65針目.星空
馬車はスワンコートの森を抜け、平野を走り続けた。
王都へ続く道の途中に工場群へ向かう分岐点があり、そこで馬車は道を折れ、貿易港へ続く真っ暗闇の輸送路を、馬を頼りに走り続ける。
夏とは言え夜の冷え込みは厳しく、吐く息は白く、毛織の上着を着て毛布を被っても御者席にいれば体は冷え続け、この逃亡が永遠に続くかのような惨めさに襲われる。
山の稜線から上は一面、降るような満点の星空だ。
(あの時もこんな夜だったな・・・)
寝泊りさせられていた牢を逃げ出し、追って来る男達を切りつけ、そのうちの一人を石橋から川に突き落とした夜。
そのまま走って走って走り続け、荷馬車の荷台に潜り込んで脱走したあの夜も、澄み切った夜空には満点の星が輝いていた。
どうして苦しい時でも、夜空は変わらず美しいのか。
どうせ慰めになんか、なりやしないのに。
「・・・おいジェイド、馬止めろ」
「え?」
「アデラインとユージーン休ませるぞ」
ジェイドが馬車を止め、皆は一時の休憩を取る。
シオンの懸念どおり、座席の中で泣いていたユージーンは徐々にその声を激しくし、錯乱し始めるとアデラインに抱き締められる。
「パパっ・・・ママあ!!!」
「大丈夫よユージーン」
「ママどこっ・・・!!!助けてママ!!!」
近くの小川に連れて行かれ、そこで吐き続けるユージーン。
ソンヒとダイアナも駆けつけ、水を飲ませたり背中をさすったりして落ち着かせようとするが、ユージーンは呼吸をさらに荒くし暴れ続ける。
「怖い!!!やめて、こないで!!!」
「大丈夫ですよユージーンさん!」
「ソンヒさん、何か薬は・・・?!」
「お待ちください!」
走って馬車へ戻ったソンヒが持ってきたのは、医療用の麻薬を配合した粉末だった。
「あまり使いたくはないけど、船に乗らなくてはいけないから・・・!」
松明の灯りの下、涙で濡れるユージーンの顔を上へ向けさせ、開かせた口の中に粉末と水を交互に入れていく。
しばらくすると、全身を痙攣させていたユージーンの体から、脱力が見られ始めた。
その様子を、少し離れて眺めていたシオンの隣にジェイドが立ち、
「ねえシオン。君はさ、奴隷になってどんな地獄を見た?僕はね、処刑された国王派の人達の死体をバラバラにして土に埋めるって仕事を延々やらされたんだよ」
と、飄々と語り始めた。
「それ以外は野郎共の相手もさせられたし。君もそうでしょ?」
「・・・甘いな、俺はそれに加えて殺しもしたぞ」
シオンが張り合うと、
「そっか、それはお疲れ様だったね」
お互いの労をねぎらい、小川の方で介抱されるユージーンを見やる。
「ユージーンはもっと悲惨だよ、開き直って娼婦になってバーナライトの寝首を搔くしか生きる希望がなくなったんだもん」
そう言って、星空を仰ぎ見る。
「僕達みんな、運良く生き残ることができたけど、でも幸せとはほど遠いね・・・」
胸が痛んだ。
運良く逃げ切り、運良く優しい家族に救われ、運良く夢を追えている、幸せな自分に。
「シオン、知ってるかい?ウィリザヘラはね、新政府が分裂し始めたんだよ。共和制派と王政復活派に。あれだけの人間を殺して不幸にしておいて、結局どこにも辿り着けなかった。フザけた連中だよ、何のための革命だったんだか」
あの当時の記憶が蘇る。
断末魔の叫びを上げながら死んでいった知り合い達と、王政の終焉に歓喜する民衆。
当時のシオンには分からなかった。
あの民衆が、一体何に喜んでいるのか。
しかし今なら理解できる。
本当は、何にも喜んではいなかったんだ、と。
ジェイドがつぶやいた言葉が頭の中で反響する。
それはこの先もずっと、シオンの中で響き続けた。
一度壊れたものは元になんて戻らない
もっと
崩れていくんだよー
御者席にアンドルーとウーフェイ、シオンが座り、再び馬車は走り始めた。
三人が同様に感じる感想を、アンドルーが代弁する。
「狭いな・・・」
馬車の中では、ユージーンがソンヒとアデラインに挟まれ、ジェイドとダイアナがその正面に座っている。
「まあ、こっちの方がいいでしょうね、お互い・・・」
真ん中で手綱を握るウーフェイがフォローするが、シオンは顔を背けたままだ。
「おいシオン、大丈夫か?」
アンドルーの問い掛けに、シオンはただ、
「大丈夫ですよ、俺は・・・」
とだけ答えた。




