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71針目.幸福の湖

 来た時よりもずっと多くなった荷物が、次々と馬車に運び込まれていく。


 まだ少し咳が収まらないダイアナがトランクを二階から降ろしていると、ヘーゼルが駆け寄ってきた。


「ダイアナ様・・・!いけません、私がやりますからお休みください」

「いえ、もう本当に大丈夫です。体を動かさないと良くならないですし」

「では運び終わったら座ってください、生姜湯は私が作りますから・・・」


 平気平気、と、トランクを運ぶダイアナの横を並んで歩くヘーゼル。


 季節外れの”水遊び”のせいでダイアナは高熱を出し、この数日、寝込み続けたのだ。


(ソンヒさんに羅漢果や生姜を貰っておいて正解だったわ・・・)


 帰郷の準備を全て人任せにしてしまったので、荷運び位は自分でやらないと示しがつかない。


 皆には、心配を掛けてしまったのだ。


「お店の片付けはもう大丈夫ですか?」

「ええ、来た時と同じ状態にして鍵もあります」

「鍵の返却はどうするのでしょうか?」

「シオンが、グランデールに移ったときに直接返す、と手紙を書きました。ご挨拶も兼ねて伺うのが礼儀ですからね」


 そう言って、少し悲しそうな表情を見せるヘーゼル。


 あの後、ずぶ濡れで帰ってきたシオンからことのあらましを全て聞き、ただでさえウインチェスター商会から店を出すことに驚かされた挙句、結婚の約束をしたと聞かされた時は度肝を抜かれ、もう好きにしてくれと投げたはいいものの、やはり弟がいなくなることは姉として一抹の寂しさを感じるのだ。


「まったく・・・本当に、何しでかすか分からない子・・・」

「でもそういう所が権力者に気に入られるんですよ・・・。王都でやっていくなら必要なスキルですよ」

「少しは物怖じしてほしいですわ・・・」


 姉の心配など届かないシオンはその時、バーナライト達の元へ出立の挨拶に出向いていた。


「お父さんに報告したらすぐ来るんだよ、王都で待ってるからねー」


 今日もアルフレッドは陽気に振る舞い、メイ・リサに横目で睨まれる。


「怖気付くんじゃないわよ、こっちは大金かけてるんだからね」

「そっちこそ俺の才能活かしきれないようなヘマすんなよ」


 いつも通り、挨拶代わりの嫌味を交わし合っていると、バーナライトが口を開く。


「九月中に来れそうか?」

「はい」


 シオンの即答に、バーナライトは満足そうに笑みを浮かべる。


「この秋はラネル王女の輿入れがある。もう王都では式典参加用の衣装の注文が始まっているそうだ・・・乗り遅れると損だぞ」


 アルフレッドも笑顔で


「チャンスだよ、やっぱり君は引く力が強そうだね」


 楽しみだ、とシオンをホテルのエントランスまで見送る。


 別れ際に、シオンは店の名前を書いた紙をアルフレッドに手渡した。


「おっけー!いい看板発注しておくねー!」


 ホテルから別荘まで、すっかり見慣れたスワンコートの街を眺めながら歩くと、向こうの方に焼け落ちた迎賓館の姿が目に入り、足が止まる。


(・・・今どの辺航海してんだろ・・・)


 ヤンロウまで三ヶ月かかる船旅。


 途中途中の寄港地で休憩しながら、来る日も来る日も水平線を眺める日々は、彼らに新しい希望を抱かせてくれるだろうか。


 辿り着いた新天地で、新しい人生を歩む同郷の仲間の幸福を祈って、シオンは歩き出した。


 * * * * *


 別荘の前には手荷物が積まれた馬車が二台停まっており、ジャン一家も、ここを離れる客人のダイアナ達も全員外に出ていた。



 今まさに、ひと夏を共に過ごした者達の別れを惜しむ瞬間が目の前にー



 と思ったら、どうも様子がおかしい。


「なんてことです?!十五の娘にまで手を出したんですか?!」

「違う!!本当に何もしてない!!!神に誓っていい!!!!!」

「あなたが下半身を抑えられるハズがないでしょう?!シルヴィア!ありったけの包丁を持ってきなさい!エリン、やりたいと言ってたナイフ投げをさせてあげるわ!!!」


 何とも不穏な空気に驚き駆け寄ると、夫の胸ぐらを掴むミレーネの足元に、見ず知らずの、親子らしき男と少女の姿が見え、


「奥様違います!アンドルー様は私を助けてくださったのです!!」


 いかにも農民の娘らしき恰好の少女がひれ伏している。


 ダイアナに事情を聞くと、つい今しがた、皆でシオンの帰りを待ちながら別れを惜しんでいたところに駆け寄ってきた少女が、アンドルーを見るやパーティーで一緒だったソフィーだと名乗ったというのだ。


 そう。


 先日のマスカレードで、友人達とこっそり潜り込んだはいいものの、火事には遭うわ、男には襲われそうになるわで散々な目に遭った、あのソフィーである。


「不肖の娘を助けるために火の中を戻ってくださったのがブラン公爵御当主様だと聞き・・・!御礼を申し上げるのが遅くなり申し訳御座いませんでした!!!」



 ???



 誰が当主だって?と、困惑する一同。


「違う!あれはあの場で吐いた嘘!俺は当主にはならないから!!!」

「なんて最低な・・・!公爵家の立場を悪用して若い娘をかどわかそうとしたのね!!!」


 シルヴィアが持ってきた包丁やらナイフやらを見て逃げる夫を追い掛け回すミレーネは放置し、エリンが事情を詳しく聞くと、なんとこのソフィー、スワンコートの台所と呼ばれるコヴァント町の町長の娘であった。


 自分の顔を知るグランデール市議会議員の男に襲われそうになった際、助けてくれたアンドルーのブラン公爵当主だと言う発言を真に受け、父と共に必死になって滞在先を探し当てたという。


「アンドルー様が助けてくださらなければ、命も貞操も失うところでした・・・!」


 へえーたまにはいいコトもするんだなー、と、エリンとシオンが感心していると


「あれからアンドルー様が忘れらず・・・!」


 ヤバい流れを感じる。


「奥方がいらっしゃることは百も承知です!こんな私のような田舎娘では見目麗しいアンドルー様には不釣り合いであることも理解しております!妾にしてくれなんて図々しいことも言いません!ただ、下女でいいのでどうぞお側に置いてください!!!」



 ぎょえええええ!!!!!と吹っ飛ぶ一同。



 王都に店が出るだとか、シオンとダイアナが婚約しただとか、そんなことさえも一撃で吹き飛ばすインパクトが別荘に炸裂した。


「ちょっ・・・!やめなやめな!!!アンドルー様は真正のクズですよ?!ブラン公爵家にお仕えして十年のこの私が!一度だってデキた人間だと思った瞬間がないヤリチンボンボンですよ?!」


 エリンの力説に恨みがましい目線を送るアンドルー。


 しかし意外にもミレーネがソフィーに興味を示す。


「下女でいいと言っても下女だって大変なのよ?掃除、洗濯、床磨き、家畜の世話に菜園の手入れ、寝室は大部屋だし手荒れもひどいのよ?」

「もちろん存じ上げております!ですが私は農家の長女、家の事も庭仕事も全て自分でこなしております!」

「でも大理石の床の手入れなんてしたことないでしょう?あれはコツがいるのよ」

「でしたら一人前になるまで毎日磨かせていただきます!!!」

「採用!!!」



 どこに?!と突っ込みたくなる一同。



「ミレーネ!ウチに置くのか?!それはマズくないかい?!」

「まさか!公爵邸で働いてもらえばいいわ、行儀見習いも兼ねて」

「ミレーネ様?!ウチの屋敷ですか?!」

「あら、ダイアナ様とシオンが結婚すればエリンも一緒に王都に移りますでしょ?どうせ人が減るんだから今から教育すればいいじゃないですか」


 まあ、確かに・・・という気がしてくるが、ミレーネの魂胆は、アンドルーがそそのかした少女を当主の目の着くところに置くことで夫を牽制してやりたいという、そんな理由でしかない。


「ご安心を、町長。私が責任をもってソフィーの奉公を支えますわ」

「おお・・・なんと御心の広い奥様でいらっしゃるか・・・!!!」


 本当に心の広い人間はこんなことしませんよ・・・と誰もが思うが、口を閉ざす。


 ソフィーには追って手紙を書くと言い、今度こそ本当にジャン一家に別れを告げ、二台の馬車はブランフィールド・セリファスの街へ向けて出発した。

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