8無し7.2「鳥使徒の戦い」
浮遊する涙、それはクリネ自身の涙と言うより果実に込められた先達の無念の想いが形になった凝縮体で、クリネの肉体はある種その表出の為の媒介に過ぎなかった。止まらぬ涙の進行、勢い込んでそれを追う道を選択したクリネだったが上空での蜘蛛の巣張り振りが軽くなっているのは追い風にしても緑の支配が危ういレベルで強まっていて体の自由な行使にまで悪影響が出始めている現状トータルで見れば相当そのレースは不利だった。見失うとどうなるのかは分からないし涙が何処を目指しているのかも不明だが少なくとも今出来る事はこのレースを完遂する事だろう。もし次が有る様なら、つまり今の涙を追うのが終わって次を発生させる為クリネが果実をまた啄まなくてはならない様なら後は緑の縛鎖に囚われておらず比較的健康体なクイナ頼みとするしかない。自分が飛ぶのもこれが最後なのか、脳伝達と言う温かな声色や愉快な伴奏に続き、自由の翼までが失われようとしているのか。クリネは必死で飛翔しながら健康だった日々のこの世界での自身の活躍を走馬燈の様に振り返っていた。
クリネは物理的にも振り返りやや遅れて後方に居るクイナへ足に掴む果実を揺らして見せながらアイコンタクトを送る。それは果実の運搬を頼む、と言う意味であった。クリネは自身の全力を出さなければこの涙の進行速度に追い付けないのが段々見えて来た。そもそもが満身創痍、これでこのレースを戦い抜くに当たって果実と言う足枷は邪魔物以外の何物でもない。重力遮断と発現の間で障害物走かの様に苦慮しつつ疾走するクイナが確かに二度三度と頷いたのを目認すると、クリネはやや低空軌道を取り果実をリリースする。暫くして果実の投下地点に追い着いたクイナがそれを拾い上げたのを見ると、クリネは振り返るのを辞め、ただ前のみを見据える。涙は離れて行っている。クリネは速度を上げる。体にギシギシと軋む様な痛みが走る。雄叫びとも悲鳴とも取れる鳴き声を上げながら、クリネは自身の可能な限りの速度で黒と緑の弾丸となって涙の軌跡をトレースしている。あと20m、あと10m。そしてあと5mまで来た所でクリネは判断ミスに気付く、低空軌道からのリカバリーを怠っていた。重力発現の悪戯が有った時、クリネは地面に激突はしないまでも受け身を完全には取れないままで飛行を強制停止せざるを得なくなった。顔を軽く擦る様な形でクリネは地面に崩れ落ち、後方のクイナが走るのを辞め悲鳴を上げたのが分かった。それでもクリネは涙の行く末の確認を怠らなかった。ここまで追えた事には意味が有る筈だ、そうであってくれ。頼む、グロンと言う邪なる世界の非条理よ、道理の欠片が残っているのならそれを今有りっ丈分けてくれ。
涙は、間もなく消えた。クリネの倒れ込んだポイントから目測で20m地点か。それでいい、クリネは次に呪いの果実を啄むべき地点が知りたかっただけだ。その後の涙との格闘の具合は分からない、後は野となれ山となれ。曲がりなりにも疾く往ける鳥使徒としてのクリネの献身は、今ここにボロボロになりながらも永き旅路の果てに完成した。




