無道刹那の帰還
出身地の神社に宮司として戻ってきた青年が再開した幼馴染と共に町で起きている現象に対処していくお話。
主要人物
無道刹那
・外見:鋭い目元と無精ひげが特徴の青年。神職の正装を乱雑に着こなす
・性格:外見に似合わず優しい。幼少期のトラウマから「人の願い」には過剰に反応する
・幼馴染の変化に少なからず驚いており、好ましく思っている
千石いちご
・刹那の幼馴染で、基本的に巫女装束を着ている。
・幼少期、刹那と交わした「ずっと一緒にいる」という約束を今でも覚えている。
・和紙に執着しており、和紙に込められた思いを読み取ることができる。
梅雨の晴れ間、湿った風が楮の里を揺らしていた。
無道刹那は剃り残しのある顎を触りながら石造りの鳥居の前で足を止めた。
「……これが、俺の新しい住処になる場所か」
彼の眼前に広がるのは、町を見下ろすように建つはずの神社が、逆に家々の下に沈み込むように立つ異様な光景。石段は苔むし、拝殿の屋根は古くからあることを感じさせる。まるで、古の神が地に降りたときに降りる場所を間違えたみたいな立地だ。
降りるならその神社から見える山であるべきだろう?と刹那は感じながら鳥居をくぐって足を踏み入れていく…
「神様を見下ろすような造り、か」
刹那は鼻で笑った。神職の資格をとったは良いが、祖父の神社を継ぐのだろうと漠然と日々を過ごしていた刹那に対して祖父から
「お前、来月から自分の出身地の神社に行ってそこでちゃんと宮司として働け」
と言われてやってきた刹那。この場所が、20歳を過ぎた青年にとって懐かしい場所であるのは間違いないが、良い思い出ばかりというわけでもない。だが、話を聞かされた翌日には諸々の手配が済まされており、行かざるをえない状況になっていたということは既に決定事項だったのだろう。
「何があっても逃げるんじゃないぞ!」
という言葉と共に渡された和紙の束が入った鞄を持ち直し、社務所に向かう。
社務所の扉を開けた時、彼は息を呑んだ。
白い巫女装束の女性が、薄暗い室内で和紙に向かって筆を走らせていた。窓から差し込む光がその横顔を浮かび上がらせ、まるで彼女自身が半透明の和紙でできているかのようだ。
「――よう」
声をかけた瞬間、女性が振り向く。
「……刹那、くん?」
懐かしい声。記憶の底から這い上がってくる幼馴染の面影。千石いちごは、筆先から滴る墨を気にも留めず、ただ瞠っていた。
「十年ぶりだね」
刹那が挨拶を済ませようとしたその時、ふと気付く。いちごが書いていた和紙の文字が、ゆっくりと血のような赤に変わり始めていることに。
『逃げるな』
出かけるときに祖父から言われた言葉と同じ文字が、紙面に滲み出していた。 見間違いだったのだろうか…もう一度見たときにはごく普通の文字が書かれているだけだった。
いちごは刹那の驚きに気付かぬふりで、そっとその和紙を畳んだ。
「おかえりなさい、刹那くん。あなたの帰りを、ずっと待っていました」
彼女の微笑みの裏で、社殿の奥からかすかに子供の笑声が響く。
雨が降り始めた。和紙の里で、刹那を待つのは幼馴染だけではない…