8なし「ルビーの血」
クリ…ネ? この響きは何かがおかしかった、可愛らしい響きに隠れた強烈な違和感、音における異物の混入具合。自分が知らない何かを彼女はもう既に知っていると言う紛れもない証拠がそこに混ざって居るのは確かだ、だがそれが何なのかは分からない。そもそも鳥使徒クリネは自分の姿見と言うものを未だにした事が無かった、慌ただしい流れの中にあってそう言った自己を顧みる暇が無かったのだ。翼…と思って目をやるが取り立てて変化は無い、果実を労して運んで来た嘴、両の足に関しても果実が何かの浸食を果たしたと言った跡は見受けられなかった。となれば残るは体幹方面、顔と胴体になるが…と思考を巡らせた所で鳥使徒は三番目のミスに思い至る。一つ目は状況把握前に飛んでしまい彼女の飛翔を誘発した事、二つ目はその場から動かないでと言う言伝てままならぬままに離れねばならなくなった事、三つ目は致命的な緑の水を口にした事だ。まだ外見を見せた事くらいしか表立って交流していないこの少女が発したクリネと言う響きの違和感の正体は、グリーンの罪をどうにかして彼女が把握してしまっているからこその物だった。
「綺麗…」
判断するには時既に遅し、四つ目のミスが彼を襲う。カイナ・クイナ少女は興味の赴くままに彼の左頬に触れた。幾ら鳥として精悍な出で立ちをしていようとこう言う反応にはならないだろう、頬に緑の水が齎した異物は「在る」のだ。少女が触ったのは右手だったが少女の五指から血が噴き出した。彼は焦る、また消耗した彼女が眠り姫になってしまうと果実を持って来た意味がなくなる、せめてどうにか食べてからにして貰わなくては——と彼女の方に近寄りかけた所で前回との違いを知る。彼女は半泣きだが微笑んでいた。世界の悪戯に再度晒されて尚、彼女の瞳には力強い眼差しが宿っていた。グロン、彼女はカイナ世界を改名させた。それは反旗を翻した意味合いもあるのだ。そんな彼女が足を2m落下で折った衝撃の時の様にめそめそと泣き寝入りをすると言うものではない。
「ごめんね、カイナクイナまだ何も分からないから怪我ばかりしてる。…でも綺麗なのは本当だよ、最初に会った時より今の瞳に緑の線が有る君の方がカッコいいよ、クリネ」
彼女は再度左の頬に触れて今度は撫でる所まで行った。撫でている? つまり左頬に関しては彼女の言う所の瞳の線が無くなったと言う事か? 何故、血がそうさせたのか…出血は以前にも見ている、そう彼女が2m落下を余儀なくされたその後だ。その時の血は消滅し染み込んだ衣服から時を遡るかの様に蒸発したが今回は緑の線と対消滅したのか…だとすると彼女の血は翡翠の水に対するルビーの血と言った存在にも思えて来る。が、消滅の仕方の違いは何処となく不穏だ。ただ消えたのではなく禍々しき緑と対消滅をしたのなら彼女も何かを失っているのではないだろうか。これから恐らく自分は彼女を助ける日々の中で黒から緑に限り無く近づいて行く可能性が有るが見た目には分からずとも彼女も苦しんで行く部分があるかも知れない。それを見落としたくは無いものだ、とこそばゆい愛撫の中で彼は思った。




