ス2ーリー「名付けのハーモニー」
カイナ・クイナの死後を自在に操る後付け描画の魔物が眠り姫の彼女を何処かへと既に攫ってしまっているのではと言う悪しき妄想が彼を蝕んでいたが、しかして彼の残して行った羽根のお守りは功を奏した様で彼が元居た場所へ戻った時彼女はそれを握ってまだ眠りついていた。彼が離れた時には握って居なかったから何処かで半覚醒状態が有ったという事だろう。本来なら動かないで居て欲しい、と伝えるべき所だったが泣き止むのと眠りつくのが間髪入れずの動作だった為それはもう一度揺り起こさなければ叶わなかった、それ故の次善策であったがともあれ彼は自らのアイディアが成功方向に結実した事に安堵した。
起こさぬ様慎重に両足の果実を地面に落とし、次いで嘴のそれも地面に安置する。それにしても表情に余裕が無くなっている。流石は微睡世界だけあって微睡んでいいのは私の側であって貴様ら下位存在ではないとでも言いたげな幽世としての造りになっている様で長きに渡る安眠は許可されていないらしい。それでもその安眠に届かない睡眠とて彼女の戦いにおける貴重な癒しの時間だ、それを阻害する意図は元より無い彼は一寸も彼女に触る事をせずにいた。蜘蛛の巣張りの空との格闘で疲弊した翼の毛繕いや音を消した欠伸なんかをして彼女の苦しげな表情をなるべく視界から外しながら時間を潰す。そして不意にゴロリと無造作に置かれた果実の対に目をやる。片方は足で無理やりに持って来たので爪が食い込んで形が悪くなっている。差し詰めまんまるの方が緑に穢れていない彼女、痛々しい歪曲を見せる方が緑に侵された自分か。いや待て、彼女も既に薄紅の血染めの空から落下して足を折っている、穢されていないと言えるのは一体なんだろうと疑問を持つ。心、か。肉体の上では二者とも微睡世界の悪戯に翻弄されている訳なのだが、人の彼女はお守りを握り締める事で口約束をし損なった待ち人としての鳥使徒を強く信じ続けた。鳥の彼はお守りに込めた必ず食事と共に出来るだけ疾く戻ると言う願掛けを見事有言実行した。心と心、その絆は決して折れていない。
そんな自己問答に疲れ段々うとうととして来た彼だったがはたと我に返る。苦悶しているのを差し引いても眠り姫の寝息の断続性が何処か不自然だ。彼は新しいこの世界の歪さを見出した。この世界は夢世界が根幹に有るので現実の物理法則をいまいち支え切れていない。重力の途絶、復活周期とはリンクしている訳でも無いと言う気がするが音が途切れ途切れであるイコール空気振動の伝達が怪しいのもこの薄明が基調の世界のもう一つの病理らしかった。空気が薄い場合があるのかと思ったがそこまでは無いのか、迅速な風となり滑空した彼の運動量を支えるに十分な呼吸は邪魔されて居た記憶が無い、感覚的な言葉で言うなら「無人の惑星には音は有るが音楽が無い」と言う説がしっくり来るか、その心は人の聴覚不在。音の素たる空気振動自体は消えなくとも音楽を解する人間の脳の感覚が遮断されればイコール音楽の向かうべき先も失われる。そういう意味では覚醒しているつもりでも断続的に姫も自分も眠っているのだろうか、現実の感覚を不意に失う瞬間が有るから重力にも足元を掬われるのだろうか。その辺りの謎については結局の所はこの世界の出口に辿り着かないと境界線が不透明だが。
そうこうしている内に、微睡んでいた筈の彼女が起きているのに気付いた。こっちを見つめている、と言うかその先の果実を見ている様だ、恐らく苦悶とは多分に空腹に因る物だったのだろう。彼は食べて欲しいと言う自分の考えを告げるより先に質問していた、<ワタシのナを>と。今代カイナ・クイナが守るべき愛らしい寝顔を発現させると言う働き掛けで有無を言わせずに使役させた鳥使徒はその実うずうずしていたのだ、彼女との関係性の発展に、ともすれば消え入ってしまいそうな命と命のより確かな絆を結ぶ事に。
実は今の脳伝達は音遮断のタイミングに重なり彼女には届いて居なかった上、彼女は今初めて緑の死の一線を瞳に携えた彼を目の当たりにしたので当初考えていた名前を与えるのは憚られた。過去の姿を、そして今の姿を綯い交ぜにした素敵な名前がいいだろうと、クロンと言う名前を棄てた彼女は音が再開した世界へ向けてこう言い放った。誰が求めた訳でも無い筈の鳥使徒の名を、彼女自身も言いたくて仕方が無かったのだ。
「おかえり、クリネ。初めまして、グロン」
黒とグリーンの間の音、そして寝入る事を簡単には許さないこの世界での敢えてのネ、音の響き。元の名は微睡世界カイナを改名させるのに使った、それもクリネと一字も被らない物に姿を変えている。露悪的に言えばグロテスクそのものを表現した形だ、終わらせると言う片仮名最終文字「ン」の想いも込めた。与えられた物ではなく、自分の確固たる意志で作り上げたその響き。鳥使徒クリネも脳伝達では無く初めて上げた綺麗な鳴き声でそれに応じた。この二つの名が傷付けられた彼女と彼の反撃の狼煙、最初のハーモニーとしての行軍歌の歌い出し部分だった。




