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57針目.黒煙

 最初のうちは誰もが冷静だった。


 確かに焦げた匂いは充満しているが、どこにも炎が見えない状況から、しょせん厨房でのボヤだろうと高を括っていた。


 しかし走り回る給仕係達の、その異様な様子にだんだん胸騒ぎを覚え、ついに


「ダメです消えません!!!」


 と言う叫びに、会場中は蜂の巣をつついたような騒ぎで埋め尽くされる。


「皆さん早く逃げてください!!!」

「おい、どこで燃えているんだ!」

「倉庫です!!!いいから早く、放火です!!!」


 放火という言葉に、一斉に入り口目掛けて走り出す招待客達。


「押さないで!女性を先に!!」


 給仕の一人がそう叫んだ瞬間。


 とてつもない爆発音が轟き、シャンデリアが一斉に震えた。


「きゃあああ!!!何なの今の!!!」

「ガスに引火したんじゃないのか?!」


 もう誰も理性を保てなかった。


 我先にと入り口目指して走り出し、あちこちに割れたグラスや仮面が散乱する。


 アンドルーも少女達と共に廊下に飛び出し、走ろうとした瞬間ケイレブが腕を掴む。


「メイ・リサが!」

「今どこにいんだよ!」

「分からない、確か二階とかって・・・」

「すぐ探せ!!!」


 ケイレブが人波を掻き分けメイ・リサが着ていた緑のドレスを手掛かりに探すと、二階に続く階段の元で不安げに辺りを見回す妻を見つける。


「メイ・リサここか!避難するぞ!!」


 腕を取って入り口に向かって走り出し、玄関ホールに辿り着くとアンドルーが今逃げて来た方向に向かって走って行く姿が目に入る。


「おいアンドルー何してるんだ!」

「ソフィーが逃げ遅れた!」


 見ると寄り添って泣いているのはアンヌとケイティの二人だけだった。


「気を付けろ煙が濃くなってるぞ!」


 声が聞こえているのか分からないほどの速さで中へ戻るアンドルー。


 自分達がいた裏の会場の入り口まで近付いた時、信じられない光景を目にした。


 ソフィーの上に馬乗りになり、もがくソフィーの両手と口を塞いでいる小太りの男。


「大人しくしないとパパに言いつけちゃうよお~・・・?」


 聞こえてきた卑劣な一言に、アンドルーの脳内の糸が切れる。


 走り出し、勢いをつけた長い脚を振りぬき男の尻の穴に革靴を叩き込むと男は絶叫して仰け反った。


「なんだオマエ?!」

「なんだじゃねえだろ、火事場で強姦なんて聞いたことねえぞ」


 そのまま更に力を込めてもう一発、蹴りを脇腹に入れその一瞬の隙にソフィーを引き剝がす。


「アンドルー様・・・!」

「よしよし、怖かったね、もう大丈夫だよ」


 泣きじゃくるソフィーを抱きかかえると、男は口の端に泡を浮かべながら激昂する。


「俺を誰だと思ってるんだ!グランデール市議会議員だぞ!!!」

「残念だったな、俺は次期ブラン公爵当主だぞ」

「は?!ブラン公爵家は娘が継ぐはずじゃ・・・」

「その娘が平民とデキちまったから予定変更で俺が次の当主だ」


 自分が紳士的に接していた女の子に手を出されたことで、アンドルーの怒りまで燃え上がる。


「テメエの顔覚えたからな」


 アワワワワと震える男を置き去りにし、どんな報復をしてやろうかと考えながら走り出す。


 外に出ると、薄暗くなった空の元で大勢の招待客や給仕係が不安げに迎賓館を見つめている。


「ソフィー!」


 アンヌとケイティが駆け寄り、泣くソフィーを抱き締める。


 火事を知らせる鐘の音がスワンコート中で鳴り始め、あちこちから人が駆け寄り火消しのための連携が取られていく。


「・・・ったく、とんだ厄日だな・・・」


 そうつぶやいた瞬間、


「大丈夫です!私も一緒に探します!!」


 と叫ぶ声が耳に入った。


 何事かと思うと、ケイレブとメイ・リサの姿が目に入ったがケイレブの表情は尋常ではない。


「おい、ケイレブどうした・・・」


 声を掛けると振り向いた女性は、メイ・リサではなかった。


「アンドルー!メイ・リサがいない!」

「私を奥様と間違えて・・・!」


 長い黒髪に緑のドレス。


 混乱の中でケイレブが腕を引いて逃げたのは、よく似た格好の別人だった。


「まだ中なのか?!」

「分からない!」

「きっと外に逃げてますわ、手分けして探しましょう!」


 次々と救援や野次馬が集まる人の群れをかき分けケイレブとアンドルーがメイ・リサを探している頃、湖の方でも、鳴り響く鐘の音に驚いた人々が外に出て出火元を特定しようと走り回る。


「なんの騒ぎかしら・・・」


 湖畔のレストランが集うエリアまで戻って来たシオンとアデラインはしばらく様子を見ていたが、


「おい、迎賓館で火事みたいだぞ!」


 と、誰かが叫ぶのを聞いて二人とも息をのむ。


 自分の多くの顧客達だけではない。


 ダイアナとの結婚のために、今一番失ってはいけないメイ・リサが行っている。


「すみません、火事の規模は?!全員避難できたんですか?!」


 思わず詰め寄ると、戸惑った顔で返事をされる。


「いや、全然分かんないけど、ガス爆発したらしいんだ」

「爆発・・・?!」

「マズくないか?迎賓館なんてあんな古い建物、爆発して耐えられるのか・・・?」


 血の気が引く思いがして、シオンは言葉を失う。


 メイ・リサに万一のことがあったらー


 その時、アデラインがその場にしゃがみ込んだ。


「アデライン・・・?!」

「ごめん・・・ちょっと、気持ち悪くて・・・」


 小刻みに震え、両手で口元を押さえている。


「大丈夫か?!」

「・・・・・火、怖い・・・・・」


(あ・・・)


 王族は全員、納屋で火あぶりにされた。


 アデラインだって当然、その事実は知っている。


「こっち座れ・・・」


 レストランに続く階段の段差に座らせ、落ち着かせるために抱きしめるが、しかしシオンはメイ・リサの安否に気が気じゃない。


 そこへまた誰かの大声が響く。


「おい、水をタンクに詰めろ!迎賓館まで運ぶぞ!!」


 男達が走り回る様子に、胸騒ぎが止まない。


 シオンは立ち上がった。


「シオン?!」

「悪い、すぐ戻るからそこのレストランで座らせてもらえ」

「待って!行かないで!!」


 アデラインの叫びを無視して走り出し、全速力で迎賓館がある街の中心部へ向かう。


 近付くほど濃くなる焦げ臭さに、不安が膨れ上がる。


 誰も彼もが外に出て同じ方向を見やる中、息を切らして辿り着いた迎賓館はすでに地獄絵図だった。


 窓からは炎が上がり、時折ガラスの割れる音が響き、黒煙が建物の半分を包み込んでいる。


 その時、ダイアナが叫ぶ声が聞こえた。


「ケイレブ落ち着くのよ!!!」


 人をかき分けると、半狂乱のケイレブを必死になだめるダイアナの姿がある。


「メイ・リサ!!!」


 迎賓館に向かって叫ぶケイレブ。


 最悪の事態が現実になり、シオンはケイレブに詰め寄る。


「おいアイツは?!逃げ遅れたのか?!」


 突如現れたシオンに、ケイレブは


「二階に、ドレスが汚れて・・・」


 と、呼吸を荒くしながら状況を説明しようと試みるも、膝から崩れ落ちていく。


「二階のどこだ!!!」


 シオンが叫んでも、ケイレブはもう答えられなかった。


「・・・クソっ!これだからおぼっちゃまは・・・!」


 踵を返し、煙に包まれる迎賓館に向かって走り出すシオン。


「シオン!ダメよ!!!」


 ダイアナの叫びが聞こえたような気がしたが、それさえも耳に入らなかった。

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