8なし「グロンウィッズの……」
クリネはクイナが去ったのを見届けた後、五芒星の各頂点のwwが既に描かれているてっぺん以外にwを嘴で書き足した。中でも右上の頂点には15歳世界の川での健闘を讃える大文字での六つ目のWが来た。特にWの真ん中が飛び出ているのは高度飛翔の表現だ。それが五芒星から右にやや離れて書かれているいいと言う文字と連なっている。wwの絵の様に二人が連れ添って眺めた光の川も良かったし、Wとしての高度飛翔もクリネにとっては見事な、魔法使いが空を舞うのを見る様な出来事だったと言う感想文だ。クリネは眠りに就く。もう彼の瞳にこの世界で映すべき事象など残ってはいない。後は脳裏にクイナの活躍を思い描いて応援する事位なものだ。クイナが吹いてくれた口笛でのジャズ伴奏アレンジの再現、他人に聞かされると何処か即興なので自作としての拙さが目に付いた。が、そんな幼さも今は子守歌として心地が良い。それをひたすら脳内で反芻させながら、穏やかな微睡みに身を任せる。微睡世界で真に安らいで微睡めたのはクリネも初めてだったし、もしかするとエコーの過去の亜神使徒全て引っくるめて見てもそれは最初の出来事だったのかも知れなかった。
クリネは可笑しさに気付く。もう役目の全てが終わったと言えるのだから迎えが来てもいい筈なのに何も起こらない。まるで次のイベントが開始する事が約束されている様な不思議な安寧が場を支配している。そして人影。人影? 次代のカイナ・クイナか? 死地としての色合いが強いと言っていいここは引継ぎ作業などと事務的な打ち合わせが有る様な滑稽な空間だったのだろうか。そして人影は声を掛けて来た。
「おはようグロンウィッズの少年、もといクリネ。だなんてちょっと気障ったらしい挨拶になっちゃったかな。迎えに来たよ、14年経った今」
情報量がかなり多い。クリネははっきり言って睡魔には襲われていたがまだ意識の遮断とまで行っていた記憶が無い。それに経ったとは言っても体感せいぜい一時間程度だ。だがそもそも成長痛の在り方からしてこの世界と現世の繋がり方はよく分からない部分がある。この場所は時を超える。カイナ・クイナ入れ替わりの一時間と言う14年も有り得ると言う事なのか…。
それにこの人物。性別はどちらなのか、クイナの面影は何処となく有るが彼女それ自体ではない、別人的な雰囲気は絶対的に感じる。クリネは警戒を解かない様に話しかけた。
「すまない君は誰なんだ? クイナと言う相棒が世界の中心に旅立ったのは見届けたのだがそこから今の状況への整合性が分からないんだ」
クリネは流暢な自身の脳伝達に驚く。脳伝達である事は確かなのだがあの長文読解に向かないとでも言うか、そう言う伝達上の齟齬の生まれ易い舌足らず感が無くなっている。いや、驚くのはそこばかりではない。何時自分は健康体に帰って来たのだ? 気付けば今までの刺す様な緑の声の圧迫感は消え、主従で言う上下関係が反転しているかの様だ。目の前の人物が笑って答える。
「あはは、クリネ結局緑交じりのままでそんな脳伝達が出来る様になっちゃったんだ。素直に嬉しいよ、私がここに居た時は見てられない位苦しそうでこっちまで胸が痛かったから。
今の状況までの事は説明出来る部分とそうじゃない部分があるかな。端的に言って、私は受精卵に還ったんだと思う。界泣に乗って大穴に入って行ったんだけど、緑の水が意志を持つかの様に涙の泡の壁を破壊しようとしているのが分かって。で私はぶつかって来る緑の水に対抗すべく殴ったり髪飾りを投げてぶつけたりしてたんだけどその内それらに意味が有るのかも分からないまま眠くなっちゃって。しょうがないよね、不穏だった果実は置いて来ちゃってエネルギーなんて残ってなかったんだから。でクイナとしての自覚が芽生えたのが5歳の誕生日だったかな? そこまでの事は説明しようがない、私であって私ではない幼い魂が親の導きの元平和に暮らしていたと言う位で、特に言及する気も無いかな。目覚めた後は怖かったな~、闇の国に連れ去られて人体実験されちゃう~なんて思いながら裏世界グロンウィッズを知っていると言うステータスをひた隠しにして生きていたから。で14歳になるまでにそんな心の内を打ち明けない臆病者では親友らしい親友も出来ないまま、私は死んでしまった」
親友はクリネだからね、とここでクリネは軽くデコピンされてしまう。クイナの方からあんな情緒的な事をしでかしたのがものの一時間前なのに14年の月日がそうさせるのか物凄い心理面の隔絶を感じずにはいられない。こんな空回りの心境が寂しいと言うか、そんな相変わらずのらしさが気持ちいいと言うか。
「死ぬ必要性については考えていたんだ、次代が空席のままなのはこの世界と感覚的に繋がっている者としての確信が有ったから。だけど自殺じゃ多分クリネにもう一度会う事は叶わないんだろうなと思ってね。じっと迎えを待ってたってわけ。どう死んだかは分からない、多分そんな物抱えて心が壊れず生きて行ける人なんていないからそれでいいんだと思う。で私は再度転生しましたとそんな話。しかも15歳世界だよねここ、スタート地点がここなんだなあ。まあそうじゃなきゃクリネに会えないから良かったけどね」
もう警戒はしていない、友人であると言われて気を良くしたのも有るし目の前の人物がクイナ彼女そのものではない理由についても合点が行った。だがどうしても聞いておきたい事が有る。
「詳しい説明をありがとう、生まれ変わった相棒。ところで君は、女性なのかい? 男性なのかい?」
目を丸くする元クイナ。
「あー考えた事も無かったよ。そもそもあっちで5歳で覚醒した時女の子だったんだ私。クリネ言ってたもんね、カイナ・クイナには異性としての転生が有り、その使徒には人から動物としての転生が有るって。じゃ私は今男の子、なのかな?」
と巫女服に覆われた自身の肉体を探る。いや、巫女服と呼ぶにはデザインが中性的な物に切り替わっているなとクリネは率直に思った。そして元クイナは首を傾げた。
「あれ不思議だ、触っても分からない。体は女性なんだけど男だと思って考えると女の自意識に辿り着くし女だと思って見るとその逆になる。なんだろこれ、亜神からもっと神寄りになっちゃったのかな?」
クリネも失礼ながらまじまじと下半身だけでなく身体の全体の特徴を見て掴もうとするが容姿は完全に女性だ、だが元クイナの言い分も分かる、受ける印象が100%の女性ではない、両性具有と言えば良いか。ここの作りが夢世界と言う事もあってかなるほど確定的にどうとは言えなさそうだった。
「ごめんね訳分かってなくて。でも核という圧倒的存在が居なければ私自身こう歪な事にはならない。私思うんだ、この世界は本来有ってはいけない空間だって、こんな緑の血の薄気味悪い貯蔵池などと。でもそれでもこの世界が有ると言うのはチャンスでもある、と言うのもこの世界は現世の為の伽藍洞世界なんだ、ifの世界を可能にする。私はカイナ・クイナで世界で初めて現世に還った人間、そしてその後殺される事も無く回帰まで果たした。核を否むか、はたまたそれを更に否むか。私は否む方を選択しようと思う、つまりこの緑の血、人々のもっとこう生きたかったああ生きたかったって願いの巨大な海を使って核もエコーの科学も無い世界に一度リセットを掛けてみる。ついて来てくれるよね、次の旅にも。クリネ?」
そう言って元クイナはしゃがみ込み左頬と右頬両方を触って来る。もう癒しは働かない、多分緑を従えたのはクリネではない、世界のルールそのものとなった元クイナが緑とクリネが共存出来る様にそう”願った”のだ。
そのルールメーカーである元クイナが軽く触れた更に否むとは、つまり核の否定もしないが肯定もしない、か。核の事でSFチックな考えだがクリネは一度考えてみた事が有った。時間停止、繰り返しの世界。核を持てば早晩種として存続が危ぶまれる人類が核と共存する道は一つにそれだ。そうすれば恒久的に科学の叡智の恩恵を授かりながら人類は偽りの平穏に身を浸す事が出来る。もしそんな夢物語が実現すると言う事で有れば。この辺は追々元クイナも話してくれる筈だ、何せ健康体になった自分にも元クイナにも時間だけはたっぷり有りそうだ。元クイナは続ける。
「そうすればきっと一度きりのチャンスとしてのグロンウィッズも消滅する、でもクリネが言ってくれた様に人類代表だもん、やれる事はやるよ。リセットすればまた人類は核滅亡の道へ行かない為にはどこへ行けば、どうすればいいのだろうと悩み進む事になる。彷徨いの徊に疑問の奈。徊奈、これを今後の私の名前として動くよ。クイナとしての私はもう十分生きたし。さあまずは14歳世界、その後はその更に遡った原初世界だ、行こうか相棒!」
パンパンと自身とクリネの頬両方に景気付けのビンタをしながら立ち上がるカイナ。翠除けとしてクイナの名を薦めた立場上元クイナがカイナの名を選んだ事にはクリネは驚きを禁じ得なかった。そうか、グロンウィッズまたの名を腕、その束縛し微睡みを強要して来る腕枕の禍々しさとは言い換えれば避けて通れぬ本質であり、それを敢えて被る事で拓ける未来もまたあると、今や緑の海の持つ力をある程度思いのままに出来る視点からのそう言う宣言か。そんな緑の使い手として在っても内なる緑の声についての言及が無いのを見るに、その緑から一線を画している神寄りの亜神としての自我の在り様は前世での徹底した翠除けによって確立された、でいいのか。翠まみれの邪神寄りの亜神も有り得たかも知れないしそれが件の否みを否む側である可能性はあるが、自分が見たかったのはこの目の前に居る輝かしい天使にも見紛うカイナだ、今はそれでいい。クリネは祝意と共にその名を心に刻み込む。
「でも思うんだけどいい女人類代表って、クリネが取っておきにしてた”可愛い”より重いフレーズじゃない? あの時息切れしててなんとなく流しちゃったけどさ」
赤面するクリネ、いい女と言い出したのはあの時のクイナだ、だが売り言葉に買い言葉で重い告白を開陳してしまったのは確かかも知れない。クリネは言い訳出来ない悔しさとカイナの中にやはりクイナの生きた証、記憶が有るのだなと言う嬉しさで泣き出してしまった。
「ま、泣き虫クリネの言う事は程々に受け止めますけどさ」
そう言って橋の方に向かって居たカイナはクリネを振り返る。
「嫌いじゃないよ、そう言う大言壮語を回収出来ないお口”鳥”ガーハッピーなとこ」
その笑顔の向こうには、いつもの黄昏の空。もうすぐ蒼の薄明が来そうだ。道すがら人としての記憶が残っていそうな彼女の楽しかった事嬉しかった事など聞かせて貰いながら、今度は拙くないジャズアレンジで彼女の心を弾ませられる様にせいぜい聞き上手な吟遊詩人でもやらせてもらうか。彼女と言う言葉が出たのは男女どちらとも取れるカイナの二面性からだ、クリネはまた何処かで彼女を彼と呼ばざるを得ない頼りになる場面に遭遇するだろうが、まだ今は思い出の重さが勝る。
「あ、あとクリネが寝てる時に見たんだけど。あの六個目のW。…ありがと、カイナやっぱり好きだよ、嫌いじゃないじゃなくて」
表情の機微が分かりにくくなる蒼の薄明前で良かった、勇ましいカイナの中に赤面する少女クイナの面影が見られた。




