
二人はさらに洞窟の奥へと進んだ。道は右に緩やかにカーブし、わずかに上り坂になっている。まるで、何か大きなものの体内を進んでいるようだった。
そして──
「……あ」
小さな祠の前に、半透明の少女が立っていた。彼女は振り向くと、刹那を見て微笑んだ。
『遅かったね』
少女の姿がふわりと浮かび上がり、祠の扉に吸い込まれていく。その瞬間、洞窟全体が微かに震えた。
「……あの子は?」
「記憶の断片。多分、刹那くんの」
いちごが祠を指差した。古びた扉には、複雑な紋様が刻まれている。よく見ると、それは無数の和紙を折り重ねたような模様だった。
「開けるしかないよな?」
刹那が問うと、いちごは小さく頷いた。
「私も……初めて来たけど。多分、この先に問題の元があるはずだよ」
刹那は息を詰め、祠の扉に手をかけた。触れた瞬間──
『約束だよ、刹那くん』
幼い日のいちごの声だろうか⁈なんだろう…何か違和感があるような…
『私が神様になるから。だから、刹那くんは……』
記憶の霧が晴れていく。あの日、この洞窟で交わした本当の約束。そして、自分が──
「……っ!」
扉がぎいっと音を立てて開いた。中からは、眩い光が漏れていた。
いちごの体が、急速に透明になっていく。
「あ……っ」
「いちご!」
「ごめん、式神の私はここまでみたい…」
力なく笑う式神のいちご…刹那が手を伸ばすと腕の部分はすでにハラハラと紙になっていた
「式神の私だけど………刹那くんの腕の中で……」
言い終わる前に刹那はぎゅっと胸に式神のいちごを抱きしめる。
「あはは…嬉しいな〜本体の私に伝えないと…」
刹那は堪えながらより強く抱きしめる
「痛いよ…ってもう感覚ないや………あとよろしくね?…私は元の場所に…もど……る………から………」
その瞬間、式神のいちごを構成していた和紙が舞う…
舞っている和紙の一枚を握りしめ、溢れそうになる涙を堪える刹那。
だが、立ち止まってはいられない。
まだ問題は解決していない…気を入れ直して先へ向かうのだった