5針目.俺のモデルやんない?
カウンターの上に座り込んだエリンは足をブラつかせながら、すでにカゴの中のキャンディーを十本平らげた。
「ちょっと、まだですかあ?」
十一本目を口に入れ、ガリガリと勢いよく歯で砕きその破片を飲み込む。
「・・・なかなか面白い食べ方ですね」
スタンを無視し、エリンはこれでもかという不機嫌な表情を作り続ける。
驚くことに、まるで何事もなかったように、この店の人間は仕立ての仕事を再開しているのだ。
(なんて常識知らずな・・・戻ったら速攻で公爵様に告げ口してやる!廃業よ、廃業!!)
エリンが様々な妄想を膨らませ、十二本目のキャンディーに手を付けようとした時だった。
「お嬢ちゃん、待たせたな」
奥のドアが開き、シオンが姿を現した。
「ちょっと!お嬢ちゃんじゃありません!こんなに時間を掛けて、ダイアナ様に何をしたの!事と次第によっては公爵領保安官に訴えますからね!!」
「これ見て訴えるようじゃ奥様の不幸はお嬢ちゃん由来だな」
「はあ?!どういう意味です!!」
「ほら、美人になっただ・・・」
後ろを向いたシオンの目線の先には誰もおらず、入り口に潜む人影のみが確認できる。
「ダイアナ様?!」
声を掛けると、影は少し動い・・・たと見せかけまた引っ込んだ。
「・・・嘘だろ、あんたどんだけ自己肯定感低いんだよ!」
痺れを切らしたシオンに腕を引っ張られ、姿を見せたダイアナにエリンは目を見開く。
「エ、エリン・・・変じゃ、ない、かしら・・・」
それは、エリンが今まで見たこともない主の姿だった。
ダイアナはいつも、長く伸ばした髪を全て後ろに回し三つ編みにしていた。
しかし今では前髪が作られ、うねるくせ毛を下ろすことで、若々しさと女らしさが醸し出されている。
目元はアイメイクで陰影を与えられ前髪と合わさることで目力を放ち、頬紅と口紅が血色と色気を加えていた。
髪型と化粧で彩られたダイアナが今まとっているのは、先程まで着ていた簡素なブラウスと紺色のスカートではない。
全身を包む濃いロイヤルブルーのドレスは深く胸元が開き、その切り口は金糸で編まれたレースで縁取られ、それがダイアナの色の白さだけでなく上品さも際立たせた。
「ダイアナさま・・・」
ふらふらと近付いてくるエリンの様子をダイアナは横目で気にする。
「や、やっぱり・・・やり過ぎよねえ・・・」
下ろした髪を両手でいじくり回すダイアナに、シオンが不満を露わにする。
「はあ?こっちのが断然イケてんだろ!あんた視力大丈夫かよ」
「そっ!そんなこと言われても・・・!」
どう振る舞っていいか分からないダイアナが助けを求めるようにエリンに視線をやると、エリンは人形のように立ち尽くしたまま涙を流していた。
「エリン?!どうしたの?!」
ダイアナに駆け寄られたエリンは目を動かし、
「ダイアナ様・・・おきれいです・・・」
そう言うと、声を上げて泣き出した。
「ほら、お嬢ちゃんだって感動して泣き出しちまった」
「ええ?!どういうことなの?!エリン、どうしたの?!」
「わあ~!!ダイアナ様あああ!!素敵ですうう!公爵様達が御覧になられたらどれだけ喜ばれるかああああ!!!」
エリンは泣きながらダイアナに抱き着き、ダイアナの顔やドレスを間近で見るや、シオンに畳み掛ける。
「あなた!これは一体何の魔法ですか!ちゃんと説明なさい!!」
エリンの悔しさと腹立たしさが混ざる表情を見て、シオンは満足げに笑った。
「前髪作ってきちんと化粧して奥様に似合うドレスに着替えさせただけだよ。髪の色がオレンジがかった赤茶だから映える青にした。・・・花柄とかじゃないちゃんと年相応に似合うヤツな」
最後の一言にエリンは顔を真っ赤にし、ぷいっとそっぽを向く。
「でもよくお似合いですわ・・・お色が白いから濃い色味が映えますね・・・まるで王族の姫君のようですわ」
ヘーゼルもドレスを着こなすダイアナを眩しそうに見つめ、ダイアナはそんな視線に頬を赤らめる。
「奥様、そのままお帰りになられてはいかがですか」
スタンがそう提案すると、エリンも
「そうしましょう!道行く人がみんなダイアナ様を振り返りますよ!」
と、鼻息荒く賛成した。
「あ・・・では、そうさせていただきますわ・・・お代はいくらで・・・?」
「いいよ、それ遊びで作ったやつだからあんたにやるよ」
「え!でも・・・」
「さっき着てたの畳むぞ」
奥の部屋に消えていくシオンを追ってダイアナも再び部屋に入る。
「あの・・・」
服を畳むシオンに、ダイアナは声を掛ける。
「私・・・なんてお礼を言ったらいいか・・・」
「いいよ、今度何か注文してくれれば」
手早く畳み終えた服を薄布でくるみ、シオンはダイアナに手渡した。
「あなた・・・すごいのね・・・」
包まれた服を受け取りながら、ダイアナは必死に言葉を紡ぐ。
「私、きれいって言われたことが、ないわけではないのだけど・・・結婚式の時とか・・・、でも、こんなに嬉しいのは、初めてで・・・」
「着飾りゃなんでもいいワケじゃないだろ。誰しも似合う似合わないがあるからな」
シオンは口端に笑みを浮かべた。
「でも奥様はもっと着飾ることに貧欲になりな。どんな正論も努力も、本人に自信がなけりゃ誰にも届かないだろ」
シオンの言葉に、ダイアナはこれまでの日々を思い返す。
貴族令嬢として教養とマナーを身に着け、父や教師からありとあらゆる事を学んできた。
それなのに、ブラン=バーネット両家の繫栄のために尽くし続けてきた日々が全て徒労で終わったのは、ケイレブが自分を裏切ったから・・・
それだけだろうか?
自分に、ケイレブ自身を理解する姿勢はあっただろうか?
容姿に自信がないだとか、政略結婚だとかを言い訳に、対話を避け、自分が与えられるものだけを押しつけていたのではないか?
だから彼の心が、優しい言葉と、甘えた笑顔を与えてくれる、あの愛らしい彼女に向かったのでは・・・。
「私、全然足りないのね・・・。努力してきただなんて、恥ずかしいわ・・・」
ダイアナはため息を吐きながら言葉を漏らす。
「別にこれからだろうよ。やりたいこととかあんだろ、奥様にも」
「・・・もう無いわね・・・」
力なく笑うダイアナを、シオンは見つめる。
「離婚して出戻ったのよ・・・。もう再婚とかはないでしょうから、お父様の仕事を手伝うしかないわね・・・」
口にした現実が重くのしかかり再び暗鬱とした気持ちが広がるのを感じ、払拭するために話題を逸らす。
「あなたは?これほど腕がいいんだから、この店もすぐに人気が出て忙しくなるわね」
「俺が行きたいのは王都だよ」
シオンはその眼差しに野望を宿しながら答えた。
「王都一の服飾商になるのが俺の目標」
「まあ・・・あなたならなれるわ・・・!私、知り合いみんなにあなたのこと教えるわね!」
ダイアナがそう言うと、シオンは突如ダイアナの前まで歩み寄る。
「奥様さ、俺のモデルやんない?」
「・・・え?」
それはあまりにも想定外の言葉だった。
しかしシオンは続ける。
「俺は必ず王都一の服飾商になる。でもそれには絶対必要なものが三つある。資金、人脈、それから最適なモデル」
ダイアナは瞬時に理解した。
この国で、平民が身一つで成功することは不可能に近い。
上流階級のパトロンが不可欠なのだ。
「資金と人脈は別として・・・私じゃモデルは務まらないのでは・・・」
「務まるよ。奥様は身長あるし姿勢もいいし均整が取れた体つきしてる。顔は化粧映えするし、別に自分で思ってるほど悪くはないだろ」
「でも・・・」
「今着ているドレスを誰かに見せて俺を紹介したいって思ってくれたんなら、俺のモデルにふさわしいのはあんたしかいないよ」
その言葉が、日差しとなって全てに光を当てていく。
目に映る景色が色付く。
今までに感じたことのない何かを待ちわびる高揚感、そして、新しい世界への期待が胸の中で満ちていく。
「・・・分かりました」
ダイアナは意を決する。
「あなたが王都一の服飾商になるために・・・、私があなたのモデルになります!」