64針目.脱出
ミレーネは管理人一家に金を握らせ、ジャンには馬車でウーフェイとソンヒを宿まで連れて行かせ、シルヴィアとモリーには毛布と食料をかき集めさせた。
地図でスワンコートから貿易港までの道のりが念入りに確認される傍らで、金貨と銀貨の用意が整っていく。
バタバタと皆が走り回る中、食堂でスコーンとドライフルーツを紙にくるむエリンに、ジェイドが近付き
「ごめんよ、エリン」
と、一言伝える。
エリンは振り向かずに答えた。
「・・・大丈夫。悲しいのは、私じゃないから」
エリンは思い出していた。
初めて会った時、ジェイドはしきりに自分に、貴族が集まる場所に近付くなと言っていた。
それは、マスカレードに潜り込むなと言う警告だったのだ。
(友達になれたと思ったのに・・・)
今夜でさよならをする友達のために、エリンはありったけのお菓子を麻袋に詰め込んだ。
ほどなくして馬車は戻り、最低限の荷物をまとめたソンヒとウーフェイがジャンと共に馬車を整備し始めた。
「大丈夫でしたか?」
ダイアナが手伝いながら問い掛ける。
「驚かれましたけど問題ありませんわ。申し訳ありませんが、宿に残っている荷物はダイアナ様方でお引き取りいただければ・・・」
「もちろんです、お戻りになられるまで私が保管しますね」
「・・・ありがとうございます・・・!」
ソンヒの気丈な笑顔は、幾分か心を軽くさせる。
自分達はこれから、己の正義に従って、国家と法に反逆を企てるのだ。
馬車の座席の座面を上げ、中に毛布とクッションを敷きそこへアデラインとユージーンが膝を折って入り込む。
呼吸ができることを確認して、ダイアナ、アンドルー、ソンヒ、ウーフェイが座り、足元は荷物で埋め尽くされ、御者席にはシオンとジェイドが着いた。
「水と食べ物は十分のはずよ。万一の時にはこれも使いなさい」
ミレーネがシオンに握らせたのはダイヤモンドとルビーの首飾りだった。
「・・・悪い、ちゃんと返せるようにする」
「いいわよ、たくさん持ってるから」
皆が見守る中馬車は出発し、手綱を握るジェイドと最後まで目を合わせられなかったエリンは、馬車が見えなくなると同時に激しく泣き出した。
スワンコートの入り口ゲートまではわずか十分ほどであるが、ここを通過できるかが最初の関門である。
案の定、二人の警備員に制止された。
「おい、こんな時間に何外出しようとしてんだよオマエら、ああん?」
「ボクちゃん達はパパママに黙ってどこに行こうとしてるのかなあ~?」
(フザけんなもういねえよ!!)
勤務中だというのに酒を飲み酔っぱらった警備員に絡まれ、シオンとジェイドの怒りの導火線が着火されるが、しかし状況ゆえに舌を噛んで怒りを殺す。
火事以降、増員された警備員は揃いも揃ってガラが悪い。
シオンは打ち合わせ通りに「ブラン公爵家の奥様が大怪我を負ったという知らせが届いたので、お見舞いに行くところです」と理由を伝えるが、ゴロツキ上がりの警備員は
「おい、馬車の中開けろ」
と、当然聞く耳など持たない。
シオンが御者席を飛び降り馬車の扉を開ける。
「申し訳ありません、警備の確認が入るそうです」
声を掛けると、ダイアナが用意していた公爵家の紋章のネックレスを取り出す。
「ブラン公爵家のダイアナと申します。一緒にいるのは従兄弟のアンドルーと、ヤンロウ帝国の薬師と按摩師です」
「なんでこんな夜中に行くんだよ」
「こちらのお二人が母の怪我をすぐに良くできると仰いまして、一刻も早くと思い・・・」
日雇いの警備員は紋章を見てもその意味が分からず、見慣れない東洋人の二人に「お前等も身分証を見せろ」と要求する。
しかしウーフェイ達が手渡したヤンロウの身分証を見ても
「・・・なんだこの象形文字」
「ヒエログリフとか言うヤツじゃね?」
と、ヤンロウの文字に困惑し
「・・・なんか怪しいな、隊長を読んで来るからここで待て」
と言って、足を止めにかかる。
(マズい・・・・・!)
シオンとジェイドが、二人なら気絶させて突破すべきかと考えた、その時だった。
「ちょっとお待ちなさい!私がヤンロウ随一の按摩師だってアンタ達に分からせてあげるわ!!」
突如ダイアナを乗り越え外に飛び出したソンヒが、警備員の一人を地面になぎ倒す。
「うわあっ!なんだオマエ!!」
「立ちっぱなしで筋肉が硬くなっているでしょうから・・・!」
警備員のシャツを捲り上げたかと思うと、腰の側面部分に肘を当て、全身の体重を掛けて捻じ込み始めた。
「ギャアアアアア!!!!!」
「あら!凝ってるわね!!!」
「おい何やってんだ!」
尋常でない絶叫を上げる警備員の様子に、その場の全員が恐れおののく。
(アレ絶対痛いヤツ・・・!!!)
しかしソンヒは容赦なく
「ふくらはぎにも悪気が溜まっていそうだわ!」
と言ってアキレス腱の一番痛い箇所に両手の親指を食い込ませ、戦闘能力を奪いにかかる。
「イタイタイタイタイタイ!!!!!」
「大丈夫よ、ほぐし切ればスッキリするわ!」
ソンヒは見事な手技で肉離れ寸前まで筋肉を分断し、馬車の中の荷物から薬の小瓶を取り出すと粉末の薬を一気に口の中に投入する。
「ウゴッ!ホッ、ファッ!!」
「おい何飲ませたんだよ!」
「按摩の後に良くなった血流をさらに促進させる漢方ですわ、これでゆっくり休めますのよ」
ただの杏仁・桔梗・甘草・麻黄の粉末だが、ソンヒの言葉通り警備の男はぐったりとして動かない。
「おわっ!寝るんじゃない!ああもう、お前等は行っていい!!」
ソンヒの機転のおかげで、無事に一行はスワンコートを脱出することに成功した。




