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70針目.俺と、結婚してください・・・

 温厚で愛情深いダイアナの、今まで見せたことのない、恐ろしいほどの激昂。


 アンドルーとエリンは青ざめ、ヘーゼルはその場でうずくまり、ミレーネは頭を抱える。


 しかしシオンは


「・・・フザけんな!話くらい聞けよ!!」


 そう叫び、ダイアナの後を追って別荘を飛び出した。


 朝靄でかすむ明け方の別荘地を、ずんずん早歩きで湖の方に行くダイアナの背中に向かってシオンが叫ぶ。


「おい待てよ!なんで怒ってんだよ!!」

「怒ってないわよ!!!」


 ダイアナは振り向きもせず叫び返す。


 その様子に、シオンも段々と腹が立ってきた。


「怒ってんじゃねーか!話聞け!!」

「別にあなたから聞く話なんてない!店が出せるならおめでとうとしかこちらも言うことなんてないわ!!!」


 ついにシオンがダイアナに追いつき肩を掴む。


「じゃあなんで怒ってんだよ!!!」

「知らないわよ!!!」


 肩を掴む手を払いのけ、ダイアナはさらに湖畔の道を歩き続け、その後をシオンは追い続ける。


「ウィンチェスター商会が金出すのが気に入らないのかよ!」


 その問いに、ついにダイアナは足を止めシオンに向き直り想いの丈をぶつけた。


「そうかもね!あなたを苦しめたことに手を貸していた人達に簡単になびけるだなんて、アデライン様達が知ったらどう思う?!あなたの店が襲撃されても同情できないわ!!!」


 ダイアナの主張に、シオンもシオンで言い返す。


「じゃあなんだよ、お前らの汚れた金に用はねえって断ればいいのかよ!!そしたら俺は二度と王都で店出したいなんて言えなくなるんだぞ!!!」

「セリファスでいいじゃない!!!」


 甲高い叫びが上がる。


「今までどおり、スタンさんの店で!私のそばで!!」

「それじゃダメだからアイツらに従ってんだろうが!!!」



 それじゃダメ。



 まるで、お前では役に立たないと、言われているような気がした。



 また込み上がり始めた涙が溢れないよう、怒りに転換してダイアナが罵る。


「私とずっと一緒にって言ってたじゃないこの大ウソつき!結局あなたは自分の夢が叶うならお金をくれる人がいいんでしょ!!私のことはもうほっといて!!あなたの夢に人生賭けた自分が馬鹿だったわ!!!」


 その一言に、シオンの理性の糸が切れた。


 再び背を向けて歩き去ろうとするダイアナの手首を乱暴に掴み、無理やり振り向かせ、怒号とも取れる大声を上げる。


「フザけんな!誰のためにあんなクソみてえな連中に頭下げてると思ってんだ!!!」



 傲慢不遜なメイ・リサ。



 人の心など持たないバーナライト。



 その他、揃いも揃って全員クズなウインチェスター商会に、服従する日が来るとは思わなかった。



 それでも、自分の意地よりも、欲しいものが今目の前にある。



 勢いに任せて手首を引っ張り引き寄せたダイアナに向かって、シオンは特大の果たし状を叩き付けた。



「あんたとの結婚を公爵に申し込むためだろうが!!!」



 その剣幕と、掴まれた手首が感じる痛みと、今耳にした言葉に、ダイアナの頭の中は見事に真っ白になり、この際一発殴ってやろうかと入れていた気合が、想定外の刺激を受け落としどころを失う。


「・・・・・えええええ?!そうなの?!」


 素っ頓狂な悲鳴と呆けた顔で驚くダイアナに、シオンの怒りの風船も萎み始めた。


「そうだよ・・・・俺とあんたが経済的にそれぞれ独立してればいいって、この前言われたんだよ」

「えええええ?!ううう、うそ、ウソ、嘘!!!」


 自分の与り知らぬところで父とシオンがそんな話をしていたとは夢にも思わなかったダイアナは、仕掛けが壊れた機械人形の様にぐるぐると回り始め、シオンはその場にしゃがみ込んでため息を吐く。


「・・・ったく、誰のためにやってきたと思ってんだよ、この夏中・・・」


 その様子に、ダイアナは未だ心に残る疑問を口にする。


「だって、あなたは・・・アデライン様のこと・・・」


 突如アデラインの名が出て、目を丸くするシオン。


「・・・なんでアデライン?」

「言ってたじゃない・・・今度は結婚しようって・・・」


 アデラインから、シオンと自分は幼馴染みだと聞かされていたが、あの一言で、つまりそういう幼馴染みだとダイアナは悟っていた。


「それって、つまり・・・好きってことでしょ・・・?」

「まあそりゃ、アデラインは好きだけど・・・」

「好きなんでしょ?」


 しゃがみ込んで不安そうに自分を覗き込むダイアナ。


 最後に昔と変わらない笑顔を見せてくれたアデライン。


 二人に対する気持ちはどう違うのか、シオンは黙り、自分の胸の中の言葉を探し、この想いを正確に描写する。


「あいつには・・・幸せになってほしい・・・」


 零れた言葉を、ダイアナが見つめる。


「誰かがあいつを、幸せにしてくれたらって、心底思う・・・」


 あのまま平和であれば、きっと今頃はアデラインのために奮闘していただろうか。


 しかし現実には革命は起きてしまい、全て失ったシオンはこの十年、アデラインの死を悲しみ、弔い、喪失感から逃れるために生きてきたが、誰といても亡き人の影が消えることはなかった。



 ーきっと今後一生涯、誰のことも愛さずに死ぬだろうー



 そう思っていたのに、ダイアナと過ごす日々が、自分の心の中にまだ誰かを愛しく思える気持ちが残っていたことを教えてくれた。


「けど、奥様のことは、俺が幸せにしたい・・・」


 今はもう別の女性を見つめている自分が、あの時の自分のためにできることは、戻らない初恋を永遠に忘れずに、前を向くことだ。


「そ、そう・・・なの・・・」


 シオンの口から漏れた言葉に、ダイアナが顔を真っ赤にする。


 黙り込んで恥ずかしそうにする様子に、諸々の誤解が解けて安堵したシオンが、あー疲れた、と言わんばかりの顔をして、


「てかよくそんなカッコで外出れるよな・・・ほら早く戻るぞ」


 立ち上がり、ダイアナに向かって手を差し出す。


 その腕を、ダイアナはガチっと両手で掴んだ。


「?」


 怪訝な顔のシオンを無視し、ダイアナは立ち上がって腕を引っ張りながら再びずんずん歩き出す。


「奥様、どうした・・・」


 向かう先は、湖面の水が揺らめく波打ち際。


「おい、ちょ・・・!」


 時すでに遅し。


 ダイアナはありったけの力を使ってシオンの腕を吹っ飛ばし、バランスを崩した体を湖目掛けて突き飛ばした。


 バシャーン!と盛大に水しぶきを上げ、波打ち際で尻もちをつくシオン。


「何すんだよ!!!」


 その姿に、ダイアナが笑い出す。


「・・・っふふふ・・・はははっ!」


 ポカンとするシオンを、声を上げて笑うダイアナ。


「なあに、その・・・!びっくりしたって顔・・・!」


 いつもと変わらない、無邪気な笑顔。


 怒らせた仕返しをされたと分かっても、その笑顔に、シオンの口の端が緩む。


「ったく、ひでえな・・・腰抜けただろ・・・」

「もう、だらしないわね!」

「手、貸してくれよ・・・」


 足元が濡れないようにガウンの裾を抑えながら、腰を屈め手を差し出すダイアナ。


 その手を取り、立ち上がると見せかけて、シオンは反対の手でダイアナの手首を掴み思いっきり引っ張る。


「えっ!うそっ!ちょ・・・!」


 バランスを崩したダイアナの腰に手を回し、抱き締めるように押し倒す。


 ジャバーン!と激しい音と共にダイアナは、全身を湖に沈められた。


「ちょっと何するの!!!」


 頭からずぶ濡れのダイアナはシオンに向かって叫ぶ。


「これで頭冷やせるだろ」

「ひどい!信じらんない!」


 まさかやり返されると思っておらず、濡れた体とガウンにあたふたとしていると、水が伝う手が伸び頬に触れた。



 顔を上げると、目前にシオンの顔がある。



 もう片方の手も自分の頬を優しく包む。



 ダイアナも同様に、濡れた両手でシオンの両頬に触れた。



(聞いちゃダメかしら・・・)



 結婚を申し込む。



 幸せにしたい。



 もうそれだけで満足すべきだとは分かっていても、それでもどうしても、好きな男の口から直接言って欲しい言葉がある。



「・・・わたしのこと・・・好き?」



 潤んだ瞳で問いかけるダイアナに、シオンは答える。



「・・・好きだよ」



 その返答に、ダイアナの瞳がさらに潤み、頬がみるみる紅潮し、シオンはたまらずに唇を重ねた。



 シオンの首に腕を回すダイアナ。



 ダイアナを強く抱きしめるシオン。



 濡れた唇を無我夢中で舐め合い、冷えた手で全身をなぞり合う。



 辺り一帯の朝靄が少しずつ薄くなり、誰にも見つからないよう再び湖に潜った二人は水中で目を閉じながら、呼吸を繋ぐように唇を合わせ続ける。



 体に纏う全てがふわふわと浮き、漂う、冷たい水の中で、抱き合いながらキスするシオンとダイアナ。



 やがて息が限界になり水上に頭を出すと、顔を見合わせて笑った。



「何やってるのかしら、私達」

「最後に水遊びできて良かっただろ」



 その一言にダイアナが笑い、そんなダイアナをシオンは抱き締め、気付けば肩まで水位が届く所を漂っていたので、草むらに上がろうとするも水を吸って重くなった衣服と重力に足がもつれ、共に草むらに倒れ込む。



 柔らかく乾いた草地の上で、二人は重なり合い、キスし続けた。



 見つめ合い、これまでずっと遠回しな言葉に変換しながら言い続けた想いを、今はただひたすら唇を重ね、土と草で全身を汚しながら舌を絡めることで伝え合う。



 口付けをして、見つめ合い、また口付けをして、幾度となくお互いの気持ちを再確認し、その果てに、シオンはダイアナの泥まみれの左手を取り、



「ダイアナ・フォン・ブラン・エディングハード様・・・」



 薬指にキスして、人生最後の愛を告げた。



「俺と、結婚してください・・・」



 陽光が差し込む。



 靄が晴れていく。



 昇る太陽の光が全てを照らし出す。



 森の木々、湖畔の草むら、揺れる水面。



 ダイアナの濡れる白い肌も光を反射して輝き、シオンの目には、本当に月の女神に見えた。



「ええ、喜んで・・・」



 穏やかな微笑みの中にあふれんばかりの喜びを湛えながら、女神は再度、愛を乞う青年に口付けをした。



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